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2004/10/21

もの言わぬものたち

台風の雨や風が強まる中、夕刻、新宿矢来町
の新潮社へ。
 小林秀雄全集、全作品集を編纂されている
池田雅延さんに、先日「信じることと知ること」に
関する随筆を依頼され、その「打ち上げ」と
称した飲み会である。

 車で神楽坂のうなぎ屋「石ばし」へ。

 池田さんは、国文科の卒論が小林秀雄で、
新潮社に入社してすぐに小林秀雄の担当になり、
1983年に小林さんが亡くなるまで、最後の
編集者としてその身辺のあり様を見届けた
方である。


 
「石ばし」にて小林秀雄の思い出を語る池田雅延さん


 池田さんの脳髄の中には、貴重な思い出が
たくさん詰まっている。
 そういえば、池田さんの風情自体が、どこか
故人を彷彿とさせるではないか。
 「石ばし」は、新潮社が伝統的に打ち合わせに
使っている店だそうである。

 他に、白洲信哉さんも来るはずであったが、
鬼の霍乱、ひどい風邪を引いて点滴まで打った
というので、妹の白洲千代子さんが急遽
「兄の代わりに暴れる」といらした。
 酔っぱらった信哉さんの誕生祝いの
インディアン・デスロックを受けるか
と覚悟していた私は、ほっと一息ついた。

 しかし、風邪を引いた理由が、酔っぱらって
どこかの路上で眠っていて、気が付いたら
朝だった、というのだから心配である。
 酔っぱらって水道橋の駅のホームから転落
して助かった祖父(=小林秀雄)ゆずりだとは言える。

 しかし、暴れたのは、結局というか
案の定、デザイナーの小池憲治
さんであった。
 小池さんは、信哉さんとともに小林秀雄の
「美を求める心」の目録などのデザインを
している。酒を飲んでのゲバルトつながりで
最近、信哉さんとタッグを組んでいるのであるが、
口が悪い、声が大きい、酒は飲む。手に負えない。
日本を代表する評論家、批評家を次々と血祭りに
上げ、あげくのはて千代子さんから、「詰まらない
ものは放っておきなさいよ」とたしなめられる
始末であった。 
 その上、私がアリゾナの学会に行っていて
いけなかった諏訪の御柱祭が、「良かったよ。
あれを見ていないのは人間とは言えないな」
といつまでもたらたらと言っている。

 しかし、愛と男気があるから、嫌みにはならない。

 長年、祖父の所に原稿を取りに
来るのを見ていた千代子さんと
池田さんの会話は、しみじみと
したものであった。
 最近、千代子さんの夢に小林秀雄が出るのだと
言う。
 そして、「お前さんは、どんなものを作っている
んだい」と言って、後は黙っているんだと言う。

 池田さんは、「小林先生は、よく、相手の話を
聞いた後で、「お前さんの言いたいことは、
こういうことではないか」と丁寧に言葉を重ねて
おっしゃっていましたが、きっと、先生は、千代子
さんに、お前は何をやりたいのか、よく考えて
ごらん、とおっしゃりたいのではないでしょうか」
と言った。
 
 「先生が、職人がお好きだった、ということの
意味は、よくよく考えてみるべき、大変な問題
だと思います。」
と池田さん。

 気が付くと、ゲバルト小池も静かに聞き入って
いた。

 静かなり、もの言わぬものたち。

 人は、どんな作品を作る時にも、その対象に
魂を込める時、もの言わぬ職人になるのではないか。

10月 21, 2004 at 07:42 午前 |

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コメント

ほんとうに真摯にものごとに取り組んでいるとき。
ほんとうに問題について考えているとき。
ほんとうにものごとを知ろうとしているとき。
人は寡黙になります。
僕の今の饒舌はコミットしていない故の空言であると自覚しつつ…
語るべき言葉を語るべき場所で発せられるよう精進したいと思っています。

投稿: nomad | 2004/10/22 0:02:50

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