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2004/10/16

忘れちまいました。

 人間は、生きていくうちに、いろいろな
ことを学んでいくものだけども、
 時には、そんなもん全部忘れちまえ、と
思う。

 忘れるといっても、もちろん、脳の中には
記憶(痕跡)が残っている。
 だから、忘れるということは一つの態度で
あって、消去ではない。

 SMAPの視聴率は世間では20%
かもしれないが、オレは出た瞬間に消すから
0%だ、と嘯いている。
 しかし、キムタクが現代日本のある部分を
表していることは否定のしようがない。

 街の中で出会うあの人、この人の中に、確実
にSMAPのバラエティ番組に感応する心はある。
 あるもんはあるんだから、否定しても仕方がない。
 別に自分はコミットしないが、ああ、そういう
ものがあるんだね、ととりあえず一瞥を与えて
おくしかない。

 パリの印象派のように、自分たちの等身大の
生活を美的に是認することができたらいいなあと
思う。
 里山の柿は美しいが、現代日本の等身大の生活は
哀しすぎる。
 等身大のアーティストが愛知万博のフミヤでは、
泣いても泣ききれない。
 しかし、もちろん、街の宝くじ売り場の前に、
渋谷のセンター街に、たくさんのフミヤがいること
も否定できない。

 忘れることの効用を思うのは、そのような
時である。
 はて、私はどんな国に住んで、どんなマスメディア
の中の文化を目撃して来たんでしたっけ?
 私はもうすっかり忘れてしまいました。

 昨日何があったかも忘れてしまったけれど、
朝カルの後の飲み会に増田健史が乱入してきて、
 「茂木さん、文學界の連載でドストエフスキー
を書かないと意味がないじゃないですか」
と言ったことは、
 そのひんやりとした刃の感覚とともに覚えて
いる。

10月 16, 2004 at 09:42 午前 |

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