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2004/10/17

ポマードのにおい

最近、丸谷才一が気になっている。
 
 青年期以来、何となくその中庸主義のような
匂いを敬遠していたのだが、
 最近朝日新聞で読んだいくつかのエッセイがとても
良かったので、
 「丸谷才一は実はいいんじゃないか」と
思うようになった。

 中庸が、知的な成熟のしるしであるように思えて
来たのである。

 中央公論2004年11月号に掲載
されている谷崎潤一郎賞の選評で、堀江敏幸の
「雪沼とその周辺」を評した文章も良かった。

 「とりわけ職業生活からはいって行って作中人物を
とらへようとする態度に共感を禁じ得なかった。
これは近代日本小説が私小説中心に進んで来たせい
でとかく怠りがちだつたことで、作家たちは一種の
藝術家小説を書いてゐるといふ遁辞を心のどこかで
構へながら、しかし藝術家といふ職業を描くことも
しなかった。まして他の稼業については、視界の
外に置く態度が支配的だつたと言ふしかない。しかし
生計を立てる手段は、個人と共同体のいはば切点
である。その大事なものを曖昧にしたため、一般
に社会は作中人物たちの背後を取囲まなくなり、
従って人生の味が淡くなつた。」

 人は、その占めている社会的ニッチによって、
知らず知らずのうちに独特のにおいを放つ
ようになるものである。
 科学者のにおいは前から知っていたが、
最近は、芸術家やキュレーターのにおいも
よくわかるようになってきた。
 そうなると、美術業界というものが見えて
くるようになる。

 ある個人のもともとのユニークなにおいが、
職業柄、ニッチ固有のにおいと混ざって、独特の
風合いを出す。人間というものはおもしろい
ものだと思う。

 子供の頃、一人で留守番している時に、
頭をポマードで固めたセールスマンが来て、
その相手をしなくてはならないことがあった。
 「セールスマン」という職業に従事した
時間が長くなるほど、その人から
漂ってくる人格のにおいのようなもの。
 それが、ポマードであるように思えた。

 小説家や、アーティストの描く人間は、往々に
して自分たちのようなニッチを占める人間の独特の
においを漂わせているだけであって、
 普遍的な人間を描けていないことが多い。
 人は自分の置かれたニッチのにおいから逃れる
ことはなかなか難しい。 
 
 お昼に餃子を食べて、にんにくのにおいをぷんぷん
させていても本人が一向に気づかないように、
 自分のにおいを客観視し、また他人のにおいを
描けるためには、高度に知的なディタッチメント
(乖離感)が必要である。

 丸谷才一や堀江敏幸は、おそらく、そのような
ディタッチメントを行うだけの知的胆力を持って
いるのだと思う。

 自分の感性を盲目に信じすぎると、
その人は自分のにおいの中に、世界を見失う。
 ポマードのにおいを漂わせないためにも、
人は惑い、行き交わなくてはならないのだ。

10月 17, 2004 at 09:31 午前 |

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コメント

コメントありがとうございます。
yuriさんはひょっとしてMacユーザーで、Internet Explorerを
使っていませんか? 私はMacですが、IEだと、やはり
コメント書こうとする時に文字化けしてしまうのです。

アップルのSafariを使うと、文字化けしないので、コメントを
書く時はこちらを使っています。

yuriさんも試してみてくださいませ。

投稿: 茂木健一郎 | 2004/10/18 7:35:37

nazeka,nihongodato bakete
shimai nyuuryoku dekimasen
nihoi nee mumi mushu yori mo
naito naranai mono datoha
omouimasuga.
nita nihoi wo hassuru chigau jyunnshu no hitomo imasune

投稿: yuri | 2004/10/17 21:16:12

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