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2005/01/31

うーん、無茶苦茶だ。

 仕事ばかりしていると、何かが蓄積
してくるので、
 散歩をすると同時に、
ぱっとソファに横になって
活字を乱読する。
「新潮」2月号の浅田彰、柄谷行人、鵜飼哲
鼎談を読んだり、大森望、豊崎由美の
「文学賞メッタ斬り!」
を読んだりする。

 31日締め切りのはずの「大仕事」をひたすら
机に向かい、迅速職人のごとくキーを
叩き続けて書きつづる。
 その一方で、conventional scienceの内部での
仕事も進める。論文を読み、論文を校正し、
論文を書く。

 無茶苦茶な世界に生きているなあと
思う。
 その無茶苦茶さが、シミジミ面白い。
 浅田さんたち3人は、ジャック・デリダに
ついて語り合っているのだけれども、
 そこにおける鋭利な切り口と、
conventional scienceでの知の体系が
全く異なる。
 ある文脈ではconventional scientistは
全くナイーヴなarse holeに見える。
 保坂和志さんが、新潮2月号の
連載「散文性の極致」で、
 「利根川進みたいな能天気なヤツは、あと十年
とか二十年で記憶が解明されて、あと百年
以内に意識の全貌が解明されるとか言っている
けれども、全然無理なんじゃないか?」
と書いているが、確かに、ある思想の文脈の
中では、科学者は能天気に見える。

 別の文脈ではポストモダンの哲学者は
ふにゃふにゃの思想入れ歯人間に見える。
 数学的概念を、その厳密な定義を
知らずに振り回してしまったりする
人間に見える。

 両者をどう結んだらいいのか。図太い
補助線を引かなければ、この世界はずっと
分裂したままだろう。

 大森さんと豊崎さんの対談も
面白い。
 つまりは、講談社のメフィスト賞作家が
問題なのだ。
 私は、文學界の連載「脳のなかの文学」
第7回(2004年10月号) 
「スカ」の現代を抱きしめて
の中で、舞城王太郎さんの「好き好き大好き
超愛している」を、「スカ」の現代を象徴する作品
として批判した。
 森博嗣さんの「すべてがFになる」は、
沖縄のビーチで下半身海に浸かりながら
読み、あったま来てゴミ箱に捨てた。

 大森、豊崎は舞城王太郎支持である。
宮本輝は、新しい文学が読めないのだと言う。
 私は、自分が間違っていたと
悟れば態度を改める。
 しかし、 
 宮本さんは宮本さんなりに
考えていることがあるのは間違いない
と思う。

 要するに世界は分裂してしまっているのだから、
誰かが補助線を引いて、見通しを良くするしかない。
 舞城王太郎好き好き大好き、という根拠の
ない自信を抱いた若者も
キモいし、
 メフィスト賞なんてクズだ、と眉を
上げているおじさんもなんだか寂しい。

 無茶苦茶な現代だと思う。
 夏目漱石やカフカとかそういう人たちが、
そんな現代から遠く離れた
ところで古典としての美しさを放っていることだけは
はっきりと確信できる。
 現代はふにゃふにゃの過渡期か。
 気を付けて渡らなければなるまい。

1月 31, 2005 at 07:20 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/01/30

アインシュタインと財政赤字

2005年2月13日号
(2005年1月31日発売)
ヨミウリ・ウィークリー
茂木健一郎  脳の中の人生�  第39回
アインシュタインと財政赤字

「今」が絶対的な意味を持つ時間の不思議について、
それを説明できないと認めたアインシュタイン。
過去と未来は非対称。日本の財政赤字との関係は?

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

1月 30, 2005 at 06:55 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

自然のレディ・メード

作家のblogを見ていると、
今はこんな原稿を書いている、大変だ、と
書きつづっているのが多い。

 私も今はこんな仕事をしている、大変だ、
と書いてもいいのだけど、
 なんとなく違う気がして普段は書かないように
している。
 みにくいアヒルの子は、すいすい泳いでいる
ように見えて、
 水面下で足をバタバタさせている。

 でも、この週末は本当に大変になってしまった、
とタマには書いてもいいのではないか。
31日までに終わらないと大変なことに
なりますよ、と脅かされている仕事を
終わらせなければ(そのように努力しなければ)
ならないのだ。

 何の仕事かは書かないのだ。へへへ。

 それでも、外に散歩に行くくらいの余裕はある。
 身体と何よりも精神がもたない。
 
 木の枝とか、葉っぱを拾って、じっくり眺めて
いると、そこに現れている自己組織化の美は、
人間が意識的に生み出す創造物の比ではないなあ
と思う。
 近代において、論理的に構成された
人工物は、どうも負けている。
 デュシャンは、人工物でレディ・メード
だったが、
 自然物のレディ・メードの方がよほど
しゃれていないか。
 もっとも、それを趣味のいい、新しい
衝撃がある形でやるのは難しい。

 散歩の途中で、池上高志と携帯で喋った。
芸大の卒業制作、見たかったのだがと池上。
 彼は今名古屋と東京を往復する生活を
している。

 風景が全く違ったものに見えるような
ことが、真の創造だと思う。
 机にかじりついて仕事ばかりしていないで、
被造物(creature)を見ないと始まらない。

 花野さん作成の番組はスゴ録でとっていて、
「エンタの神様」を20分。
 才能ある若手芸人が懸命にやる姿は好きだ。
しかし、
笑いの文法に現れる現代日本の精神は痛々しかった。
 私たちは、本当に閉塞してはいないか。
 人間(じんかん)にまみれてばかりいないで、
たまには自然の被造物でも眺めてみたらどうか。

1月 30, 2005 at 06:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/01/29

京都賞

「テレビも撮るラガーマン」こと、
テレビマンユニオンの
花野剛一さんがこんなにいい番組をつくったそうです。
今晩(1月29日(土)夜10時〜)
放送だそうですので、みなさんぜひ見ましょう!


1月 29, 2005 at 03:01 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

卒業写真

蓮沼君、杉原君、植田君

昨日撮影した君たちの卒業制作関係の全写真を
ここに置きました。

http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/geidaigraduation2005/geidaigraduation2005.html

ピンぼけや失敗もありますが、とにかく全部
置きます。

杉原のパフォーマンスの一部を撮った動画を、
ここに置きます。

http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/geidaigraduation2005/sugihara1.MPG

http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/geidaigraduation2005/sugihara2.MPG

http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/geidaigraduation2005/sugihara3.MPG

1月 29, 2005 at 02:49 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

はなむけの言葉

 東京芸術大学の学生たちの卒業制作の内覧会
があった。

 ふだん、彼らが使っているアトリエで
作品を展示する。
 植田工も、蓮沼昌宏も、杉原信幸も、
最後の日々は、
みんな死にそうになって描いていた
ようだった。

 通過儀礼とは、そのようなものだろう。

 蓮沼、杉原の作品の前で、本人といっしょに
写真をとる。
 植田は、風邪を引いたといって寝ていたので、
撮影できなかった。


杉原信幸と、卒業制作


蓮沼昌宏と、卒業制作


植田工の自画像

 杉原が、パフォーマンスをやった。
 黒いアクリルを塗りたくった黒まだら原始人に
なって、
 枯れ葉をまき散らし、トイレットペーパーを
参列者の頭の上に敷き出し、
 水を出しっぱなしの流しに身体をつっこんで、
そのまま動かなくなった。
 杉原の上にあるのが、自画像である。


杉原信幸のパフォーマンスと自画像

 今月号の芸術新潮のマルセル・デュシャン特集に、
デュシャンにとっては、すでにあるスタイルで
絵を描くことは、一種のレディ・メードだった
とある。
 何十倍もの倍率をくぐり抜けて入ってきた
彼らのこと。
 なになに風の絵を描くことは可能だろうが、
それはレディ・メードである。
 そのあたりに転がっている便器を拾ってきて
署名するのと何も変わりはしない。
 そんなキビシイ世界認識の中で、彼らが闘って
いることは、2年付き合ってきたから、
よく判る。

 世の中に出ていけば、相変わらず印象派だ
院展だ、号いくらだと言っている世間がある。
 内発的なオリジナリティに対して冷淡なのは、
別に芸術の世界に限ったことではない。
 君たちは目の前に何の具体的な未来を
描くことができなくて、途方にくれている
のかもしれないが、
 それは本当に新しいことをやろうと
している人たちが、誰でも直面することです。

 君たちに授業もしてくれた、親友の
池上高志が、こんなことを描いています。
 科学的知識を、「アート」と置き換えれば、
今日、一つの通過儀礼を成し遂げた君たちに、
最高のはなむけの言葉になるでしょう。

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最近は科学の上での根本的な考え方はあんまり進歩していない。
知識だけがどんどん増えて、最新のことは他の分野の
人やちょっと離れた人はぜんぜん知らない。

もっとも考え方の展開を伴わない、こまごまとした知識は
およそ興味を持てないものである。感動がない。そんなものは
ネット上に転がっている。

伝わる知識の量にはそういう意味で上限がある。
興味がないから、感動がないから、みんな学ばないし分からない。
それが遺伝子にはない、ミーム限界である。

しかし、ばーんとした根本的に新しい考えや見方は
みんなも食らい付いてくるだろうし、伝わる。
伝わらない科学的知識に、なんの意味があるだろうか。
(池上高志)

1月 29, 2005 at 09:26 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/01/28

一匹と九十九匹と

筑摩書房の増田健史さんが、
福田恆存「一匹と九十九匹と」
をメールで送ってくださった。
増田さん、ありがとう。

「なんぢらのうちたれか、百匹の羊をもたんに、もしもその一匹を失はば、九十九匹を野におき、失っせたるものを見いだすまではたづねざらんや」(ルカ伝第十五章)

……かれは政治の意図が「九十九人の正しきもの」のうへにあることを知つていたのに相違ない。かれはそこに政治の力を信ずるとともにその限界をも見ていた。なぜなら彼の眼は執拗に「ひとりの罪人」のうへに注がれていたからにほかならぬ。九十九匹を救へても、残りの一匹においてその無力を暴露するならば、政治とはいったいなにものであるか――イエスはそう反問している。

