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2004/12/08

「真」とはなんぞや?

財団法人・塩事業センターの
webマガジン enの忘年会が、新宿である。

 塩事業センターの河井義行さん、大庭剛司
さん、それにアルシーヴ社の佐藤真さんと
私の4人である。

 佐藤さんはJTの『談』も編集されていて、
その特集のインタビューで数年前にお会いして
以来のおつきあいである。
 いろいろな話の花が咲いたが、気になったのは、
「真」とはなんぞや、ということである。
 とは言っても、佐藤真の「真」が何か、
ということではない。

 私が連載している「おいしさの解剖学」
の打ち合わせで河井さんが研究所を訪問
された時、
 昨今の自然塩、天然塩ブームについて
話した。
 その時、河井さんが、
「昔は、白い塩を手に入れるのが人類の
夢だったし、今でも技術者はできるだけ
純度の高い塩をつくろうと頑張っている
のですがね」と言われたことが、妙に
記憶に残り、もう一度その話をした。

 純度の高い白い塩は、「真塩」という
らしい。江戸時代、瀬戸内で出来る
真塩は主に大阪に出荷され、東京に
送られる塩は純度の低いものだった
そうだ。
 この「真」という言葉に、昔の人々は
どのような思い、観念を投影していたの
だろうか。

 もちろん、物質の化学組成についての
科学的知識などない。
 真塩、真水などの用法における「真」は、
余計な雑味をとりのぞいていった時に姿を
現してくるエッセンスのようなものとして
認識されていたのだろうか。

 「真心」の「真」とは何か? たいへん
気になる。
 プラトン的世界の気配が、そこにはある。

 一方、「天然」、「自然」といった概念は、
一体現代人の心にどのような作用をもたらして
いるのだろうか。
 昨今の「天然塩」、「自然塩」ブーム
について、読売新聞で大庭さんが解説した
記事がある。

http://www.yomiuri.co.jp/wine/kaisyoku/20040913ui11.htm

 どんな塩を使うか、という一見小さなことの
背後に広大な思考空間がある。
 だから世界は面白い。

 藤原書店の刈屋琢さんに薦められて、
イバン・イリイチの『生きる思想』を今読んでいるが、
 現代人が自然を排除することで、自らが自然から
排除され、かえって「自然」(のイメージ)
をマーケットを通して買わねばならぬ、その脈絡
について考える。

 人工的なしつらいを凝らした
 高級レストランで天然塩を使った料理を食べるのと、
 大自然の中、普通の精製塩で握ったおにぎりを
食うのと、どちらが自然の精神に触れたことになるの
か。

12月 8, 2004 at 08:04 午前 |

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コメント

「眞」のヒは人を表わし、その下は祭器をあらわすとのこと。人を生贄に捧げることという解釈を聞いたことが有ります。太古では自然神にそういう形で対応したのでしょう。「偽」は人の為ということ共に考えると深い意味があるように思います。そういえば天皇陵のことを「ミササギ」と呼びます。権威の源泉は自己の関与できない自然に対する自己犠牲なのでしょうか。

投稿: | 2004/12/08 20:02:34

人工的なものが良くないわけではなく、、、
両者のもてなしの心が重要で、
、、、自然というのを、どんな意味にとらえるかが
問題になってくるように感じます。

人間を含めての天地間の万物、宇宙を見つけ出すのが
人ならば、やはりその精神に触れられるかどうかは、
いや気付くかどうかは、その人によるのだとおもいます。

投稿: とみ | 2004/12/08 13:53:54

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