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2004/10/28

仮象としての世界 

私は死刑廃止論者だが、
 震災の被害者につけ込んで金を詐取しようとする
輩の心根は殲滅してよし!
 と思う。

 最近つらつら思うのに、世の中には自分の
社会的な場所とか、出自とか、ルックスとか、
そのようなものに自分のあり方を依拠させる
人たちがいて、
 そのような人たちが一貫して私の敵であったし、
これからも敵である、と思うのだ。

 私は、そのようなキモチにどうしても
なることができない。
 具体的に記すと品が悪くなるので列挙はしないが、
要するに人のうらやむような評価、地位、名誉
を得た人がいたとしても、その人の心がそのことに
依拠してしまって、態度にそれが出てしまった瞬間に、
私はふっとその人に対する興味を失ってしまうの
だと思う。

 結局、このような私の志向性はどういうことか、
と説明するのに一番便利なのは、仏教的な仮象の
フィロソフィーだなと思った。
 この世の全ては、仮象にすぎない、と心から
思う。
 地位や名誉などが実体だと思っているやつは
くだらん。
 そのようなことに自分を委ねればならない
魂の卑小な震えには同情しないでもないが、
 私の魂の友(ソウル・メイト)では決して
あり得ない。

 地位や名誉などが実体だと思っているやつが、
つまりは俗物ということであって、
 私の友人たちは、皆、そのようなものが
仮象に過ぎないということを心からわかっている
人たちのように思う。
 
 ただ、だからと言って相対主義には行かないの
であって、
 全ては仮象とわかった後で、全ては始まるのだと
思う。
 その仮象一つ一つを、職人のように、魂を
込めて作っていく。

 それが私の人生でありたい。

 飛行機が成田へ向けて高度を下げ、
雲の切れ間から信じられない
ほど美しく太陽の光が差し込んで海の波の上に
明々としたスポットをつくるのを見ながら、
 我々の認識は間違いなく生きのびるために
進化して来たが、
 その機能主義の王国に美が忍び込んでしまうのは
何故なのだろう、と考えていた。

 飛行機という巨大な機械を繰り、巨額の資産と
多くの人々の命を預かっているパイロットの人生と、
自分のこれまでの人生を比べてみていた。

10月 28, 2004 at 08:02 午前 |

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運命の人とめぐり逢って幸せになれる方法孤独のどん底からラブラブな人生へ大逆転したその理由とは・・・・前生から赤い糸で結ばれている運命の人(ソウルメイト)と出会い結ばれて、本当の意味での愛と幸せを手に入れてもらう方法あなたは知りたくはないですか?もし、あなたが今孤独のどん底にいたとしても早ければ数ヵ月後には運命の人ソウルメイトに出会うことができて幸せをつかんでいるかもしれません。このノウハウを身に付けた途端にはじめる、あなたの新しい人生を想像してみてください。私たちは誰にでも、...... [続きを読む]

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コメント

『フューチャリスト宣言』を読み、深く感得して、ブログを拝見しました。 
日記、ほんの一部しか読んでおりませんが、怒っている相手と怒り方がすばらしいです。学生のころ読んだ、三木清の「人生論ノート」にあった瞋恚は善悪に通じるという言葉を思い出しました。

「そんなことを言っていると、俺と友だちでいられないぞ」と、真剣に怒りあえる、友情でありたいと思いました。

『走れメロス』で、悪辣な王が最後、仲間にいれてくれといった有名な場面も思い起こしました。
まことに失礼ではありますが、今日から「走れ健一郎! 走れ自分!」と興奮しながらブログを拝見させていただくと思います。

お体に気をつけてください。

投稿: | 2007/05/28 0:24:18

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