文学は――すくなくともその理想は、ぼくたちのうちの個人に対して、百匹のうちの失はれたる一匹に対して、一服の阿片たる役割をはたすことにある。

そしてみづからがその一匹であり、みづからのうちにその一匹を所有するもののみが、文学者の名にあたひするのである。
 かれのみはなにものにも欺かれない――政治にも、社会にも、科学にも、知性にも、進歩にも、善意にも。その意味において、阿片の常用者であり、またその供給者であるかれは、阿片でしか救はれぬ一匹の存在にこだはる一介のペシミストでしかない。その彼のペシミズムがいかなる世の政治も最後の一匹を見逃すであらうことを見ぬいているのだが、にもかかはらず阿片を提供しようといふ心において、それによつて百匹の救はれることを信じる心において、かれはまた底ぬけのオプティミストでもあらう。そのかれのオプティミズムが九十九匹に専念する政治の道を是認するのにほかならない。このこれのペシミズムとオプティミズムとの二律背反は、じつはぼくたち人間のうちにひそむ個人的自我と集団的自我との矛盾をそのまま容認し、相互肯定によつて生かさうとするところになりたつのである。唾棄すべき観念論的オプティミズムとは、この矛盾をいづれの側へか論理的に一元化しようとするこころみを意味する。

1月 28, 2005 at 08:44 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

泡立つシャンパンの杯がある

泡立つシャンパンの杯がある

岩國修一さん

に、銀座の
「久兵衛」

でご馳走になる。
 岩國さんは、お酒をどんどん頼んで、お腹が
一杯になった。
 
 カウンターに座る人たちの顔をなんとなく
見ていたら、とても鮮やかな赤い服を
着た女の人がいた。
 そで口に丸い毛糸の飾りが沢山着いている。
 隣の男の人は、なんだか少し憂いに満ちた
ような、落ち着いた顔をしている。

 そのコントラストが興味深くて、
 飲みながら、なんとなくちらちらと
そちらを見ていた。

 帰る時に、店の人があれは杉田かおると
その夫だという。
 私はテレビをあまり見ないし、
最近週刊誌でそのニュースを読んでいた
だけだから判らなかった。
 いずれにせよ、
二人の落ち着いた雰囲気が印象に残った。
 きっと、波長が合っているのだろう。
マスコミで報道されることは、あまり参考に
ならない。

 岩國さんに「二次会」で連れていって
いただいたバーから、下を見ていると、
美術館ビルの下から、ひっきりなしに
迎えと見送りの女の人が出てくる。
 漱石の『三四郎』に、こんなことが書いて
あるのを思い出していた。

 三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。
与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。
すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。
(中略)第二の世界のうちには、苔のはえた煉瓦造りが
ある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔が
よくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけな
ければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。
(中略)
 第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。
電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語
がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての
上の冠として美しい女性がある。

 銀座には泡立つシャンパンの杯がある。一方、大抵の
人の仕事というのは地味な職人の世界だ。
地味な仕事の世界からシャンパンの
世界を見ると、三四郎のように感じるのだろうが、
中に入ってしまえば、それもまた職人的な
地味な仕事と感じる瞬間が来るに違いない。
 つまりは、感性は差異に規定されている。
デリダあたりがそういっているんじゃないのか。

1月 28, 2005 at 08:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/01/27

イメージする脳

現代思想 2005年2月号
特集=脳科学の最前線

討議
イメージする脳 茂木建一郎 港千尋

ただいま発売中

http://www.seidosha.co.jp/siso/200502/

1月 27, 2005 at 11:19 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

国家の概念

 先日いらした帆足亜紀さんは、
「日米学生会議」で私の同期だった。

 みんなで一ヶ月アメリカ各地をまわったが、
まだ20台前半の若造だった私にとって、
アメリカの学生といろいろ議論したのは
大変良い思い出になっている。

 私は国際関係のフォーラムにいて、
「国家の概念」について論文を書いた。
 同じフォーラムの道場くんが、
concept of nation? concept of nation?
what?!
 と頭を抱えていたのを、今でも思い出す。

 私が書いた論文は、今でいうsmall world network
のようなもので、
 要するに国なんて相対的なもんだろう、
情報のやりとりのネットワークの粗密で定義
されるだけだから、
 ネットワークのアーキテクチャーを変えて
しまえば国家なんてどんどん変わっていく
(変えてしまえ!)というのが私の主張だった。

 当時私は法学部に属していたけど、
リーガルマインドに物理屋のアナーキズムが
結びつくとああいうことになる。

 あれから20年。国民国家の歴史的必然性とか、
パワーストラクチャーの切実性とか
エトスとかパトスとか、年齢なりに酸いも甘いも
かみ分けたようになってきたが、
Nation Stateをまるでアプリオリに天から与えられた
もののように論ずるやつらのことなど
知ったことかという気持は変わらない。

 太陽の真ん中で4個の水素原子が核融合して
ヘリウムとなり、
 そのγ線が8分19秒かかって地球に
降り注ぐ。
 それがこの宇宙であるわけですが、
それで、なんですか、そのnation stateというのは。
へえ、そんなもののために、戦争したり、
エラソーな判決を

下したりするんですか、ご苦労さまですね。
 そんなパンクな気分は、全てのまともな
創造者に共通なんじゃないか。
創造性にはまったく興味がないような、
ストーンヘッドのやつらはどうだか知らない
けどね。

この宇宙をまともに観れば、
そこにあるのはabsurdityであり、
だからこそhumanな価値を大切にすべき
なのであり、
その中からしか、本当のbeautyもtruth
もつかみ取ることはできない。

こんなことを書くと、「コイツは何を言っている
んだ〜」をアタマを抱え込む「文系」の人が
いるかもしれないけど、
知ったこっちゃない。
科学的世界観のabsurdityは、そんなに
底が浅いもんではありません。
科学者というと、白衣を着て試験管振っている
害のないヒトタチだと思っているかもしれないが、
本当にモノゴトが判っている科学者が
胸のうちに秘めているabsurdityの根は深い。

池上高志や、寺田寅彦の微笑みの裏に
何が隠れているのか、もっともらしい法体系を
振り回しているやつらには想像も付かないだろう。

1月 27, 2005 at 08:40 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2005/01/26

The Ancient Qualia Cafe

1999年2月2日オープンの老舗、

The Ancient Qualia Cafe 

も引き続き営業しております。

1月 26, 2005 at 08:55 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

仕事セラピー

しばらく前から、Spiritual Emergency
(魂の危機)と
Spritual Emergence(魂の創発)は
関係している、ということを言ってきた。

 ここのところ、私は自分の置かれた文脈について
いろいろ考えているが、
 そんな中、
 集中して難しい仕事を一つ仕上げると、
なんとも言えない達成感があることに
気が付いた。

 単に機械的にやるのではなく、
複雑に絡み合ったパズルを解くような思考を
うんうんとやっていると、
 やり終わったあとには、100メートルを
全力疾走したあとのように酸欠状態になる。
 それが爽快で、一種の癒し効果があるから、
 これは「仕事セラピー」とでも名付けることが
できよう。
 いわゆるワーカホリックとは違う。

 夕刻、矢来町の新潮社へ。
 北本壮さんと、1時間くらい打ち合わせ。

 北本さんは、独特のしゃべり方をする。
 その独特感が、どこから来るのか、きのう
やっと判った。

 北本さんは、話しながら、3割くらい自分自身
の中で反芻しているのである。
 そのあたりの間合いが、独特感につながっている。

 打ち合わせを終えて、いい時間になったので、
新潮社近くのBrusselsへ。いろいろなベルギー
ビールが飲める。
 酒を飲んでいたら、反芻が次第になくなって
ずどんずどんと直球が来るようになった。
 反芻していたときは、きっと北本
コンピュータがぐるぐる回転していたに違いない。
 オンとオフの北本流である。

 そうしましょう、ということで、
その場で佐藤雅彦さんに電話を差し上げた。

 オンの仕事も楽しく、オフの遊びも
楽しければ、コンティニュアスの愉しみで、
人生これほど良いことはない。

 北本さんと島田雅彦さんの噂をしていたら、
昨日の朝日新聞の文芸時評に島田さんが
書いている。
 韓流ブームと在日文学を取り上げつつ、
最後に、ギター侍風に、「芥川賞斬り!」
をやっている。
 面白い。

1月 26, 2005 at 07:04 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/25

補助線を引くこと。

この前、朝日カルチャーセンターの
飲み会の後で、
 テレビマン・ユニオンの花野さんに、
「茂木さんをどう定義づけていいか
わからなくて困るんですよね」と言われた。

 オレも困っている。
肩書きは、一応「脳科学者」としているけど、
本当は「その他」(others )としたい。

 花野さんは好意的な意味で言ってくださった
のだけど、
 いわゆる「専門性」を重視する人たちからは、
時に敵意を感じることがある。
 知ったことではないが、
 補助線の引き方が勝負だとは思っている。

 幾何学の問題で、線を一本引くと
一気に問題が明快になる。
 蛸壺化を超えるには、うまい補助線を引くしか
ないのではないか。
 齋藤孝さんの言う「大技」である。

 アーカスプロジェクトの帆足亜紀さんが
研究所に来て、
 プロジェクトのあらましを話してくださった。
 芸大から、植田、杉原、蓮沼も来た。

 植田たちが、アートのことを帆足さんと
いろいろ喋っているのを聞いていて、
 ああ、アート固有の専門性というのは
こういうものかと思った。
 しかし、私の仕事はその外側の一見関係
ないものとの間に補助線を引くことだから、
とりあえずothersとしてそこに入っていくしか
ない。

 不思議なもので、othersとして補助線を引こう
としていると、
 ちゃんと共感したり、支持してくださる
人たちもいる。
 もちろん摩擦もあるけれども、
 「沈香も焚かず屁もこかず」よりは良いの
ではないか。

 私の全ての活動の根底には「感動」
があって、
 別に世間的に偉くなろうとか、人に認めて
もらおうとか、そんなことが第一義的なのではない。
 科学をやっているのも、アインシュタインの
相対論、ヘイゼンベルクの量子力学のような、
とてつもなく深い世界認識の在り方に感動した
からである。
 いわゆるconventional scienceの枠内に
とどまる気がないのも、そこに本当の意味での
感動がないと思っているからだ。

 心脳問題というのは、結局、心と脳という
全く属性が異なるものの間に補助線を引こうという
試みなのだろう。
 いくら難しくても、他に根源的な感動を与えて
くれるであろう問題がないんだから、しかたがない。
 当分はothersとしてあれこれと補助線を
引いていくしかないだろう。

1月 25, 2005 at 06:24 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/24

口げんかの効用

私はかなりやんちゃというか
血の気が多い子供だった。
 親友とも、かなり激しい口げんかをした。

 今でも忘れられないのは大野茂幸くんのことである。
 大野君はスポーツ万能で、不思議な能力を
持っていた。
 いっしょにクワガタを捕りにいくと、
なぜか知らないが隠れている場所を探り当てて
しまうのである。

 ある時、どのように探してきたのか知らないが、
お金が焼けてたくさん土の中に埋もれている
場所を見つけてきた。
 大野君と10円玉とか5円玉を掘り起こした。
 全部で数百円はあったと思う。
 
