« おいしいこと、自然に帰ること | トップページ | Lecture Records »

2004/12/03

芸術と人生は、流れてひとときもとどまらず

芸大に行く前に、9月1日にリニューアル、
グランド・オープンした東京国立博物館の
日本館を20分でばーっと見た。

 芸大の音楽学部と美術学部の間の道に入ったら、
正門前にたくさんのテレビカメラが来ている
のが見えた。
 北野武さんが教授になるというので、
そのニュースの取材らしい。

 その件については、布施英利さんから
だいぶ前から教えていただいていたが、
秘密であった。

「いやあ、言いたくて仕方がなかったんだけど、
これでようやく言えるようになりました」
と布施さん。
 
 授業は、私が京都芸術造形大学での束芋さん、
宇川直宏さんとの鼎談を受けて考えはじめたことを
巡って議論。
 反文脈主義を一部修正して、自分の生の現場、
その一回性に寄り添う文脈は良いのではないか、
という話をした。
 村上隆さんの「オタク」、
「スーパーフラット」は、一種の文脈僭称ではないか。
 しかし、村上さんには、村上さんならではの
固有の切実な一人称の文脈があるのではないか、
そんなことを議論した。

 美術解剖学に出席している学生の中では
一番の理論家、藤本徹は、ずっと金沢21世紀美術館
で運営の手伝いをしていたが、 
 昨日は久しぶりに授業に顔を出したので、
ずいぶん議論が充実、白熱した。
 そこに杉原信幸も絡んで、だいぶ
深い話になっていったが、
 P植田に話を持っていったら、案の定、
「そっち方面」の話題に落ちていった。

 mp3をお聞きになる方は、最後の
10分で急に話題が落ちるので、ご注意
ください。

 大浦食堂でしばらく歓談。
蓮沼、杉原、寺町のトリオの作品!を
見せてもらった後、
 池袋に移動。

 ヨミウリ・ウィークリー編集部から
ご招待いただいた読売日本交響楽団のコンサート。

 ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮で、
ドヴォルザーク 交響曲8番
ロドリーゴ ある貴紳のための幻想曲
ラヴェル <ダフニスとクロエ>第二組曲。

 ロドリーゴのギターソロは、村治香織。

 ここのところ、コンサートに行く
時間の余裕もないような感じだったが、
半ば強制的に何もせず音楽に没入していると、
なるほどこれは最上のヴァカンスであって、
精神が開いていく。

 ギターソロは女の人でもあのような足置きを
使ってああいう格好で引くのかと面白かった。

 オーケストラと軍隊の類似性について考える。
 どちらも一糸乱れぬ行動を旨とするのであるが、
片方は人を殺すのであり、一方は美に捧げられている。
 いずれにせよ、そもそも一糸乱れぬ行動が
できるという点に、人間のすばらしさも、
恐ろしさもある。
 チンパンジーだったら、そうはいかない。

 終演後、
 たまたまバックステージを通りかかったら、
ほっとした顔の楽団員が、何人かの「出待ち」
のファンと話していた。
 いい光景だった。

 ヘンデルのメサイアでも聞きに行きたい
ものだと思う。
 日本でも、ハレルヤ! コーラスの前に、
みんな起立するのだろうか?
 ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール
でメニューインの指揮でメサイアを聞いた
時には、
 みんなその前に立ち上がって、伸びをして、
まるで野球の7th inning stretchのようだった。

 誰か、日本のメサイア事情に詳しい方、
ご教示ください。

12月 3, 2004 at 08:11 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 芸術と人生は、流れてひとときもとどまらず:

» 美術解剖学 一回性の文脈 トラックバック もぎけんPodcast
東京芸術大学 美術解剖学 後期第5回 生の現場における一回性の文脈 藤本徹、杉原... [続きを読む]

受信: 2009/07/29 19:46:48

コメント

コメントを書く