Constitutional Crisis
ゆえあってインド出張は中止、
静かに仕事をして3日間くらしていた。
われに返って見ると、インドに行っている
暇がないくらい仕事が溜まっていたので、ちょうど
良かったかもしれない。
ちょうどいい、と日記を書かずに潜伏して
いたので、
お問い合わせいただいた方々にはご心配を
おかけしました。
関係者の方々へー>ということですので、
ゲラ等、いつもの宛先にお送りいただいて
大丈夫です。
仕事をしながら考えていたのが、
constitutional crisisと創造性の問題である。
英語でconstitutionとは、国の成り立ちの
ことであって、十七条憲法のような「条文」
のことではない。
constitutional crisisとは、つまり
国の成り立ちの危機のことであって、
根本的な政体が揺らぐことである。
ある一国にとってのconstitutional crisisとは、
日本で言えば明治維新や第二次大戦の敗戦のように、
それまでの政体が揺らぎ、崩壊して、
新たな政体ができあがるまでの過渡期を指す。
過渡期が、政治的にはもっとも創造的な
時期でもあることは言うまでもないだろう。
ちょうどemergency(危急)
とemergence(創発)が語源を共通とするように、
crisisにも何か創発的意味合いがないか、
と語源を調べてみると、やはり、「病気における
ターニング・ポイント」という意味に加えて、
「判断する、分離する、決定する」をも意味する。
constituional crisisは、何も国だけのことでは
なくて、個人にも当然ある。
そして、危機が創造と結びついて
自分がどのような組織に属するのか、属さない
のか、何をして生活するのか、どのような
人たちと行き来するのか。
このようなことが固定化してしまっている
人に、本当の意味での創造性はないのでは
ないか。
もともと、人間はconstitutional crisisの
中に生まれ、その中に死んでいくのではないか。
生まれ落ちた時、自分が何故この世界に、
この親の元に生を受けたのか納得できる
人などいるか?
思春期の自我の確立への苦闘、
老年期の老いとの戦い。
自分が社会の中で何者である、と判った
ふりをしている人をおじさん、おばさんと言う。
constitutional crisisを引き受けて生きている
人は、いつも心が揺らいでいるし、いつまでも
青年だ。
インドがなくなってせっかく空いた時間だが、
何しろ仕事が山積していて身動きがとれません。
こつこつと仕事をこなしつつ、
胸には常にconstitutional crisisを秘めて
いたいと思う。
11月 23, 2004 at 06:19 午前 | Permalink
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