 それを持って駄菓子やさんで買い物をする時、
私は変色したお金が恥ずかしくて少し気後れして
いたのだが、
 大野君は堂々としていた。
 十五少年漂流記の隊長のように頼れる少年だった。

 その大野君と、小学校4年生の時、
何がきっかけだったか、
もの凄い口げんかをしたことがある。
 大野君は怒ると口がとんがってひょっとこの
ようになる。
 そこから湯気が出るのではないかというくらい
真っ赤になった。
 こちらも負けずにののしって、
険悪なまま別れた。

 翌朝、私は教室で大野君と顔を合わせるのが
なんとなく気恥ずかしくて、斜め70度くらいを
見ながら登校した。
 そうしたら、あっさりしたものだった。
 大野君は、昨日何もなかったかのように
「おう」と言ってきたのである。
 私も「やあ」と言って、そのまま笑顔で
談笑し、いつもの通りの親友になった。

 別に二人とも記憶障害だったわけではない。
徹底的に口げんかをすると、火山の噴火の後に
かぐわしい花の匂いがするがごとく、
 明るいカタルシスがあるのである。

 あの頃のことを思い出しても、
 口げんかには明らかな効用がある。

 私は日本人だが、中国、北朝鮮にはそれぞれ
言い分があるだろうということは想像できる。
 だったら、思い切り口げんかしてみたらどうか。
 きっと、噴火の後にかぐわしい花の匂いがして
くるのではないかと思う。

1月 24, 2005 at 07:53 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/23

三角ベースと透明ランナー

ヨミウリ・ウィークリー 2005年2月6日号
(2005年1月24日発売)
に、
茂木健一郎 「脳の中の人生」 第38回
三角ベースと透明ランナー
が掲載されています。「草野球」を題材に、創造性を育む、「メタ認知」
のメカニズムについて考えています。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

1月 23, 2005 at 08:23 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

リンゴの香りを楽しむこと

とっぷりと日が暮れた頃、
まだ開いているかな、と思いながら近所の
八百屋さんに走った。
 最近は、二つある八百屋さんでの
 会話を楽しみにしている。
 スーパーでは野菜は買わなくなった。

 黄色いリンゴと、赤いリンゴがあったので
迷った。
 黙って買ってしまえばそれだけだが、
何か一言言えば、おしゃべりなおじさんのこと、
 会話になるとわかっている。
 
 「どういう違いがあるんですかね」というと、
案の定始まった。
 「こっちはね、少し香りがあって、柔らかい。
こっちのやつは、堅めかな。」
 堅めの赤い方を選んだ。

 おじさんはそれだけでは終わらない。
 「お年寄りなんかはね。この黄色いのを買って
いくの。部屋の中において香りを楽しむんだよね。
歯にもやさしいでしょ。」
 リンゴの香りを楽しむというのは初めて知った。

 「このキュウリはね、関東のやつだから。新鮮で
おいしいですよ。広島とか熊本から来たので、
きのうとれましたというのは、ウソだからね。
選果して、仕分けして、配送したら、1日で届く
はずがないからね。どうしても鮮度が落ちて
しまいますよ」

 それぞれが専門性の中でベストを尽くし、
お互いにそれをリスペクトし合うのが
よい社会だろう。 
 八百屋なんて、野菜や果物を持ってきて
売っているだけだろう、と思うようなやつらが
社会にのさばって欲しくない。
 ITが未成熟な今、
そんな乱暴がのさばってはいないか。

 他者というのは、絶対に消費され尽くせない。
 その核に、原理的に不可視な部分を持っている
からだ。
 お互いに見えない部分を尊重し合うことは、
専門性をリスペクトし合うことに似ている。
 無趣味のおじいさんだと思っていたら、
案外リンゴの香りを楽しんでいるかもしれない
じゃないか。

1月 23, 2005 at 08:19 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/01/22

アートセミナー「日常的に表現すること」

アーカスプロジェクト
第2回アートセミナー  「日常的に表現すること」
講師:日比野克彦
   茂木健一郎
日時:2005年2月19日(土)13:00〜17:00 (講演・ワークショップ・対談の三部構成)
会場:つくば国際会議場 1階 多目的ホール

詳細は、

http://www.arcus-project.com/japanese/community/seminar.htm

1月 22, 2005 at 07:59 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

デジタルの海の中で私秘性を取り戻すこと

藤原書店 『環』vol.20 特集 「情報」とは何か
p.128-133
デジタルの海の中で私秘性を取り戻すこと
茂木健一郎

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/index_2.html

1月 22, 2005 at 12:51 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

Lecture Records

原研哉 × 茂木健一郎 対談
『脳とデザイン』

(mp3, 27.5MB, 121分)

http://www.qualia-manifesto.com/kenmogi.html

の「芸術」のセクションにあります。

1月 22, 2005 at 12:39 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

職人として

原研哉さんとの対談。
 とても楽しみにしていた。
 内容については、mp3 にある通り。
 いつものように、電通の佐々木厚さんが
写真を撮ってくださった。

原研哉さんと

 昨今の情勢を見ていると、
 世の中には、腹が立つこととか、
ずうずうしいやつとか、
勘違いしている輩とかいろいろ
いるけど、
 とりあえず黙って良い仕事をするしかない。

 自分のことは棚に上げて、
他人のことをああだこうだいうやつが一番アッタマ
に来る。
 いざとなったら、荒野で一人で生きて
みれば良い。

 注文していたウクレレがきた。
ピアノとチューニングしていたら、
 少し気分が良くなった。

1月 22, 2005 at 12:36 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/21

脳とデザイン

本日 朝日カルチャーセンター講座
「脳とデザイン」第一回

第一回は、デザイナーの原研哉さんをゲストに
お迎えします。本日だけの受講もできます。

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture18.html

1月 21, 2005 at 09:16 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

dictionary 102号

天才・桑原茂一がつくるフリーペーパーdictionary 102号、ただいま制作中!

1月 21, 2005 at 06:52 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

文脈の海に飛び込む勇気

考えるべきことが随分たまってしまったので、
久しぶりに1時間歩いた。

 「自分探し」というメタファーは、
間違っていると考えているし、
 本の中にも書いた。
 しかし、歩きながら、次第に社会的
文脈から解き放されていくと、
 なるほどと思うことがある。

 この数日の不調は、結局、文脈病だった
ように思う。
 このところ、社会的文脈の中で、
こんなことをしなくては、この仕事を
終わらせなければということが続いて
来た。
 文脈があることはありがたい
ことだが、
 息苦しく感じることもある。
 誰にでも思い当たることがあるはずだ。

 そんな時、砂漠に行ったり、海辺を
歩いたりすれば、なるほど、文脈が
外れて裸の自分が出てくる。
 「自分探し」とは、社会的文脈を
脱ぐことかと思えば、納得がいく。

 歩きながら考えることは、
短期的な仕事に結びついている
ことではなくて、
 とてつもなく根本的だが、
しかしとりあえずはどうすることも
できない問題である。
 「今」という時刻の特別性、
「私」という存在の絶対性、
他者との絶対的隔絶といった
問題は、明らかに重要であるが、
 社会的文脈に容易に結びつけようも
ない。

 そして、そのような根本問題は、
きわめて私秘的(プライベート)な
意識の中の感覚として捉えられているのだ。

 青春というのは、つまり、そのような
文脈付けしようもない根本問題が
生活のかなりの部分を占めてしまうことを言う
のだろう。

 社会的文脈の中で「成功」している
人を見ても、それはそれだけのこと
であって、さほど心を動かされなく
なってしまったのは、
 結局、文脈の中に存在し、機能する
ということが、
 私秘性から遠ざかるベクトルだと
見極めたからではないか。

 ただ、ごく一部の人たちだけが、
社会的文脈を引き受け、同時に
私秘的な感覚に寄り添い続けるという
両義性の奇跡を
実現しているように見える。
 そのような人たちが創り出した
作品に、私たちは感謝の気持ちを捧げる。
 あいつは天才だ、と讃える。

 文脈から離れて裸の魂になる。
 そんな時間を持つことで、
また文脈の海に飛び込む勇気が出来るのだろう。

1月 21, 2005 at 06:28 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/01/20

違った人生を運んでくる

東工大すずかけキャンパスで、東工大の産学協同
の仕事をされている三菱商事の方々と合う。
 714号室の居室には、久しぶりに行った。
 エアコンのコントローラの電池がなくなって
いたので、
 ICレコーダーの電池を供出した。

 東工大の特任教授をされている武田基秀さんから
 いろいろおもしろい話を伺った。
 今の最大の収益源の一つは、オーストラリアの
石炭だそうである。
 中国の鉄鋼産業の隆盛で石炭需要が増加
しているとのこと。
 森村実さんは、人工衛星の打ち上げのビジネスを
していて、
 クリスマス諸島に行っていたそうである。
 ハワイからチャーター便が出ている。打ち上げ
直後のロケットの軌道を観察するのにクリスマス
諸島が良いらしい。
 河野真紀さんのリクルート時代の話など、
経済の動きがリアルに伝わる時間だった。

 学生の居室を除いたら、小松三佐子さんが一人
黙々と仕事をしていた。
 ちょうど部屋を出てきた
 中村清彦先生と一緒に青葉台に向かう。
東工大の新年会である。
 くじ引きで、席が決まる。
周りには、宮下英三、廣田薫、山村雅幸、村田智、
高玉圭樹の各先生方がいた。

 山村さん、村田さんとの会話がおもしろかった。
ナノテク周りでDNAを使う話。
 私も修士の時はタンパク質の精製などを
していたから、昔の血が騒ぐ。
 どうも、世の中にはおもしろいことが
ありすぎて困る。

 実はこの2、3日アタマが疲労していたが、
すずかけ台への行き帰りの電車の中で
仕事に全く関係のない音を聞き、
関係のない本を読んだら回復してきた。
 やはりall work and no play makes john a dull
boyである。

 他人としゃべるのも良い。
 自分とは全く違った人生の感触が運ばれて
くる。
 世界の中に、人間の数だけの中心がある。
この見通しの悪いマルチチュードの構造が、
実は世界のリッチネスの根源なのだろう。

1月 20, 2005 at 08:28 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/19

英世のキモチになって

田谷文彦君とやっている研究のデータの
意味について、いろいろ考える。
 その意義については、それなりに自分の
中では決着が付いていたと思っていたが、
 改めて考えてみると、別の様相が
出てくることに驚く。

 温度を高くして、一度準安定状態から
脱出させて、「焼き鈍し」をすると、
別の状態に行く。 
 その時、一種のFOK(feeling of knowing)
が関与してくることが不思議だ。

