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2004/11/04

感じるものにとっては、悲劇として

2004年11月6日発売の「文學界」
2004年12月号に、茂木健一郎「脳のなかの文学」
連載第9回 「感じるものにとっては、悲劇として」
が掲載されています。

 冒頭抜粋
 
  世界は考えるものにとっては喜劇であるが、感
じるものにとっては悲劇である

 1770年、イギリスの首相ロバート・ウォルポ
ールの一番下の息子、ホラス・ウォルポールは、サ
ー・ホラス・マンに宛てた手紙の中でこのように書
いた。
 この有名な言葉を、私が最初に読んだのは何時だ
っただろうか。世界について立ち上がる良質のメタ
認知が全てそうであるように、そう気が付いて見れ
ば、生まれ落ちた時から、世界は喜劇でもあり、悲
劇でもあったように思われる。喜劇は悲劇を内在し、
悲劇の中には喜劇への契機があるように感じられる。
 ウォルポールは、「オトラント城奇譚 」をはじめと
するゴシック小説の著者としても知られるととも
に、生涯に書いた数多くの手紙が今日でも読み継
がれている。
 実際、ウォルポールの感性には古びることのな
い普遍性があった。1954年、ウォルポールは
二十世紀になって英語圏で広く用いられるように
なった「セレンディピティ」という単語を発明し
ている。サー・ホラス・マンに宛てた手紙の中で、
ペルシャのおとぎ話『セレンディプの三人の王子
たち』を引用して、次のように記したのである
(「セレンディプ」はスリランカの古い呼称である)。
 
 王子たちが旅を続けるにつれて、彼らは常に新
しい発見をした。智慧と偶然により、求めていた
のとは異なるものを見いだしたのである。このよ
うな発見を、私は「セレンディピティ」と名付け
たい。
  
 悲劇と喜劇の関係について、しばしば引用され
る箴言を残し、また、人間の幸運との偶然の出会
いについて、強い吸引力を持つ言葉を創案したホ
ラス・ウォルポールの叡智は、彼の個人的資質に
よると同時に、イギリスという国の文化的伝統に
も根ざしていた。


http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/index.htm

11月 4, 2004 at 06:03 午前 |

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