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2004/10/10

情熱と論理

台風一過の曇り空。
 英語のブログをはじめたのは、文章修業のためである。

 ブログに移行して2週間になる。
 「ブログ」にあたかも新しいカルチャーがあるような
浮かれ騒ぎにはつきあえないが(先日パリのシンポジウム
でAllan Kayも、「ブログのコンテンツの95%はゴミだ
と言っていた)、記事毎に固定URLが付けられるなど、
論理的に説明できる利点がある。
 だから、こっちにした。

 感情の調子が悪い時には論理が助けてくれる。
 昨日は、朝から、やらなくてはならないことを
論理的に次から次へと片づけていった。
 ロジックのひんやりした感触が、
熟れすぎた感情の腫れをいやしていってくれるような
気がする。
 
 情熱と論理。この両方を兼ね備えている人はなかなか
見あたらない。
 養老孟司さんは、そのような一人か。

 バカの壁だろうが何だろうが、世間で養老さんを
どう思ったとしても、
 私には養老さんに直接対面している時にひしひしと
伝わってくる独特の感触がある。
 きわめて論理的ににして、きわめてパッショネット。

 そのような人しか、結局信用できない。

 論理的なだけの人はとるに足らない。
 (世間の多くの人の思いこみに違うが、論理などは
トリヴィアルなものだから。コンピュータにだって
できるんだからね。)
 情熱的だけの人は危うい。
 冷たさと熱さのコントラストが、この難しい世を
生きていく上で必要な両輪だ。

 今日は雨が降らないようだから、一つ長い距離を
走ってみようと思う。

10月 10, 2004 at 07:34 午前 |

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コメント

プログの95パーセントはゴミだ。 うーむ。絶対的に言えるのかどうかは小生には計りかねます。しかしながら、社会において、絶対的な事柄が他人にとってはゴミ。茂木さんのコメントにありましたように、自分にとっての作品は他人にとっては単なるくず。それでいいのだだと小生も存じます。
 常識とはなんたるか、社会性とはなんたるか、小生、いまだに発展途上ではありますが、ゴミにいながらも、作品を、作品にいながらもゴミを見ているのかもしれません。
 「脳と仮想」拝読させて頂きました。茂木さんが意識について、探求しているトップランナーであって欲しい。それを小生は陰ながらみている、鑑賞者でありたい。
 ネットに潜む悪は悪として、ネットによってもたらされる便利さは自然の中で暮らす田舎者にとって、鑑賞者である小生の栄養供給源でもあるのです。

投稿: | 2004/10/12 12:20:53

y.o.さん

自分が美を創り、鑑賞し、追求するときは美について絶対主義であれ。
他人の美意識を尊重する時は相対主義であれ。

これでいいんじゃないのでしょうか。

投稿: | 2004/10/12 4:59:25

素人の質問で大変申し訳ないのですが、そうしますと、茂木さんとしては、美術館にはいっているようなものはどのように定義されるのでしょうか?
いわゆる美はクオリアとは別次元に属する事柄でしょうか?

投稿: | 2004/10/12 1:11:51

nomadさま

他人から見たらゴミ、自分では作品。

人生、案外それでいいのかなとも思います。
そこに、人間の個別性がもっともクリアに出ているわけですから。

投稿: | 2004/10/10 19:17:02

セオドア・スタージョンよりも品質に厳しいようですね、Allan Kayさんは。
スタージョンは「SFの90%はクズである」と言った者に「ええ、世間の何事も90%がクズですからね」と応えたとか。
僕(と、あじまひでお)はさらに品質に厳しくて「100%はクズ」と考えていますが。
ただ、そうしたクズと無駄の積み重ねが美のソリトンを生み出すかも、と思っております。

残念なことに、誰もが自分の品質には甘くて、自分の行為には意味がある、あるいはあってほしいと思っていますよね。もちろん僕もそう思っています。
カット&ペーストであっても収集行為、編集行為には意味があると考えている人たちは多いでしょう。
例えば僕のこの言葉も、どれほど影響があるかと言えば無駄の積み重ねに違いないのでしょうが、僕は誰かに伝えたい=影響を与えたいと考えているわけで、自分自身ではノイズは多いもののゴミとまでは思っていません。

さて、そこで、ですよ。
他人から見たらゴミ、自分では作品、の間を埋めるものはなんでしょうか?

投稿: nomad | 2004/10/10 16:12:14

私が言う意味は(そしておそらくAllan Kayが言う意味は)
サ松さんが書かれたような、全人口の5%うんぬんという
ことではありません。

どんな思想、考え方であれ、その人のユニークさがあらわれているものがゴミであるはずがない。

自分で立ち止まって考えることをせず、カット&ペースト
して何かがそこで生まれていると勘違いしている人たちのことを
ここではゴミと言いました。

もちろん、blogの主要な部分として引用、リンクがあったとしても、
そこにその人が本当に考えたことが現れていれば、それはゴミでは
ない。

Allan Kayは、dynabookという概念を提案した伝説的なコンピュータ技術者ですが、何よりも個人の自由と個性を尊重しています。

最後に、言うまでもないことですが、サ松さんはご自分で
考えられて書かれているわけですから、サ松さんが
書かれるものがゴミであるはずがありません。

投稿: | 2004/10/10 10:14:05

はじめまして。
毎日日記を楽しく拝読させて頂いています。

>Allan Kayも、「ブログのコンテンツの95%は
>ゴミだと言っていた

これは、世の人間の95%はゴミだといってるようなものですね。
非常に賛成できるご意見です(W
良く知りませんが、このAllan Kayという人はきっと優秀な人で、自分はゴミでない5%の中の人間だと思っているのでしょうね。

茂木さんはご自分を5%の中の人間だと思いますか?

投稿: | 2004/10/10 9:24:20

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