 桑原茂一さんの悪だくみで、原宿の
スタジオに行く。
 野口英世の格好で写真を撮ろうと
いうのである。
 新しい千円札が出たとき、似ていると
いろいろな人に言われた。
 もっとも似ているのは髪型だけで、
頭の中身や性格は違うと思う。
 英世には浪費癖があったそうである。

 ずっとYMOのジャケットなどを
担当されていたアートディレクター
の中島さんが注文を出して、
noboru tomizawaさんがヘアをいじる。
 13日に桑原さんからの「指令」をいただいて、
それから口ひげを剃るのをやめたが、
足りなかったので、tomizawaさんが
マスカラをつけた。

 カメラの方が、英世の写真を見ながら、
もう少し前のめりに、顔をこちらに
向けて、あごを引いて、などと注文をつける。
 もう少し目を柔らかく、あっ、今の
感じですなどと言われているうちに、
サーボモータで動く春風のような
気分になった。

 オレは小さな時に囲炉裏に手を
つっこんで・・・
 などと英世のキモチを一生懸命
想像していたら、吉村栄一さんが、
「乗り移ってきましたね」と言った。
 天才・桑原茂一に載せられて、
なんだか妙な内観を得てしまったような
気がする。

 ポラロイドで何枚か撮ったうち、
使わないものを一枚頂いてきた。

 2年前に研究所に来ていた、アーノが
アドリーヌと生まれたばかりのルーを連れて
来た。
 五反田の『遠野物語』で歓迎飲み会。
 「動くイクラ寿司」など、奇妙なおもちゃを
買ってきてルーにあげる。
 アーノはパリ郊外で
ゲームのプロデューサーをしているとのこと。
 研究室で行った沖縄の渡嘉敷島のビーチで、
突然みんなが発狂して海にお互いを投げ込み
合い始めたあの夜がなつかしい。
 あの時は今はホンダにいる長島久幸君も
いた。

1月 19, 2005 at 08:50 午前 | | コメント (7) | トラックバック (0)

2005/01/18

人が興味を惹かれるしくみを探る

2005年1月18日発売
Web Designing 2005年2月号

茂木健一郎 人が興味を惹かれるしくみを探る

1月 18, 2005 at 09:27 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

Popular Science

Popular Science 2005年2月号
総特集 驚愕の近未来予想図

p.67-73
先端人 未来は脳からやってくる 茂木健一郎 
p.80-81
未来の「アウラ」はどこから来る? 

1月 18, 2005 at 08:45 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

青春の空白

お昼過ぎくらいから、胃腸の調子が少しづつ
回復してきて、仕事をする気力がわいてきた。
 復活ののろしは、Lotte ラミー・チョコレート
だった。
 それで、やらなければならないことを
次から次へと片づけていった。
 
 仕事は集中して、ぱっとやるのが好きである。
 なぜかと言えば、やりたいことが本当は
沢山あるからだ。
 素早く終わらせていかないと、やりたい
ことをやるだけのスペースができない。
 しかも、やりたいことは本当は予め
決まっているわけではなくて、
 セレンディピティを通して出会う
こともあるのだ。

 本来は、人生の時間の2割くらいは、
予め何をするか決まっていない、ワイルドカード
であることが望ましい。
 空白は、空白のようで空白ではない。
 このあたりのことを、金曜日に朝日カルチャー
センターで対談する原研哉さんと話し合いたい
と思う。

 胃腸の調子が悪かった朝、寝転がって
『三四郎』を再び一気に読了してしまった。
 何だか胸がいっぱいになった。
 青春というものはこういうものである。 
 美禰子に惹かれ、破れる三四郎はもちろんだが、
 与次郎や広田先生も青春の中を歩んでいる。
 青春とは何かといえば、それは大いなる空白の
ことではないか。 
 三四郎の恋人とは、実は空白のことである。

三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子が
がらりと開いた。与次郎が手欄の所まで出てき
た。
「行くのか」と聞く。
「うん、君は」
「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」
「いっしょに行こう。家にいたってしようがない
じゃないか」
「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなか
それどころじゃない」
 三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあ
とを追いかけた。

 このあたりの調子が好きである。むろん、与次郎が
大論文を書き上げるはずがない。書き上げない
のにそのつもりになっている。それが
青春の空白だ。

 やたらと忙しがっているやつはバカである。
 空白のない人生に、何の意味があろうか。
 養老孟司さんが、予定が入ってしまった未来は、
現在と同じであると言われたことがある。
 未来に予定を入れないためにも、今目の前に
ある仕事に集中して、片づけていくことに
しよう。

1月 18, 2005 at 06:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/17

複雑さに真剣に向き合うこと

メディカル朝日 2005年1月号 p.38-39
茂木健一郎 複雑さに真剣に向き合うこと

http://www.asahi.com/medical/

1月 17, 2005 at 06:00 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「ど忘れ」の思わぬ効用

茂木健一郎 「脳の中の人生」 第37回

「ど忘れ」の思わぬ効用

ヨミウリ・ウィークリー 2005年1月30日号
(2005年1月17日発売)

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

1月 17, 2005 at 08:47 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

腹のこと

風邪のせいなのかどうか、胃腸がどんよりと
重く、
 一日中じっとしていた。
 どうやら世間でもそのような人が多いらしいが、
どうにも気合いが入らない。

 意識の中心は間違いなく脳だが、
腹に中心がある自分も間違いなくある。 
 腹の調子が悪いと、そちらの自分が調子悪くなる。

 食欲もなく、一日でまともに食べたのが、
カレーライス半杯。
 あとはバナナやヨーグルトなど。
 ソファに寝転がって、
 ベルグソンを読んで、
それから、
 吉本隆明の『夏目漱石を読む』を読んだ。

 吉本さんの本をここのところ続けて
読んでいるが、信用できる人だなあ、と思う。
 いくら知が立ったって、信用できないやつはいる。
 脳と腹の関係に似ていないこともない。
 
 寝ているとき、ふと、現実と仮想のからみつき
方が変容する気配がすることがある。
 現実に比べて仮想の比重が増して行くから
だろう。
 時々想像してみることがあるが、
プラスティックの生命維持装置に入れられて
宇宙空間の中を漂流するハメになったら、
 圧倒的に仮想の比重が支配的になるだろう。

 ジョン・C・リリーの感覚遮断装置は、
まさにそのようなものであった。
 
 仮想が大切だ、といっても、現実との
バランスがあってこそで、
 経験主義科学や
リアリティといったいうことは、
腹のようなものなのだろう。
 早く腹を治したい。 

1月 17, 2005 at 08:43 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/01/16

Morning Rain

雨は降っていたが、ここのところずっと
走っていないので、
 パーカーを着て外に出た。

 公園は人の気配がなかったが、木立の
中を歩いている人たちはいた。
 犬の散歩をさせているのである。
 もっとも、彼らは傘をさしている。
 私は、フードさえも何だか邪魔に感じられて、
髪の毛をむき出しで走る。

 森の斜面で転んで、手が泥だらけになった。
 地面がつるつるしていたのである。
 そのまま走り続けた。

 身体が姿勢を崩し、
地面に打ち付けられるまでの短い
時間に、脳はどのように学習するのだろう。
 もはや、転ぶことは贅沢な体験のように
感じる。
 もっとも、雨の中を走り出し、
わざわざ森の斜面を駆け上がった時すでに、
 無意識に転ぶことを求めていた
わけでもあるまい。

 雨の中を歩く、というメタファーは
好きだ。
 とりわけ、morning rainの中を
歩く、という考えにとても惹かれる。

 確かPPMにそんな歌があったな、と思い、
検索した。

In the early morning rain with a dollar in my hand
And an aching in my heart and my pockets full of sand
I'm a long way from home and I miss my loved ones so
In the early morning rain with no place to go

 悲しい歌詞だけど、メロディーはある種の幸福感
に満ちている。
 雨が降ると、自分の身体のまわりの空間が
とてもプライベートでコージーなものに感じられる
のは何故なのだろう。

 morning rainの中を走っている時のやわらかな
繭も良かったし、
 それを破った身体の墜落も味わい深かった。

 なぜ、朝の雨じゃなければならないのか、という
ことは、詩と表象の領域に属する問題である。

1月 16, 2005 at 12:01 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/15

The Qualia Cafe


The Qualia Cafeをオープンいたしました。

1月 15, 2005 at 06:19 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

感情のコントロールと脳

金子書房 「児童心理」2005年2月号
p.21〜p.26
茂木健一郎 感情のコントロールと脳

http://www.kanekoshobo.co.jp/magazine.htm

1月 15, 2005 at 01:58 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

金で買えない 快楽について

エンジン01文化戦略会議オープンカレッジin穂の国

2月26日(土)15:00〜16:45 豊橋グランドホテル

「金で買えない 快楽について」
船曳建夫・植島啓司・島田雅彦・茂木健一郎

チケット発売中

1月 15, 2005 at 11:29 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

devil's advocate

 ゼミは、Journal Club で田谷文彦と須藤珠水が
論文紹介。
 どちらもとびっきり面白い論文で、
 堪能した。
 Journal Clubにどのような論文を選んで来るかに、 
 研究者としてのセンスが表れる。

 その前に、関根崇泰がボディ・イメージについての
brain stormingをやったのだけど、
 その時、どうも風邪を引きそうな気配がした。

 あたまの中が暴走して、さまざまなアイデアが
湯水のように沸いてくる時は、大抵
体調が下り坂の一歩手前になっている。
 そのことを、人生の経験で知っている。
 暴走は風邪の入り口である。

 ちょっとセーブすれば、風邪を引かなくて
済むかもしれない。
 しかし、面白いことについて考えるのは、
最高の快楽である。

 夜、ソニーのデザインセンターの森宮祐次さん、
Cloud Design
の三浦秀彦さんと五反田の「わにや」
で飲んだ。

 二人ともとびっきりのクリエーターで、
話が面白い。
 対話ほどの快楽はないなあ、と磯自慢を
飲みながら思う。

 最近の日本で心配しているのは、対話が
ないことである。
 問答無用は困る。
 中国や北朝鮮には、それぞれの立場や
言い分があるに違いない。

 立場が違う人との対話ほど、学ぶことが
多いことはない。
 以前、中国の人にチベット問題についての
議論を吹っかけたが、
 中国人には中国人なりのチベット観が
あることがよくわかった。
 最終的に自分がどのような態度を
とるかにかかわらず、
 とにかく対話だけはしたことが良い。
 たとえ、怒鳴り合いになったとしても、
そこには必ず発見があり、メタ認知の立ち上がりがある
はずだ。

 森宮さん、三浦さんとの対話のように、
和してニコニコ、シンクロスィングも良いが、
 対立的な対話も良い。
 アメリカ風の「ディベート」技術はために
するようであまり好きになれないが、
 今の日本人にはむしろ必要かもしれない。
 
