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2004/11/11

アインシュタインに感謝する理由

科学をやる醍醐味は何か、ということを
MXテレビの西野淳一さんとの打ち合わせ
で話していた。
 
 一言でいえば、「わからない」ことについて
考え続けることの魅力である。
 この世界の成り立ちの奥に、くらくらと
めまいがするほど美しい秩序があることへの
嗅覚である。

 アインシュタインの相対性理論で、
E=mc2という式が出る。
 左辺はエネルギ−、右辺は質量。
なぜ、まったく異なるものが等式で
結びつくのか? しかもそこに光の速度
の二乗などが入ってくるのか?
 
 1905年のアインシュタインの論文で、
上の式がどのように導かれるのかを読めば、
 どんな芸術も足下に及ばない感動がこみ上げて
くる。
 脳は基本的に快楽主義者だから、
 そのような美、ミステリーを追い求める
「科学者」という人種が出てきても不思議ではない。

 ところが、常に相対性理論のような超ど級の
発見があるわけではないから、人々は
とりあえずわかりやすい所から手をつける
「準備運動」を始めることになる。
 大発見がない時代がずっと続くと、
何時の間にか、準備運動が科学だとだまされる
やつらも出てくる。
 しかし、オレや池上高志のような快楽原理主義者
はだまされない。

 東大の駒場で、ハーバードのMarc Hauserの
話を聞いた。
 チョムスキー一派で、人間の新生児と
猿の比較言語学で有名な人である。

 言葉を時系列としてとらえ、その配列に
チョムスキー流のグラマー(レギュラリティ)を
発見することが言語である、というスタンスから
いろいろな解析をする。

 まあ、そんな解析はできるだろうな、という
ことは、高校生くらいの知性があれば判る。
 しかし、そのどこに言語の本質があるんだ?

 よく言語学者は、これは文法的に許される、
これは許されないという二つの集合へのマッピングを
やるけれど、それを前提にした認知実験を
組んだとして、で、言語の本質に迫れるの?

 言語学のE=mc2にあたるものが、Marc Hauserの
準備運動から出てこないことは、
 火を見るよりも明かじゃねえのか。

 となりの池上に、「でも、お前は力学系
にのせることができるかもしれないから、こんな
研究でもいいと思うんだろ?」
と言ったら、
 「お前いやなこと言うなあ」
と言った。
 それから、「こんなの、つまらねえだろう」
と言った。
 
 準備運動をやって一生を終わるくらいなら、
科学などやんねえほうがましだ。

 ところが、世間では、準備運動を科学だと
勘違いしているプロの研究者、マスメディア、
一般の人々がある。

 オレと池上は立ち上がってMarc Hauserに
文句を言ったが、
 通じたかどうかはわからない。

 オレは、自分の研究室の学生に、これだけは
伝えたい、と思っていることがある。 
 チョムスキー一派だろうが、ハーバード
だろうが、そんな権威はまったく科学の本質と
関係ないのであって、
 つまらないものはつまらない。
 そういう健全な態度と審美眼を保つこと。

 思うに、私たちがアインシュタインに感謝
するのは、彼が勇気をもって際を超えて行って
しまって、
 そこにあった凄まじい真実の姿を
見つけたからじゃないか。

 Oh, there goes Mr. Einstein.
 I must remember to thank him.

 高校生にでもわかるような準備運動ばかり
している科学者などに、誰が心から感謝しよう
などと思うもんか。

11月 11, 2004 at 07:26 午前 |

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コメント

個人的には、物理法則と数学的フォーマリズムとの関係性、及び、私たちが数式を理解する過程の中の言語のextrapolationの構造を明白にすることが言語問題へのアプローチのひとつのように分析されます。

投稿: S | 2004/11/16 22:05:08

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