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2004/11/29

セレンディピティの成り立ち

セレンディピティという言葉の起源について


六本木ヒルズのArtilligent Schoolで、
「クオリアをデザインする」というタイトルで
講演。
 聴衆の多くが、静岡大学の小二田誠二先生の
学生さんたちだった。

 文学専攻の人が多い、と聞いて、
急遽「文學界」の今までの連載と取り上げた
作品の一覧表を作成。
 坊ちゃんの「赤シャツ」問題と、最新の
小林秀雄と坂口安吾の関係から「愛することに
よって弱さが顕れる」ことを論ずる回に
ついて詳しく説明した。

文學界
「脳のなかの文学」  連載 (2004年4月号〜)
第1回 「世界を引き受けるために」  ペンギン、夏目漱石
第2回 「有限の肉体に可能性として宿る無限」 綿矢りさ 「蹴りたい背中」
第3回 「日常の由来するところ」 坊ちゃん 「赤シャツ」問題 
第4回 「クオリア原理主義」 現代アートにおける文脈主義
第5回 「閉じた空間の中で豊饒の海を夢見て」三島由紀夫 「豊饒の海」論
第6回 「見られることの喜びと哀しみ」2チャンネル、タレント論
第7回 「「スカ」の現代を抱きしめて」 舞城王太郎 「好き好き大好き超愛している」
第8回 「観念のリアリティに殉じて」村上春樹の小説
第9回 「感じるものにとっては、悲劇として」イギリスBBCのコメディThe Office
第10回 「愛することによって、弱さが顕れるとしても」小林秀雄、坂口安吾、

最後は、Horace Walpoleが「セレンディピティ」
(偶然幸運に出会う能力)という言葉を発案した
手紙を紹介、セレンディピティが高い人と
低い人はどこが違うのか、自分の人生の
中で最大のセレンディピティは何で
あったかと質問した。

 それに対する学生たちの答えが面白かった。
 mp3の最後の20分くらいにある。

 私が一応用意していた「答え」は、
偶然の出会いは誰にでもあるけれども、
その時にその出会いに「気づいて」、
いろいろ考え、吸収して自分のものに
することができるか、つまりは
「偶然」を「必然」にすることが
できるか、というものだった。
  
 脳は外界といろいろやりとりしながら
変化して行くオープン・システムである。
「セレンディピティ」はopen dynamical
systemの脳の本質に関わる能力だ、ということ
になる。
 
 そうしたら、ある学生が、「自分がある
能力を持っていることに気が付いたこと」
がセレンディピティだと答えた。 
 これは大変面白かった。
 普通、外部性はトポロジカルに脳の
「外」から来ると思うけれど、脳の「内」
から来る偶然的要素もあるということだ。
 そこにメタ認知が絡んでくる。

 懇親会で小二田先生と話す。
 小二田さんは、江戸時代の「大岡政談」
などの文学がご専門。
 「日本近世文学会」というのがあり、要するに
江戸時代の文学を研究するらしい。

 小二田さんが、歴史認識について、
あるイベントが起こった時に、人々が
それに注目して、そこに至る物語が
時間を逆行してつくられるのではないか、
という仮説を言われる。

 ちょうど、うとうとしている時に、目覚まし
が鳴った時の意識の中の時間の知覚問題として
最近考えていたことに重なって、興味深かった。

 六本木周辺は実はそれほど超高層ビルはなく、
ヒルズから下を見下ろすと、まるでトンビに
なったような気分であった。

11月 29, 2004 at 07:31 午前 |

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コメント

日々忙しい毎日を送られている茂木先生ですので、印象に残っていないと思いますが私は11月28日の六本木ヒルズでの授業に参加させて頂いた静岡大学の学生の一人です。今更ですが、やはりどうしてもお礼が言いたいのでこの場を使用させて頂きます。
 茂木先生の授業、大変有意義でした。あんなに時間が早く過ぎる体験をすることは、これからの人生でもそうあることでは無いように思います。ベルクソンがいっていたことを身をもって体感しました。その後の懇親会でもお話をしたいと思っていましたが、私のような不遜者が何を話していいのか分からず、ただ近くで先生と他の方の会話を盗み聞きするということをしていました。その時先生が、「持っている知識を伝える時は、ちゃんと相手がわかるように話さなければだめだ」というようなことをおっしゃられていて、その姿勢に感動しました。伝えたい相手によってその伝達方法・フォーマットを変えるということは、知識のある人は怠ってしまう作業であるというのに。
 日記・文学界も拝見しました。犬山は自分の地元なので、霊長類センターから逃げ出した猿がうちの近くで野生化していたのを思い出しました・・・。それでは、お元気で。 

    イギリスではなにやらコメディー界に暗雲立ち込めるというような事態がおきていますね。

投稿: 臼田有志 | 2004/12/08 2:29:39

ありがとうございました。
名前まで出して頂き恐縮至極。

長くなりそうなので、連想したことなどをかいつまんで書かせて頂きます。
学生が覗いて深めてくれると嬉しいですね。

1脳の内外
懇談の中でも少し触れましたが、昔話の中で主人公達が外界から見つけてくる「宝物」は、実際には内面の象徴であると考えられています。
『オズの魔法使い』の道連れ個々の「欠如」は、ドロシーのそれでもあり、そしてそれらは、気づいていないだけで、時が至れば発見される物であること。
分身は消える。
梵我一如ということ。
『おくのほそ道』は極めて内省的な旅であること、などなど。

2 歴史認識
出来事は「結果」があって初めて認識されると言うこと。それを「理解」するために必要な「最初」を探し、「はじめ」「終わり」を関連づける蓋然性の高い説明項を当てはめて生まれる最小限の物語として、歴史は立ち上がること。ダント『物語としての歴史』の良いとこ取りです。
そのうえで、脳は、これを一瞬で処理しているのではないか。目覚める直前の刺激が、過去に遡ってそこに至る物語としての夢を構築させていはしないか、と。それは、未知の刺激に対する不安を除く重要な機能ではなかろうか、てなことを。

3 鳥瞰
山寺も行きましたが、六本木の体験はもっと切実でした。
10年以上前に親しんだ(地に足をつけて眺めた)街を見下ろしながら、ランドマークを、見たことのない角度から見つけ出すこと。
知らないはずのハードロックカフェの屋根の色に既視感を覚えること。
私の中にぼんやりと記憶されていた古い地図では、重ね合わせようのないものたち。
次に、その風景の、その場所を訪れた時、あぁ、そのようであった、と思い出しながらヒルズを見上げることになるのだなと思ったのでありました。

あの風景の中に幾つ付箋が貼られていたか、という話かな、とも。

ちょっと悪のりしすぎました。このへんで。

投稿: 小二田 | 2004/11/30 17:22:05

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