 ゼミの話に戻ると、柳川透がプログレス・
レポート。
神経回路網の
シミュレーションで、やっと着地点を
見つけ始めた。
 様々な結果を、ある概念で結果をまとめようと
している。
 有望だと思うが、科学においては
自分自身がdevil's advocateになることも
必要である。
 柳川くんは少しずつ学び始めている
と思うが、
 全般に日本の学生には(そして日本の文化には)
対立的議論を楽しむ気風が欠けている。
 トップの政治家からしてそうなんだから、
話にならない。

 devil's advocateの意味については、名古屋大学が
誇る科学哲学の俊英、戸田山和久さんのコラム に詳しいので、読んで
みてください。

1月 15, 2005 at 08:55 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/14

科学大好き土よう塾

2005年1月15日(土)9:00〜9:59
NHK教育テレビ
科学大好き土曜塾
 
 「機械はどうやってしゃべっているの?」

 人工音声合成が、なぜ難しいのか、人間の
発話行為のメカニズムの視点から解説します。

1月 14, 2005 at 09:58 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新年会

石山輝行さんから、新年会のお誘い。
 日比谷のイタリアン・レストラン、「ラ・ヴェルデ」

 最初は、大学の研究室の後輩、相内正治の
紹介で石山さんに会った。
 待ち合わせ場所が銀座のソニービルで、
相内が仕事で遅れた。

 初対面で、顔もわからないし、困った
なと思っていると、
 相内から電話があった。
 「茂木さんの近くで、ハワイの原住民
のような顔をした人はいませんか。それが
石山さんです」
というのである。

 ソニービル1Fにいる
たくさんの人の中で、どれが石山さんか、
それで一瞬にしてわかってしまったが、
 「ハワイの原住民でわかった」
というのが、
 何だか失礼な気がして、さらに数分だけ
待ってから声をかけた。

 相内というのは、学生の頃からとぼけた
男で、
 ある時、東大の龍岡門の前を相内
の車で走っている時、突然「茂木さん、
スピンしていいですか」と言うから、
何も考えずに、「ああ、いいよ」と言ったら、
どうやったのか、本当に車がくるっと一回転
スピンして、驚いたことがある。
 電通に入って、
水を得た魚になったのかもしれない。

 実は相内がこんなことを、
と石山さんに打ち明けて
大笑いしたのは、初対面の夜、
ワインを少し飲んでからのことである。

 その後、石山さんと
 一橋大学の阿久津聡さんを交えた
研究会をやったり、研究室の
小俣圭がアルバイトをさせていただいたり
して、おつきあいが続いている。

 ラ・ヴェルデには、山小屋風のランプが
あって、
 それを見ていたら、大学の時にそんな形の
アルコールランプを買って部屋に置いて
いたことがあることを思い出した。
 あの頃のセンチメンタリズムはどのように
変形して私の中にあるのだろう。

 青春はぎこちないが、
そのぎこちなさこそが大切な価値であると言語化
できたのは
 最近のことである。

1月 14, 2005 at 07:41 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/13

港さんとの対談

神田の学士会館で、写真家の港千尋さんと
対談。

 以前、NHK出版の大場旦さんのアレンジで、
池袋のジュンク堂で対談して以来である。

 港さんは、2年間オックスフォードにいて
帰ってきたところで、
 その滞在中、ウィンチェスターで
見たアントニー・ゴームリーの彫刻の話から
始まった。
 ゴームリーについて、港さんが
「先見日記」
で書かれた文章
がある。

 20世紀は映像の世紀だった。
 港さんが最近行かれたニューヨークのMOMAでも、
映像作品の展示スペースが格段に増えていたというが、
「イメージ」が意味するところの読みかえを
いかに脳科学の発展と連動して行っていくか
という命題を中心に議論は進んだ。

 『現代思想』2005年2月号、特集
「脳科学の最前線」に収録される予定。

 学士会館に来るのは久しぶりだったが、
改装してずいぶんキレイになった。
 中に11時くらいまでやっている
パブがあり、 
 キルケニーとギネスが飲める。

 対談を終え、ほっとして港さん、それに
『現代思想』編集部の鈴木英果さんと飲む
ビールはうまかった。
 途中で、鈴木さんが「ちょっとテープを
渡してきます」というから、おやまあ段取りの
良い、と思ったら、青土社はすぐ近くに
あるらしい。

 場所が変わると、物質的には同じビールでも、
明らかに味が違う。
 たまには学士会館で飲むのもいいな、と思う。
 そういえば、学士会館にはビリヤード場もある。

1月 13, 2005 at 08:41 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/12

脳科学から見た英語上達法

ただ今(1月8日より)発売中のヨミウリ・ウィークリー
2005年1月23日号

に、茂木健一郎 「脳の中の人生」 第36回

脳科学から見た英語上達法

が掲載されています。

エピソード記憶を蓄積することを通した英語上達
法について論じています。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

1月 12, 2005 at 11:24 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Discussion Records

鼎談 「明るく生きるために」 桑原茂一 × 吉村栄一 × 茂木健一郎

音声ファイル (MP3, 18.1MB 79分)

http://www.qualia-manifesto.com/kenmogi.html

のComedyのセクションにあります。

1月 12, 2005 at 08:43 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

飲むうちに慣れてくる

夕刻、桑原茂一さんのクラブキング
を訪れる。
 ここは、かつて寺山修司が住んでいたという
由緒正しい「アジト」である。

1月13日には店頭に並ぶ、という
『桑原茂一のスタイルのあるコメディ Style of Comedy』 が大量に届いていて、
私も一冊いただいた。
 『聞かせてよ愛の言葉』というCDも付いていて
1890円と、大変オトクである。
 私も、「桑原茂一の笑いを通して、世界の真実を知る」
という文を寄稿させていただいた。

 5階のスタジオで、桑原茂一さん、吉村栄一
さんと一時間ほど喋る。
 話題は笑いの本質から、昨今の社会情勢にまで
至り、
 現代人はいかにして明るく生きていくべきか
という命題をめぐり、丁々発止のやりとりが
続いていった。
 
 中目黒の「コトコト」に移動しましょう、
ということになり、
 桑原茂一さんの愛車のジャガーのところに行く。
しかし、しばらく室内でお待ちください、という。
 寒い日はエンジンが暖まるまで時間がかかる
というのである。

 スローフードならぬ、スローカーである。
 「もう、乗るの止めようと思うんだけど、何とか
なおしてくれちゃうんだよね。それでついつい」
と茂一さん。
 スタイリッシュなコメディを生きている。

 コトコトで吉村栄一さんの顔を見ているうちに、
はっと気が付いた。
 私は、このヒトに最初にあった時、実は
コワかった。
 しかし、お酒を何回か飲んでいるうちに、
慣れてきた。
 最近では、コワさは消え、限りない親しみを
感じている。
 一緒に酒を飲むうちに、人間は慣れて
くるんだと、真実の大命題を発見した気分になった。

吉村栄一さん(左)と桑原茂一さん(右)。中目黒「コトコト」にて。

1月 12, 2005 at 08:42 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/11

ライオン・キング

ミュージカルの公演には、自分から行った
ことはない。
 『キャッツ』も、
ニューヨークで見た『コーラス・ライン』も、
薦められてどちらかといえば気が進まないまま
行った。
 
 最後に見たのは『オペラ座の怪人』で、
十数年くらい前のことになると思うが、
ミュージカルというジャンルを忘れかけて
いた昨日、『ライオン・キング』に行く
ことになった。

 浜松町の駅から歩いてすぐの劇団四季の劇場は、
内装がヨーロッパを思い出させた。 
 私は劇場空間というものが
好きなのだな、と思った。
 暗がりの中、ぬくぬくと暖かいものに包まれて、
舞台で何かが始まる気配がたまらない。

 『ライオン・キング』は、視覚的には
大変よくできていると思う。
 ミュージカルで、多くの劇団員が生活できる
「システム」を創った劇団四季は大した
ものだし、
 多くの観客を集めているわけだから、
支持を集めているのだろう。

 私は、どうしてもオペラの名作から
受ける感動と比べてしまうが、
それはこっちの都合だ。『ライオン・キング』
を楽しんでいる子供をたくさん含む観客には
そんなことは
関係ないということくらい判っている。

 ウィーンで見たリヒャルト・シュトラウスの
『エレクトラ』(ハリー・クプファー演出)は
存在の根底が揺らぐような感動を与える
名演だった。
 しかし、そんな化け物みたいなものを
システムとして毎日やるわけにはいかないことも、
不特定多数の
観客の大量動員もできないことも判っている。

 現代の人間も、『トリスタンとイゾルデ』のよう
な作品に込められた仮想のヴィジョンの真実性を受
け止めることは知っている。東京でも、ロンドンで
も、ニューヨークでも、成功した『トリスタンとイ
ゾルデ』の上演の最後には、暴動が起きるのではな
いか、新しい宗教がそこに誕生するのではないかと
いうくらい、聴衆が熱狂する。
(茂木健一郎 『脳と仮想』(新潮社)より)

 あまりにも凄いものは、マスを動員する
商売にはなりにくい。
 魂の表面をマッサージする程度の方が商売に
なる。
 スペインの闘牛は、魂の奥まで切り込んで
くるけれど、
 やはりローカルな娯楽に留まっている。
 ミュージカルは、グローバリズムの本拠、
アメリカで発達しただけのことはある。 

 それにしても、『ライオン・キング』で、
ダンサーの動きが
ぴたっとはまって、何やらカートゥーンの
主人公を見ているように思える時に感じる
違和感は何なのだろうと思う。

 私は、完璧なフォームで斜面を
滑ってくるうまいスキーヤーよりも、
 ちょっとぎこちないスキーヤーの方が
魅力的に感じる。
 そのことに気付いた時には驚いたが、
 システムに絡めとられるよりも、
ぎこちなさの印象を与えるくらいの方が、
きっと「個」を感じさせるのだろう。

 だからこそ、もっともキャラが立ち、
英語でいういわゆる「ショウを盗む」
存在が役の名前は判らないけれど、プンバァ(イノシシ)
とティモン(ミーアキャット)だったことも
うなづける。

 音楽的に言えば、強く印象に残るメロディーが
ないのが泣き所か。
 唯一、おおっと魂がざわざわしたのは、
挿入された「ライオンは寝ている」だったが、
これはもともと押しも押されぬ名曲である。
 ディズニーと原曲の作曲者との間には
訴訟騒ぎが起きている。
 「ライオンは寝ている」の舞台である、
南アフリカに行ってみたくなった。

