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2004/10/11

「久家さんの写真の上に、桜の花びらを一つ落とすこと」(2003)

久家靖秀 写真集 cover/girl
(朝日出版社、2003年)解説

http://www.qualia-manifesto.com/covergirl.html

10月 11, 2004 at 01:25 午後 |

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コメント

御回答大変ありがとうございます。全くその通りであります。
もともと言語とか文脈より上位のクオリアや無意識を分かりやすい言葉で説明されるのは大変な作業だと想像します。読むほうも、文章が立ち上げるクオリアのようなものに感応するのが正しい読み方だと思いました。

投稿: | 2004/10/18 15:59:00

y.o.さん

写真に限らず、何かに向き合うとき、私たちは対象だけでなく自らの内側からわき上がってくる無意識をふくむ様々なプロセスを感じるものではないでしょうか。

投稿: | 2004/10/14 7:33:07

自分にとって大変難解な文章でありました。
特に冒頭の、「写真をみることは無意識と向き合うこと」の意味、及びこの文章とその後の論理のつながりが理解できずにいます。とくに「意識」ではなくて「無意識」が使われた点について、アドバイスをいただければ幸いです。

たとえば桜を見にいくとき、アタマでは「桜なるもの」を想起して、目では実際の時間軸上の桜をみます。これが、写真をみるときに想起される「オンナノコなるもの」と、この写真が良くとらえている「実際のオンナノコ感」との対比に相似しているとおもいます。「・・・桜の花びらをひとつ落とすこと」のタイトルからは、自分はこのような事をおもいました。

投稿: | 2004/10/12 21:52:08

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