ワーグナーと芸術の革新
ワーグナーを最初に聴いたのは高校生の
時だったが、
大変な影響を受けた。
大学に入ると、しばしばワーグナーを聴きに
行って、その度に
今は東京工業大学で独文学をされている
山崎太郎さんと会場で顔を合わせた。
その山崎さんに誘われてワーグナー協会の
例会で喋った。
考えてみると、ワーグナーという男は、
今私が考えている芸術の革新の問題においても
鍵になると思った。
私が抱えている問題とは、たとえば矮小化
して言えば、、
「芸術新潮」とか「美術手帖」を定期購読していても、
なぜか読む気にならないのはなぜか、という
問題である。
つまり、そこに蓄積して深化していく
フィロソフィーがないからだな、と思った。
人間とはこうあるべきだとか、こうありたい
というフィロソフィーがない。
だから、出来損ないのカタログみたいな
ものになってしまう。
結果としてつまらない。
部分的には、ちょっと気の利いたことを言って
みるものの、実は単なる部分美のカタログに
過ぎない。
これって、今のアート業界の本質的欠陥じゃ
ないのか。
ワーグナーには、いろいろくだらない文脈が
ついているけれども、
そのような文脈を取り払った時に
見えてくるのは、
まさに、人間の魂の幸福の問題を真摯に
考えた男の肖像である。
たとえば、今回の例会で取り上げた
「パルジファル」一つにしても、
たいへんな魂の問題が扱われている。
形骸化した宗教団体において、形式としての
儀式が行われていることの恐ろしさ、
その中で、真の魂の悩みを抱えている男が
いても、みな共感も反省もしない。
何も知らない愚か者がそこにやってきて、
全てを目撃するが、すぐには何を自分が
体験したのかわからない。
その意味がわかったのは、
聖杯につかえる男の苦しみが何に由来しているのか
を自ら体験した時であった。
結局、魂の苦しみは、それをもたらす
原因となったものによってしか癒されない、
と聖槍をとりかえす。
現代の認知科学の視点から見てもアクチュアルな
問題が扱われているし、
似たようなラジカルな目で、
グーグルやスパムや携帯にまみれた現代を
見通すことは必ず可能なはずだ。
現代では、ワーグナーくらいの魂の深みに
降りていっているのは、マリーナ・アブラモヴィッチ
くらいか。
ちょっと気の利いた文脈主義や、政治的
コメントといったスパイス付きの
アートだけじゃ、浮かばれないよ。
11月 28, 2004 at 08:29 午前 | Permalink
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