1月 11, 2005 at 07:58 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/10

人間がつくったもの以外を

寒空の下、二時間くらい外でぶらぶらした。

 寒さ暑さは皮膚全体で感じるものだ。
自分を膜が包んでいるような感じになる。
 冷たい空気に自分をさらしていたら、
なんだか、桃の皮にうっすらと包まれている
ようなきもちになった。
 
 なぜ桃の皮なのかと言えば、冷感の
層はそれくらい薄いし、また自分の皮膚が
桃色に近づいていくからだろう。

 人工的しつらいの中にいるとどうしても
忘れてしまいがちだが、
 自然の中には美があふれている。
 ふと見上げた木の枝が、日暮れて青から
赤のグラデーションを見せる空を背景に
黒くジグザグに走っている時、
 そこにはほれぼれとするような美しさがある。

 自然の美しさなど、昔から人類は
重々知っていたはずだが、
 文明肥大、自意識肥大になった現代の人間にとって、
自然の美しさほど脈絡がつけにくいものは
存在しない。

 私が本能的に警戒するタイプの人間は、
そのアタマの中身が社会的文脈の中にすっかり
絡めとられていて、
 すべてのもののraison d'etreが
社会的にしか意味付けられないような思考を
する輩だ。
 いわゆる「哲学」よりも、「思想」系の
人間にそれは多い。
 だから、私は、「思想」というものを
参照しようとは思うが、時に強い
拒絶反応を抑えられないことがある。
 エグミが強すぎるのだ。

 孔子くらいすっきりした大きな倫理観
を提示できればすばらしいが、
 できそこないの孔子ほど嫌なものはない。
 漱石の「即天去私」は、できそこないの
孔子からの逃走ではないか。

 もっとも、人間同士の脈絡が他の全ての
脈絡を消してしまうということは、
 現代固有の問題ではもちろんなくて、
昔も、たとえば戦いの時などにはしばしば
見られたのだろう。
 戦争の最大の罪は、敵と戦うということ
以外の文脈を消してしまうことである。
 だからこそ、
 小林秀雄の次の言葉は私に感銘を与える。

 通盛卿の討ち死にを聞いた小宰相は、船の上に
打ち臥して泣く。泣いているうちに、しだいに物
事をはっきりと見るようになる。泣いているうち
に、しだいに物事をはっきりと見るようになる。
もしや夢ではあるまいかというようなさまざまな
惑いは、涙とともに流れ去り、自殺の決意が目覚
める。とともに自然が目の前に現われる、常に在
り、しかも彼女の一度も見たこともないような自
然が。
(小林秀雄『平家物語』)
  
 親友の池上高志は三葉虫の化石を集めるのが
趣味だが、
 社会的文脈を離れて、そのような時間を持つ
ことを志向する人間以外は結局信用できない。
 養老孟司さんがしばらく前にコマーシャルで
「私は一日に一回は、人間がつくったもの
以外のものを見ようと思っています」という趣旨の
ことを言われていたが、
 現代人の座右の銘にふさわしい。

 冬の一日、冷たい空気の中で、人間が
つくったもの以外に取り囲まれる。
 こんなに幸せなことはない。
 空を背景にした枝のジグザグや、
黒々とした森のシルエットを心の中に
取り入れれば、
 とっちらかった現代人のアタマの中も、
少しは神に近づくだろう。

1月 10, 2005 at 08:15 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005/01/09

桜ほころぶ

数日前に白洲明子さんにメールで教えていただいた
銀座のDel Reyに行き、チョコレートを買う。
 それを持ってQUALIA東京へ新年の挨拶。
 
 太田さんと話し始めたけれど、すぐに
お客さんがいらして、そのあともずっと立て込んで
いたので、しばらくディスプレイの間を
歩きながら様子をうかがい、失礼した。

 体験予約の制度は変わらないが、少し
気楽に試すことのできる工夫もしてある。
 ヘッドフォン(QUALIA010)は、SACDが
何枚か、自分で視聴できるようになっている。
 QUALIA010は、装着した時の質感が
圧倒的に良い。
 やわらかなバネの感触が、春風を
思い出させる。

 九段下に移動。NIKIギャラリー
・冊

で行われている白洲千代子展

のオープニング・パーティに。

 千代子さんにDel Reyを渡す。
明子さんが、「あぁっ!」とイタズラを
見つけたように。

 白洲信哉さん、新潮社の池田雅延さんもいらして、
いろいろ話す。
 信哉さんはまだ半分はしらふ信哉だった。

 電通の佐々木厚さんが昼間に来て、
小林秀雄が持っていた矢じりを使ったオブジェを
買っていったらしい。
 「ぼくはどれにしようかな」
などと言っていた模様である。

 市ヶ谷近くのイタリアレストランに移動して、
みんなで会食。 
 瀬津雅陶堂の若主人と、婚約者の桜子さん
は、今日婚姻届にサインをしたということで、
乾杯。
 「証人」の欄に、白洲信哉がサインしたのだが、
手が震えて、しまった、少し酒を飲んでからに
すれば良かったと外は寒いのに、
会話は何やら陽春の気配。

 池田雅延さんがずっと取り組んできた
小林
秀雄全作品
の注釈の作業が2月中旬には
終了するので、ぜひ慰労会をしましょう、と
申し上げる。
 
 漱石の「文学論」を読みながら帰る。

余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、
あはれなる生活を営みたり。

という序文は有名である。
 楽しい会話で、この
むく犬は少し桜がほころぶ気配を
感じた。 

1月 9, 2005 at 09:23 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/08

噴火のあとの静かな水成作用

こちらからお礼を申し上げなければ、
と思っていたら、先を越されて
 養老孟司さんから心のこもった
メールをいただいた。 
 ありがたい。
 その言葉を、大切に胸にしまっておく。

 ヨミウリ・ウィークリーの 二居隆司さん、
中央公論新社の岡田健吾さん、松本佳代子
さんが研究所に。
 昼食をとりながら、いろいろ議論する。
 新聞社の出版部門の在り方として、
読売と中央公論新社の関係は可能性を秘めている
と思う。
 岡田さんは、落研か、と思われるほど
立て板に水に面白い話をたくさん。
 医学部出身の異色の編集者である。

 『パンプキン』の取材を受ける。
 コミュニケーションの問題。
 相手のことを考えながら自分の中から
生み出される言葉は、
 実は相手と共同で創造したものだと
思う。
 いわゆる「共創」のもっとも日常的な
現れが会話にある。

 今年最初のゼミ。
 私が記憶の論文を紹介して、関根崇泰が
ゴースト・ハンドの論文を紹介、柳川透と
小俣圭がプログレス・レポートをする。
 慶応大学4年の佐藤崇政さんがゼミ見学に来て、
自分の研究したいことについてのプレゼンを
してくださった。

 ゼミ終了後、五反田の「あさり」で
新年会。
 佐藤さんも参加。

 佐藤さんには罪がないのだけれど、佐藤さんが
「Aさんがこんなことを言っていた」
というのを聞いて内心激怒する。

 私は最近は随分穏やかになったと思うが、
怒ると大変なことになることは知っている人は
知っている。
 とは言っても、別に暴力をふるったり、
暴れたりするというわけではなくて、
怒りをきっかけに、
 激しい精神運動が始まってしまうのだ。

 怒りのきっかけは様々あれど、
 いちばん腹が立つパターンが、専門バカが
専門を超えて越境するような試みを
「いいかげん」だとか言う時だ。
 このクズやろう、たわけ、
うせろなどと罵詈雑言が心の中を飛び交い、
「今に見てろよ。一泡吹かせてやるからな」
と誓う。

 専門領域の中の倫理というものは当然あって、
その文脈の中で議論している時にいたずらに
外部のノイズを入れてしまうことがまずい
ことは当たり前である。 
 そんなことは百も承知している。
 だから、専門バカが好きな議論だったら、
こっちも受けて立つし、別にどうっていう
ほどのこともない。

 しかし、現代は、まさに専門が
蛸壺化して並列して、ニッチモサッチも行かなく
なっている時代じゃないのか。
 たった一度の人生、「私はこの専門家だ」
と壺に籠もって専門の論理を追求して、何が
面白いのか。

 しばらく前に、金森修さんが朝日新聞に
頑張れ、教養人というコラムを書かれて
いたが、
 金森さんが気にかけられていること、目指している
ことに、
 限りない共感を感じる。

 職業上の必要で、専門性を追求している人たちには
尊敬と賞賛を惜しまない。
 しかし、専門性に閉じこもることがこの世界
で生きることの全てで、
 それで事足りる、と信じている専門バカ、
越境しようとする人間を、いいかげんだとか
ふわふわしてるなどと
非難する心の狭いやつらに対しては、
怒りのマグマがこみ上げてくる。
 そのうち、粉砕してやるぞ、と巨大な
精神エネルギーがこみ上げる。

 専門性には固有の倫理があるように、
越境にも固有の倫理があるんだよ。
 その厳しさがわからないやつらは、
ダメだ。

 なぜ、世界の全体像をくもりのない目で
見つめないか。
 ニーチェだったと思うが、
「古代ギリシャでは、専門という概念は
意味がなかった」
という言葉を座右の銘としたい。

 もっとも、そのような怒りはいわば
ゲーテの『ファウスト』における火成論であり、
水成論の静かな作用がなければ、
 創造は成り立たない。

 噴火するのは一瞬でいい。
 バカは放っておいて、静かに歩むとしよう。

1月 8, 2005 at 07:41 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005/01/07

養老孟司さんと久しぶりに

青土社の『現代思想』編集部の鈴木英果さんが
研究所にいらっしゃる。
 昼食をとりながら、いろいろ話す。

 雑誌編集部のいいところは、いろいろな
人に会えることだと言う。
 確かに、単行本の編集者も、新書などは
常に30件程度の企画を立ち上げていると聞くが、
雑誌の編集者の会う人の数とは比較できない。

 あの人がどうのこうのという話をしている
うちに、どんどん面白くなってきた。
 鈴木さんは、幸か不幸か、青土社に入ってすぐに、
畏友、郡司ペギオ幸夫のテープ起こしをやらされた
のだという。
 「何がなんだかわかりませんでしたが、
才能がキラキラ輝いていることはわかりました。
 あれから10年。未だに、郡司先生が
何を言っていらっしゃるのかわかりません」
だそうです、郡司さん。

 鈴木さんが帰られた後、ソニー10号館へ。
 養老孟司さんが、もういらしていた。
 人事部の岩本悠さんの企画で、
養老さんと私で、セミナー。

 養老さんは、『バカの壁』以来、とてつもなく
忙しくなってしまわれて、
 こんな機会でもなければなかなかお会いできない。
 以前は、京大の基礎物理学研究所でやった
研究会にいらしていただいたりしたことも
あったのだけど、
 なかなかお声をかけるのもはばかられる。

