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2005/01/08

噴火のあとの静かな水成作用

こちらからお礼を申し上げなければ、
と思っていたら、先を越されて
 養老孟司さんから心のこもった
メールをいただいた。 
 ありがたい。
 その言葉を、大切に胸にしまっておく。

 ヨミウリ・ウィークリーの 二居隆司さん、
中央公論新社の岡田健吾さん、松本佳代子
さんが研究所に。
 昼食をとりながら、いろいろ議論する。
 新聞社の出版部門の在り方として、
読売と中央公論新社の関係は可能性を秘めている
と思う。
 岡田さんは、落研か、と思われるほど
立て板に水に面白い話をたくさん。
 医学部出身の異色の編集者である。

 『パンプキン』の取材を受ける。
 コミュニケーションの問題。
 相手のことを考えながら自分の中から
生み出される言葉は、
 実は相手と共同で創造したものだと
思う。
 いわゆる「共創」のもっとも日常的な
現れが会話にある。

 今年最初のゼミ。
 私が記憶の論文を紹介して、関根崇泰が
ゴースト・ハンドの論文を紹介、柳川透と
小俣圭がプログレス・レポートをする。
 慶応大学4年の佐藤崇政さんがゼミ見学に来て、
自分の研究したいことについてのプレゼンを
してくださった。

 ゼミ終了後、五反田の「あさり」で
新年会。
 佐藤さんも参加。

 佐藤さんには罪がないのだけれど、佐藤さんが
「Aさんがこんなことを言っていた」
というのを聞いて内心激怒する。

 私は最近は随分穏やかになったと思うが、
怒ると大変なことになることは知っている人は
知っている。
 とは言っても、別に暴力をふるったり、
暴れたりするというわけではなくて、
怒りをきっかけに、
 激しい精神運動が始まってしまうのだ。

 怒りのきっかけは様々あれど、
 いちばん腹が立つパターンが、専門バカが
専門を超えて越境するような試みを
「いいかげん」だとか言う時だ。
 このクズやろう、たわけ、
うせろなどと罵詈雑言が心の中を飛び交い、
「今に見てろよ。一泡吹かせてやるからな」
と誓う。

 専門領域の中の倫理というものは当然あって、
その文脈の中で議論している時にいたずらに
外部のノイズを入れてしまうことがまずい
ことは当たり前である。 
 そんなことは百も承知している。
 だから、専門バカが好きな議論だったら、
こっちも受けて立つし、別にどうっていう
ほどのこともない。

 しかし、現代は、まさに専門が
蛸壺化して並列して、ニッチモサッチも行かなく
なっている時代じゃないのか。
 たった一度の人生、「私はこの専門家だ」
と壺に籠もって専門の論理を追求して、何が
面白いのか。

 しばらく前に、金森修さんが朝日新聞に
頑張れ、教養人というコラムを書かれて
いたが、
 金森さんが気にかけられていること、目指している
ことに、
 限りない共感を感じる。

 職業上の必要で、専門性を追求している人たちには
尊敬と賞賛を惜しまない。
 しかし、専門性に閉じこもることがこの世界
で生きることの全てで、
 それで事足りる、と信じている専門バカ、
越境しようとする人間を、いいかげんだとか
ふわふわしてるなどと
非難する心の狭いやつらに対しては、
怒りのマグマがこみ上げてくる。
 そのうち、粉砕してやるぞ、と巨大な
精神エネルギーがこみ上げる。

 専門性には固有の倫理があるように、
越境にも固有の倫理があるんだよ。
 その厳しさがわからないやつらは、
ダメだ。

 なぜ、世界の全体像をくもりのない目で
見つめないか。
 ニーチェだったと思うが、
「古代ギリシャでは、専門という概念は
意味がなかった」
という言葉を座右の銘としたい。

 もっとも、そのような怒りはいわば
ゲーテの『ファウスト』における火成論であり、
水成論の静かな作用がなければ、
 創造は成り立たない。

 噴火するのは一瞬でいい。
 バカは放っておいて、静かに歩むとしよう。

1月 8, 2005 at 07:41 午前 |

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コメント

教養と養老孟司さんのキーワードで思い出すのは、
「教養とは、人の気持ちがわかるということ・・・」
というお話ですね。
「先生がそう言われたことが記憶に残っていると」書かれていました。

茂木さんの怒りは、「人の気持ちも知らないで」ということ。
僕に分からないのは「越境しようとする人間を非難する心の狭いやつら」の気持ちです。
どんなものなんでしょうかね・・・。

投稿: 倉本 | 2005/01/08 21:52:37

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