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2004/12/27

子供の領分

子供の領分

 新しいものを創造する、という時には、
たとえて言えば、100メートル走の
アスリートがトレーニングする、
 そのくらいの集中と強度が必要だ、
と実感する。

 もちろん集中と強度だけではダメで、
弛緩がなければならない。
 アハ! 体験は、弛緩の時に訪れる
時が多い。
 しかし、それも、集中と強度があってこそ
である。

 集中と強度、そして弛緩というと、
まるで子供の時の遊びのようだと
連想されるが、実はそうなのである。

 今書いている原稿で、子供の頃のことを
いろいろ思い出している。
 ゲームをする前に、ゲームのルール自体を
決める、というプロセスが重要だった。
 その時には、できるだけゲームの結果が
予測できないように(不確実性が最大になるように)
 ハンディキャップを決めたりすることが
多かったように思う。

 ちょっと弱い子がいると、
その子は「みそっかす」にしてあげたり、
 あるいは少し有利なルールにしてあげたり、
いろいろ工夫したものだ。
 弱い子に対する「人道的配慮」という
ことももちろんあったけれども、
 そのようにすることが、ゲームの結果が見えなく
なって、一番面白い、という「快楽主義」の要素も
大きかったように思う。
 
 子供のふるまいの中には、面白い認知現象
がたくさん転がっている。
 子供心を忘れない大人が、創造的である、
というのも当然か、と思えるようなヒントが
たくさん埋まっているのだ。

 公園で、落ちている
BB弾を集めるのが流行っているとする。
 白い色のBB弾は「普通」で、「オレンジ色」
は少しレア度が高く、「透明」なものはとても
珍しい。
 そのようなものを集めて、仲間内で自慢しあっている
のを見ると、大人は、
 「そんなの、店に行って買えば全色そろうよ」
と思うかもしれない。
 しかし、
 子供にとっては、店に売っているBB弾と、
公園の落ち葉の間に隠れているBB弾は、
 「別物」なのだ。

 子供たちが、「宝探し」をやっている。
 目を閉じている間に、鬼が「宝物」を隠して、
「もういいよ」と言うと、他の人たちが
その宝物を探すのだ。

 宝物といっても、そのあたりに転がっている
空き缶や、プラスティックのかけらや、鉄くず
など、なんでも良い。
 それを、落ち葉の下に隠したりして見つけるのだ。

 そのような時に、小さな子が、何の変哲も
ない石ころを拾って、「これを宝物にして隠す」
などと言い出したりする。 
 ここでの「宝物」の趣旨は、自然の事物の
中に置いて、それが他と明らかに区別される、
という点にあるのに、
 わかっていないなあ、とみんな笑うが、
その瞬間にふっと立ち上がる不思議なめまいの
感覚がある。

 同一性、差異、情報、図と地。「大人」
の哲学者がむずかしい概念を使って議論する
概念のトワイライトゾーンが、
 子供の遊びの中にごく自然な形で
隠れているのだ。

 子供の領分の中に、全てがある。
 最高の知性を身につけ、洗練と博覧強記を
追求し、
 それでいて、公園でBB弾を見つけて
喜ぶような、
 子供の心を忘れずにいなさい。
 
 夢中になって遊び、気が付くと夕暮れだった、
あのような集中と強度を、
 そしてその後の弛緩のまどろみを持ちなさい。

 そうすれば、世界はきっとその秘密を
あなたに明かしてくれることでしょう。

12月 27, 2004 at 09:16 午前 |

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