 セミナーが始まるまでの時間は、ずーっと
昆虫の話をしていて、
 今度はブータンをねらうんだと言う。
 ブータンはこれまで年間何千人と観光客を
制限していたのだが、
 それを撤廃して、ただし、一日二万円
くらいとって、国がアレンジした運転手と
ガイドとホテルがつくように
なったとのこと。

 照葉樹林がブータンまで行っていて、
養老さんの好きなゾウムシがたくさんいるし、
まだあまり調べられていないので、ねらい目
だということである。
 
 セミナーが終了し、中華料理屋で懇親会。
 面白かったのは、養老さんの思考法で、
常にパラレルに複数のものが走っていて、
その中で、「これが気になる」というトゲが
刺さったような感覚があると、
 そのことをずっと覚えているのだという。

 そして、そのトゲが、ある時、
「ああ、なるほど」と腑に落ちるのを待つのだ
そうである。

 この年になっても、まだまだトゲばかりですよ、
としんみり言われた養老さんの表情の残像が
今もなお。

養老孟司さんと、ホテルパシフィック東京 「楼蘭」にて

1月 7, 2005 at 07:46 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/01/06

イメージを食べる

web magazine enにて連載中の
「おいしさの解剖学」 第十回 「イメージを食べる」
が公開されています。

アフタヌーン・ティー、寿司、サンドウィッチ

http://web-en.com/

1月 6, 2005 at 08:21 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

真実の瞬間

2005年1月7日発売の「文學界」
2005年2月号に、茂木健一郎「脳のなかの文学」
連載第11回 「真実の瞬間」が掲載されています。

 一部引用

 スペイン語で、「真実の瞬間」(La hora de la
verdad)とは、闘牛の最後に、闘牛士が牛にとど
めを刺す時を表す言葉である。そのことは、曖昧
には知ってはいたが、実際にその意味をはっきり
と認識したのは、セビリアで闘牛場に出かけた時
のことだった。
 学会の帰りに、セビリアで半日だけ空いた。何
も期待せずにぶらぶら出かけたら、その日がたま
たま開催だった。もちろんチケットは売り切れて
いて、会場の周りに、何人かのダフ屋がいた。何
回か往復し、人相を評定して、この人なら何とか
なるだろうと当たりをつけた。向こうは英語が不
自由だが、こちらのスペイン語も形無しである。
とは言っても、そのような時に交わす言葉など決
まっている。値段を確かめて、それから、「良い
席なのか?」と尋ねたら、男は、誇らしげに「プ
レジデンテ!」と叫んだ。「プレジデンテ!」と
言うからには良い席なのだろうと入ってみたら、
スタジアムの最後列から3列目だった。
(中略)
 二つの魂が接近する時、私たちが自分と世界と
の間に普段は置いているスクリーンが取り払われ
る。その結果、お互いの魂の姿はよりよく見える
ようになってくるが、同時に、それは自我がひん
やりとした世界の消息に直接触れる危険を冒すこ
とでもある。闘牛の「真実の瞬間」は、このよう
な、私たち人間の魂のダイナミズムを可視化する。
闘牛士が、突進してくる牛の角に触れて傷つくよ
うに、愛において無防備になる私たちは、魂が傷
つく可能性を認容している。
 もちろん、闘牛士と闘牛の対峙が、さまざまな
文化的、歴史的脈絡に絡め取られた舞台で成立し
ているように、二人の魂が向き合う時も、決して
私たちは社会的文脈から自由になることはできな
い。文脈に二重、三重に串刺しされ、それでもな
おそこに一瞬原形質の何かが立ち現れることこそ
が、魂の危機であり、創発であり、真実の瞬間の
実体である。

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/index.htm

1月 6, 2005 at 07:35 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

バッターボックスの緊張感

三宅美博さんの研究室の高野弘二さんの
博士論文の中間発表を聴くため、
 東京工業大学のすずかけ台キャンパスへ。

 歩きながら何を考えるか、というのは
大切なことのように思う。
 最近は、自分の人生が今こんな状況になっている
とか、
 できるだけメタなことを考えるように
している。
 何かの仕事や作業に没頭しているときには、
メタ認知がなかなか立ち上がらない。
 ふらふらと歩いている時が、
そうか、オレの人生は今こういう状況で、
こんな課題があるのだな、と「外に立った」
視点が立ち上がりやすい。

 歩きながらもの想いにふけりやすい道と、
そうではない道がある。
 すずかけ台の駅から、東工大のキャンパス
に至り、そのまま草むらの中を歩いていく
アプローチは、決して長くはないが、
ものを考えやすい道である。
 すずかけ台キャンパスの学問的
インフラの一つと言えるのではないか。

 高野さんは発表会場の前のソファにいて、
少し早く着いたので、ちょっと雑談した。
 その時は余裕に見えたのに、
 会場に入り、審査員の先生たちが
そろい始めると、前に立った高野さんは
「ああ、緊張し始めた」と独り言を言った。

 博士論文の審査のような、人生の通過儀礼の
福音は、まさに、緊張させることにあるのではないか。
 学問の高度な達成を
目指した緊張だから、というだけでなく、
 良質の緊張そのものの中に、人間の魂を
慰撫する何らかの作用が含まれている。
 
 子供の頃、チャンスで
草野球のバッターボックスに立って、
ツーストライクまで追い込まれた時、
 三振してしまうのではないか、いや、
ヒットを打ってやろうと葛藤を抱えながら
次の投球を待つ。
 あの時のような良質の緊張感を大人になっても
持ち続けられるか。

 高野さんの発表は水準が高く、論文も立派で、
緊張することもなかったと思うのだが、
 緊張感の持つ効果を考えれば、緊張したことには
きっと意味があった。
 高野さんは、ツーアウト満塁でバッターボックスに
立っていたのだ。

 小俣圭、柳川透もそろそろ博士の中間発表
までのスケジュールを考えなければならない。
 そのことについては、私もいろいろ考え、
やらなくてはならないことがある。

 今年は課題が山積である。
 自分の人生をメタ認知し、今年心掛けなければ
ならないことを数え上げて行くと、
 良い意味での緊張感がこみ上げてくる。
 
 その緊張感を、「大人の仕事」
という文脈にとどめるのでは
なく、子供の頃の草野球のバッターボックスの
緊張感につなげていくことが、
 創造的であるために
 きっと大切なことなのだ。

1月 6, 2005 at 07:19 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/01/05

増田健史からの年賀状

こんな年賀状をもらった(筑摩の住所は消してありま
す)。

そんな圧力かけなくったって、ちゃんと書きます
よーだ(たぶん)。

1月 5, 2005 at 10:32 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

一度普遍を経由して

オレと竹内薫
が、20そこそこの「怒れる
若者」だった頃、卒業研究が同じ研究室
だったこともあって、よくつるんでいた。
 安田講堂の前を歩きながら、竹内が、
「神がこの世界を創ってくれたわけだから、
その秩序を理解しようと努めるのは人間の
義務だ」というようなことを言ったことが
ある。
 
 その感覚は良く判るな、と想いながら、
赤門前のバンビに一緒に行って、
ハンバーグ定食を食べたのを昨日のことのように
思い出す。

 昨日の日記で紹介した「夏目漱石と明治日本」
の中で、吉本隆明さんが次のような話をしている。

 ぼくの知り合いで、欧米白人と結婚した女性が
います。話の折りに、「むこうの男は、そんなにいい
かね」なんて無遠慮に訊くと、こんな答が返って
きた。
 「むこうの男が、日本の男と比べて、とくに
素敵とは思わない。でも、一つだけ、逆立ちしても
かなわないなと思うことがある。
それは、普遍性というものへの確信よ」
 普遍性への確信というのは、文化のちがい、人種
のちがい、歴史のちがい、そういったちがいを
超えて、人間のあり方としての共通性を信じる
ということです。そういう信仰にもとづいて、
文化も創造するし、恋愛もする。それは日本の
現実とはほど遠いものだというのです。 
 普遍性への信仰は、裏腹に、特殊性への
蔑みをともないます。西欧のインテリと話を
していると、何だ、こいつ、ものわかりのいい
顔してたって、一皮むけば、日本人を野蛮な
者としか見ていないじゃないか。そう感じ
させられて鼻白むことが、しばしばあります。
 漱石が英国で直面したのは、そういう
世界でした。
・・・・・・
(吉本隆明『漱石の巨きさ』 前掲書 p.52)

 こういう文章を読むと、私は、「ああ、この
人は信用できる人だなあ」と思ってしまう。

 それがヨーロッパ起源だろうが何だろうが
知ったこっちゃないが、一度「普遍」を
経由したことのない人とは、話ができない。
 フヘン概念を経由していない人と
話をしていると、大変ストレスが溜まるの
である。

 しかし、その上で、吉本さんのように、
フヘンが時にそうではないものに対して
差別的に働く、ということの哀しみを
倫理的に引き受けなければ、人間として
成長することはできないだろうとも
思う。

 東京学芸大学付属高校の時、今は弁護士をしている
宮野勉と、よく「荘子 対 孔子」の論争を
した。
 宮野は孔子派で、私は荘子派だった。
 私は宮野を「この常識人め」などと非難して
いたが、
 一度普遍を経由した上で、特殊なものの哀しみ、
慈しみに目覚めるなどして、
 要するに人間がこなれてくると、孔子の
「論語」が問題にしていたことが何となく
ココロに沁みてくる。

 昨日は夕飯におでんを自作した。
 ところが、大根を買うのを忘れていて、
あわてて走った。
 もう間に合わないから、おでんを食べ始めて、
大根は別の鍋で煮立てて、後半にどぼんと
鍋に投入した。
 卵も二つの残しておいたから、
今朝は大根と卵がとても楽しみだった。

 というような機微も、「ふふん、この特殊め」
と切り捨てられてしまうのだったら、普遍を
生きていても仕方がない。
 同じ普遍を生きるにしても、奇妙なものたち
に対する愛に満ちた普遍を生きたいと思う。
 
 ところで、漱石の時代の人たちはよく手紙を
書いたわけだが、
 このようなweb日記は、要するに手紙のような
ものなのではないかと最近考える。

1月 5, 2005 at 08:52 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2005/01/04

夏目漱石と明治日本

文藝春秋 特別版 夏目漱石と明治日本
は、読み応えがある。正月休みに、ぱらぱらと
拾い読みをしていたら、胸がいっぱいになってしまった。

 編集がとても上手で、アンソロジーというのは
印象がどうしても薄くなってしまうものだが、
 書き下ろしの原稿のどれもが面白い。
 これで1000円は安いのではないか。
 書店にまだ売っているかどうか判らないけれど、
とりあえず買って損はない。

