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2004/10/14

心に浮かぶ姿

 レクチャーの後、質疑応答になった時に、
それが一般的な、ばくぜんとした質問だった時には、
それはアメーバのような姿をしている。
 その人の最も内側から出た、よく考え抜かれた
私自身も気づかなかった点に触れている質問の時は、
 森の中で突然出会った鹿のような若々しく
弾性にあふれた姿をしている。

 このところ、創造性について話す機会が多く
なって、そんなことを思う。

 品川シーサイドに行って、3時間創造性
について話した。
青物横丁から帰ろうと思うが、
 駅の方向はよくわからない。
 
 しかし、地図など見なくても、夕暮れの街は、
ある決まった方向に歩くスーツ姿の人たちで
あふれていて、
 その流れに入れば、どうやら駅に向かうらしい。
 
 駅が近づいたかな、と思う頃、細い路地に
飲み屋が並んでいるのが見えた。
 
 青物横丁のような、ターミナルからちょっと
郊外に向かった駅で仕事をし、
 夕暮れ時に帰る。
 そんな時、飲み屋の明かりがあかあかと
心の中に飛びこんでくる。
 そんな毎日のことを思った。

 父が定年で退職したあと、仲間たちと
東京で飲んでいて、
 ふと、そうか、父にもそのような「黄金時代」
があったのだな、ということを思った。

 マクタガートのA系列だろうが、B系列
だろうが関係なく、時間は流れ、戻ってこない。

 自分もそのような流れの中で押し流されていて、
ふとメタ認知が立ち上がった瞬間の感触は
決して忘れない。
 そのような時に浮かんでくる表象は、
 夕暮れに輝く黄金の塔のような姿で見える
ことがある。

 『脳と仮想』について、韓国の出版社から
翻訳出版のオファーが来たと新潮社の北本壮
さんから。
 ヨーロッパにいるとばかり思っていたけども、
いつの間にか東京に帰ってきていたらしい。
 
 ハングルの『脳と仮想』ができあがったら、
それは韓国語を勉強する良い機会かもしれない。

10月 14, 2004 at 07:29 午前 |

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