相澤洋二、相澤洋二、・・・・・・
早稲田の相澤洋二さんの還暦記念シンポジウムは、
二日目。
出番を待っている間に、ふと思いついて、
相澤洋二さんが赤いちゃんちゃんこを着ている
写真を合成した。
還暦仕様の相澤洋二さん
トークの冒頭にこの写真を見せたら、
会場が爆笑した。
写真を前に、相澤さんと最初に
接触があった修士の頃の思い出を振り返った。
講演本体は、
クオリアの解明を究極の目標としつつ、
脳のシステム的性質を調べるという現今の
研究についてしゃべった。
質疑応答で、郡司ペギオ幸夫がすかさず、
「お前の言うように、
もうやるべきことは判っているんだから、
なぜ、不定である外部がある時に生物のように
学習する存在が必然化されるのか、それを
理解するモデルをつくるべきなんじゃないか」と
言った。
それはそうだと思う。
だが、オレはあくまでも
empiricalな方向で行きたい。
empirical(経験的)ということの意味を、
我々は十分真剣に考えていないんじゃないか。
抽象から具体まで、ぐーんと串刺しするのが
empiricalである。
12月に神戸に津田一郎さんが来るというので、
ぜひその時は行くよ、と郡司に言う。
ちょうどその頃、大阪大学での集中講義もある。
ここのところ、世間的な意味でのアカデミックな
志向への回帰の潮流が自分の中にあるけれど、
それに取り込まれてしまうのも嫌だ、
と思う。
これがアカデミズムでござい、などという
予定調和とは無関係な、
一回性の起爆力を我々は忘れては行けないんじゃ
ないか。
もはやアインシュタインは神話かもしれないが、
彼が1902年から1909年まで特許局で
働いていたという事実を忘れてはなるまい。
アカデミズムなどとは無関係である。
1905年の相対論の論文を発表
した後、なお4年間も特許局にいたことになる。
アカデミズムの仲良しクラブに入る気など
ない。
そう思って、相澤洋二さんの目つきを
思い出してみると、そこには狂気の光がある。
郡司が自己の起源についてのモデルを
しゃべっているときに、相澤さんが何やら
ノートに書き付けているから、
終わった後、相澤さん、何を書いていたんですか、
と覗き込んでみたら、
そこに、「相澤洋二、相澤洋二、相澤洋二、・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と自分の名前がびっしり書いてあったそうである。
自分が何ものなのか、不安になって仕方が
ないから、名前を書いていたのだそうだ。
嘘のような話だが、相澤さんを知っている
人は、ああ、なるほどと思うだろう。
このような人の中に、最良の伝統は息づいている
のであって、
決して、「オレがアカデミズムだよ」
と大きな顔をして歩いているやつらの中にあるの
ではない。
11月 13, 2004 at 08:01 午前 | Permalink
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