 表紙に「日露戦争100年」とあるように、
日本の近代史の文脈に重ね合わせて漱石を
論じる、という構成になっている。
 思えば、明治という時代も、漱石という
作家もやはり特別な存在で、
 歴史の中で二度と同じことは起こらないのでは
ないか。
 共感と誇りと悔悛が混ざった、何とも言えない
感じを持つのは、1962年生まれの私も、
明治以来の近代史の文脈の連続性を生きてきた
からだろう。

 明治という時代が二度と繰り返さない、
というのは、
 もちろん、西洋という巨大な存在に出会って、
日本が必死のキャッチ・アップを試みた、
あのような文脈は二度と来ない、という意味で、
今後中国が巨大になって、別の意味での苦闘が
生まれたとしても、明治の文脈とは全く
違ったものになってしまうだろう。

 その、巨大な精神運動の中で、漱石は
常に懐疑的な目を向けつつ、しかし自らを
生みだし、育んでくれた社会を愛することを
やめなかった。
 よく、外国に住んでいて、すっかり精神が
向こうのパターンになってしまって、
日本を批判ばかりしている人たちがいるが、
ああいうのを信用する気にも愛する気にも
ならないのは、漱石の潔さが彼らにはないから
だろう。

 船曳建夫さんが、「坂の上の明治人 夏目漱石と
司馬遼太郎」というタイトルで寄稿していて、
大変面白い。
 一部引用。
 
 『坂の上の雲』と題された司馬遼太郎の小説は、
若き日本ーー英国ではYoung Japanと呼ばれ、
挿絵などにも、若者と描かれもしたーーの、日露
戦争までの立志伝であった。(中略)「坂の上の雲」
を目指して登ってきた日本は、その坂の上にたどり
着いたのであった。
 そこで日本は何を考えたのか、明治維新後四十年で
たどり着いた坂の上から、今度は四十年をかけて、
最初はだらだらと、しだいに前のめりに、最後は
三番目の強国の米国との勝算の薄い戦いに転げ
落ちていったのだから、漱石と同じく、坂の上で
何を考えたのか、または何を考えるべきだったのかは、
日本近代史の大きな問題として私たちに突きつけられて
いる。

 「大きな物語」がなくなったのが現代とされるが、
文脈を見いだすことは実は創造的な行為でも
あるのだろう。

 私の場合、自然科学という文脈と、
それ以外の文学や芸術、人文学という文脈を
結びつけるのが苦闘の現場だと思っている。
 もっとも、坂の上の雲というメタファーはここでは
成り立たない(キャッチアップではないから)。

 メタ認知がない人間はどうも信用ならない。
 きっと、現代という状況を大きな目で見れば、
そこには、クオリアに限らず、一生を賭ける
に値するだけの切り口が沢山見つかるに違いない。

 漱石の小説を読み、漱石について書かれた
文章を読んで胸がいっぱいになるということは、
きっと大切なことなのだろう。
 そんな思いで満たしてくれるような作品も
創造者も、なかなかいるもんじゃない。

1月 4, 2005 at 07:40 午前 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2005/01/03

募金

Apple Computerのトップページに行ったら、
スマトラ島沖地震と津波による被災者への
募金の呼びかけになっている。

http://www.apple.co.jp

 偉いね。こういう素早い対応が、
Appleのブランドイメージを高めるわけだし。

 日本ユニセフに、ささやかながら募金いたしました。

1月 3, 2005 at 09:14 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

情報免疫反応を超えて

情報免疫反応を超えて

 今度は西片の親戚の家に来て一泊。
 夕食に出たシャルドネがうまいので、
ラベルを見てびっくり。
 なんと、100%日本産である。

 斑尾高原農場
の、St. Cousairの白ワイン。
 日本のワインが急速に質を上げているとは
聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
 
 元旦には、冑佛(かぶとぼとけ)の研究で知られる
河村隆夫さん
にいただいた1995年の
Dom Perignonを開けた。
 河村さんの住む、静岡県金谷町方面に感謝の
念をお送りしつつ、大変うまかった。
 河村さん、ありがとうございました!

 王者の風格を漂わせるシャンパンと、若々しい
白ワインの両方を味わい、今年は年初から
お酒に恵まれている。
 
 車で移動中のBGMは、
カヴァレリア・ルスティカーナ
だった。

 久しぶりに聴くイタリア、ヴェリズモ・オペラの
名作は血の気が多くて、メロディーが美しく
て、とてもいい。
 ワグナーや、モーツァルトを聴く時
とは刺激される脳の部位が違う。
 みんな違って、みんないい。

 正月といっても、酒を飲んだり、話したり
している以外は、基本的に仕事をしているのだが、
どうも思考が拡散して、あまり集中している
気分にならない。
 正月の浮ついた気分がそうさせるのか、
脳の情報生理が今そのような拡散モードなのか
判らないが、いろいろ気が散って、他の
ことに注意が向いてしまう。

 マラカイボ湖の謎の閃光についての番組を見たり、
 本屋で見つけた、文藝春秋の別冊の漱石特集を
読んでしまったりする。

 ここの所考えているのは、新しいものは
最初は拒絶反応を引き起こすということで、
そんなものを2005年は作りたいなあ、
ということである。

 古典となっているものも、最初はぴかぴかの
新しいものだったわけだから、
 情報免疫反応が収まった後の落ち着いた古典の
風格ばかり見ていては、道を誤る。
 漱石の散文だって、当時は見慣れない、
真新しいものだったわけだし(近代の「国語」
のスタイルを切り開いたのが啄木で、完成
させたのが漱石だというのが丸谷才一の見立て)、
「カヴァレリア・ルスティカーナ」だって、
王侯貴族の世界ばかり描いていた当時の
オペラに、ごく普通の貧しい庶民の生活を
描くという「ヴェリズモ」のスタイルを持ち込んだ
わけで、画期的に新しいものだったわけだ。

 もちろん、徒なセンセーショナリズム
を求めるくだらない作品は、拒絶もされるが
淘汰もされるわけで、そのようなものと、
古典として残るものは違う。
 すでにできあがった古典ではなく、
ぴかぴかの真新しい、ちょっと違和感のある、
しかしやがて古典として残るような
ものこそを思え、というのが、
「ポップコーン」の写真に託した
2005年新年の誓いのココロである。

 ビールを飲んだ時、
スナックとして出てきたポップコーンに
弾けていないのが交じっていたので、
それを並べてデジカメで撮っておいたものを
使った。

 また思考が拡散して行こうとするのだが、
エイヤッと押さえつけて仕事をしなければなるまい。

1月 3, 2005 at 07:10 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/01/02

新年の誓い(New Year's Resolution)

1月2日なので、新年の誓いを立てた。

1月 2, 2005 at 01:24 午後 | | コメント (2) | トラックバック (0)

魂の衣をはぎ取られて

子供の頃、蝶を追っていた神社に行く。
 元旦の恒例行事である。

 日本の高度経済成長は、同時に間断なき環境破壊
だったなあと思う。
 早い話が、私の脳裏にある神社のまわりの風景と、
現在の風景があまりにも違っていて
重ならない。

 結局、今までの資本主義経済の体制の下では、
何の経済的な(金で数えられる)価値も生み出さない
自然は、ムダだったということだ。
 年経た大木が倒されることに心を痛める時、
その心はお金に換算できない。
 だからこそ、木が倒されても、経済は痛くも
かゆくもなかった。

 しかし、今や時代は変わって、たとえば、近所を
流れるドブ川が、タナゴが泳ぐ清流に戻るならば、
月に千円くらい出してもいい、という人が多いんじゃ
ないか。

 自然を取り戻す、という方向に経済活動を
持っていくためには、つまりは自然が金を生み出す
ような仕組みをつくるしかない。
 その過程で、大木が切り倒されて心が
痛む、ということも、お金に換算せざるを
得ない、するべきだ、ということになるだろう。

 もはやポストITを考えるべき時期だと
思う。
 エコロジーに配慮した経済のインフラは何なのか
ということを、
 マジメに考えてくれる人はいないか。
 オレも、時々は考えて見るけどさ。

 

子供の頃、毎日のように通った神社にも雪が降って


 子供の頃のことを思い出すと、なんだか
自分が裸になったような気がして、その感じが
とても良い。

 年を重ねるにつれて、様々な社会的文脈の
中に絡め取られていく。
 その文脈の中で、一生懸命仕事をする、
というのも尊いことだが、
 たまには文脈の衣を脱いで、
裸にならないと、
 精神のどこかが麻痺していく。

 故郷に帰ると、自分のことを、社会の中で
どうのこうのということには関係なく、
裸の人間としてしか見ない人たちがいる、
という意味のことを中上健次が書いている。
 
 正月に故郷に帰ることには、
魂の衣をはぎとって乾布摩擦するような効果が
あるのかもしれない。

1月 2, 2005 at 07:50 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/01/01

初夢

カラヤン、ベルリン・フィルの
「第9」を聞きながら車を走らせていたら、
ちらちらと雪が舞ってきた。

 その白い雪が、黒っぽい木を背景に
降るのが一瞬視界の中をよぎったとき、
私は一瞬だけ想像上のドイツにいた。

 そのファンタジーが終わると、
私が走っているのは色とりどりの
看板が立ち並ぶ日本の郊外で、
 その美意識の混乱に絶望的になった。

 東京の中心部は、随分きれいな
ところが多くなったけれど、
 郊外は、美意識においては取り残されている。
 それが、民放の番組のとっちらかった
惨状と重なって見えた。

 両親の家に着き、勘九郎のニューヨーク
公演の番組を見ながら仕事をした。
 夏祭浪花鑑。私の大好きな狂言である。

 魚屋団七九郎兵衛が舅を長町裏で殺す
場は、仕事を止めて集中して見た。

 勘九郎も偉いが、江戸時代の歌舞伎役者、
戯作者たちも偉い。
 ここには、とぎすまされた美の世界がある。
 むろん、江戸時代の、歌舞伎が生み出された
生の現場において、
 最初から洗練があったわけではなく、
完成があったわけではない。

 今の日本の郊外や民放のとっちらかった
状況からも、
 何か歌舞伎に相当するものが生まれてくる
可能性はゼロではないだろう。
 しかし、きっとダメだろう、という
気がしないでもない。

 新しいものは、おそらくは最初は
違和感を伴って認識されるはずで、
 そんな違和感のある、不思議なものを
つくる人たちが出てこなければ、
現状は変わらないのではないか。

 勘九郎の果敢なる挑戦に拍手を送りつつ、
ちょっとすがすがしい森の中を散歩
したくなる。
 その森の中で、銀色の一角獣に
出会うのが、初夢だったら良かったの
であるが。

1月 1, 2005 at 08:49 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)