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2004/12/31

脈絡なき、わが想い

セブン・イレブンのシュークリームを
食べることができた。
 それだけで、嬉しかった歳末だった。

 この前、大場旦と増田健史と一緒に
温泉宿に行った時にも主張されたのだが、
私の連想は脈絡がなく、
 聞いている人たちにとっては何が何だか
判らないらしい。
 本人にはあまり自覚症状がなく、
指摘されて「すまなかった!」と謝る。

 電車男の話をしていたはずなのに、
いつの間にかシュークリームが食べたくなる。
 そんな連想は誰にでもあると思うが、
問題なのは、会話をしている
一瞬の隙に、そんな脈絡のない連想が
忍び込んで来てしまうということだ。

 この前の温泉宿で言えば、増田健史と
大場旦と向かいあってビールを飲んでいる
時に、突然、
 「下賜の煙草ってまだあるんですかね」
と言ってしまった。
 大場旦が、柄谷行人か何かについて
話しているうちに、
 テーブルの上にあった菊の切り花に
目がいってしまったのだ。

 問題なのは、上のような連想が無意識の
うちに起こるということで、
 増田健史がビールの泡を口につけながら、
「今のは何だったのですか」と言われて、
はじめて、一生懸命自分の内面をさかのぼって
どんな脈絡だったのか、思い出すのである。
 自分が菊花を見ていたことさえ、
気づかないのだ。
 時には、連想が2段、3段となっている
時もあり、
 そうなるとどんな脈絡だったか
思い出すのは難しい。

 大学院の時のガールフレンドは、
私が一緒に歩いていると突然わけの
わからないことを言い出す、と言って
怒っていた。
 彼女は、会話の脈絡を一生懸命
つけようと考えるので、 
 疲れてしまう、と言っていた。

 脈絡なきわが想いを、少しでも
良い方向に生かしたいと思う歳末である。

 昨日の日記のコメントに、「電車男」
はそんなに悪くない、というものがあって、
それで2ちゃんを久しぶりに見てみた。
 奈良のバカが捕まったニュースに
関するスレッドを、仕事をしながら
時折見てみた。

 いろいろ、細かい、技術的なところで
面白い点があった。
 DNQとか、ttp://とか、巨大絵文字とか。
 あと、誰が「2」をゲットするかを巡る
仁義なき戦いとか。

 その一方で、2ちゃんねらーの人たちが、
どうも偏執狂っぽい、という感じも受けた。
 つまり、あまり連想が飛んでいかないで、
同じところを巡ってぐるぐるしているのである。

 根拠がなく、訳のわからない妄想の
パターンというのがあって、
(ここに書くのがはばかられるような、
差別意識と下司の勘ぐりに満ちた言説の
オンパレード。やっぱ2ちゃんはダメだ。)
 その妄想を書き込むのが、一つの芸になっている
らしいのだが、
 それがあたかもアトラクターのごとく、
同じところをぐるぐる回っていて、
オレだったら一日で飽きるだろうな、
と思っていたら、
 やっぱり飽きた。
 
 連想はやっぱり見境なく飛んで行くもので、
本来、インターネットの脈絡じゃあ
収まらないんじゃないか。 
 電車男からシュークリーム、
柄谷行人から下賜の煙草への連想は、
2ちゃんでもgoogleでもフォローしようがない。

 なぜフォローしようがないのかと言えば、
私が「身体性」を持っているからで、
 つまりは、ある単一の情報の文脈では
収まらないプロセスが、パラレルに走っている
からである。
 
 身体性というと、どうしても「このかけがえの
ない私」といった永井均的な文脈に乗りがちだが、
それが同時に脈絡のない想いをも支えている
ことも重要だ。

 身体性の支える脈絡なき想いは、光速で飛んでいき、
既成の文脈など、簡単に超えてしまう。
 イデアの世界には、距離の制約がない。

 私はプラトニストだと思っていたが、
それが実は身体性の問題につながると
わかったのは、
 しばらく2ちゃんに付き合ってみたおかげだった。

 それはそれとして、「電車男」については、
年明けにきちんと読んでみたいと思う。

12月 31, 2004 at 06:40 午前 |

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コメント

>脈絡の無い連想
第三者にとってはそうであっても、主観者から
みれば必ずどこかにつながりがある。と思います。
記憶のどこかにシュークリームとつながっていたのかも(笑)
 小生もよく脈絡のない連想を実行にうつすとき、ついきてくれる友人にはいつも変な顔されますが共につきあってくれ、感謝してます。
 人はつながりがないようなことをしているように見えても、主観者からみれば、そこには絶対に脳の中で、思い出など記憶の網にひっかっかていることだと感じます。
 少し飛躍するようですが、人の定義を見た目や行動で安易に決定づけることに、この世の中の差別や偏見の根底があるように思われます。
 意味のない戦争の始まりなどは安易なきっかけがほとんどですし。
 ネットによる情報の氾濫に、人はある種の公害をうけているような昨今です。
 これからインターネットはますます生活に不可欠なものとなる一方、それにともなう悪害は非常さを増すばかりです。
 使う人それぞれの安易な情報判別が結果的に多くの非常さを生み出すことは良くありません。
 機械を使いこなす前に、まず己と他人を知るべきだと思います。
 
 クオリア日記、今年の初夏に出会い、毎日拝読させていただいております。
 茂木先生にとって来年もまたさらなる飛躍の年でありますよう。
 それではのこりわずかとなりましたが、良いお年を。

投稿: | 2004/12/31 17:25:22

僕は2ちゃんねるはたまに見ます。
ただ、見るスレッドは決まっていて欲しい商品を買う前の情報収集に電気製品とか音楽ソフト系のスレッド見ます。2ちゃんは S/N が悪いですがノイズはだんだん無意識のうちに読み飛ばせるようになってきてしまいます。最初の頃はすべての書き込みを一字一句読んでましたが茂木さんのおっしゃるとおり同じような話をぐるぐるしてます。慣れてくるとノイズ書き込みがまるで句読点のような扱いになてしまうから不思議です。

 電車男の話は後に膨大な書き込みをまとめてくれたサイト(それがそのまま本になりました)があったのでそっちを読んだのですが、僕は素直に楽しめました。ちょっと感動すら覚えてしまいました。すごく単純にある一人のモテない男性が見ず知らずのコミュニティの力を借りて変貌していく様子は、このあとどうなるんだ?と気になって仕方なかったです。その当時リアルタイムに2ちゃんを見ていた人はまったく先の分からない状態におかれているわけですからなおさらかと思います。
少なくとも電車男本人は2ちゃんで自分の人生が180度よい方向(現時点ではですが)に変わったわけなので、それは単純にいいことだなぁと感じました。

以上駄文長文失礼しました。

今年もいろいろとお世話になりました。
来年も変わらずよろしくお願いいたします。

投稿: | 2004/12/31 11:11:34

昨日の電車男の話しは、「馴れ合い」をシュークリームに置き換えた文章だったので、文末にシュークリームが食べたくなってきた、と締めたということは、「馴れ合いもたまには欲しい」という風に読み込んでいました。

投稿: | 2004/12/31 8:41:08

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