2008/05/13

プロフェッショナル 堤幸彦

プロフェッショナル 仕事の流儀

気負わず、おごらず、立ち止まらず

~ 映画監督 演出家・堤 幸彦 ~

若き日のロックンロール・スピリットを
失わずに、大人として
立派な仕事をするということは、
一体、どういうことなのかあ!

この番組を見て、堤幸彦さんの
生き方に学ぼうではないか、
諸君!


NHK総合
2008年5月13日 22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
絶対に譲れないものを1つ持て
〜映画監督 堤幸彦〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

5月 13, 2008 at 09:03 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

Art in you うちなるアートを発見する

宮島達男 × 茂木健一郎
Art in you うちなるアートを発見する

2008年5月14日(水)19:00〜20:30

八重洲ブックセンター
本店8階ギャラリー

http://www.yaesu-book.co.jp/events/index.html#miyajima 

5月 13, 2008 at 08:59 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

「脳」整理法 14刷

ちくま新書「脳」整理法
増刷(14刷、累計107000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんからの
メールです。

筑摩書房の増田健史さんから
いただいたメールです。

茂木さま

過日はもろもろの厄介事をお引き受けいただき、ありがとうございました。

早速ながら、ご著『思考の補助線』および『「脳」整理法』の重版が決まりました。

『思考の補助線』については、第7刷として10,000部(累計75,000部)を、
『「脳」整理法』については、第14刷として5,000部(累計107,000部)を、
それぞれ増刷させていただきます。

なにがしか変更点がござい
ましたら、ご一報たまわるようお願い申し上げます。

月末、蔵前までご足労いただくことを楽しみにいたしております。

要用のみ、御礼旁々お伺いまでに。

増田健史


株式会社 筑摩書房 編集局 第2編集室
増田 健史(Takeshi Masuda)


増田健史氏

5月 13, 2008 at 08:58 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『思考の補助線』7刷

ちくま新書 
茂木健一郎 『思考の補助線』は増刷(7刷、累計75000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんから
いただいたメールです。

茂木さま

過日はもろもろの厄介事をお引き受けいただき、ありがとうございました。

早速ながら、ご著『思考の補助線』および『「脳」整理法』の重版が決まりました。

『思考の補助線』については、第7刷として10,000部(累計75,000部)を、
『「脳」整理法』については、第14刷として5,000部(累計107,000部)を、
それぞれ増刷させていただきます。

なにがしか変更点がござい
ましたら、ご一報たまわるようお願い申し上げます。

月末、蔵前までご足労いただくことを楽しみにいたしております。

要用のみ、御礼旁々お伺いまでに。

増田健史


株式会社 筑摩書房 編集局 第2編集室
増田 健史(Takeshi Masuda)


増田健史氏

5月 13, 2008 at 08:58 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

英語だと思って、読まないでスルーしているんでしょ!

韓国に行く前に転んでハデに
突き指した
後遺症がまだ残っていて、
大分良くなってきたけれども、
それでも、変な力がかかるといたい。
左手にあまり
大きな荷重はかけられない。

そのせいで、ついつい、
椎名誠さんに前回お目にかかって
以来
せっかく築き上げてきた
「腕立て腹筋いっぱい」
という路線を維持するのがむずかしく
なった。

つい、自分の指にかかる負荷に
敏感になり、
へなちょこ腕立てになってしまうのだ。

それで、コーヒーを淹れたり、
ちょっと立ったりしたり
する時に、
シュッシュッシュッと
シャドウ・ボクシングをすることに
した。

最初の時、録画していた
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
を見ながら45分間シャドウ・ボクシングを
していたら、
翌日、胸筋が痛くなった。

やった!

松岡修造さんから、普段使っていない
筋肉を使うと痛くなると聞いている。

それ以来、時々胸筋を痛くしている。

ソニーコンピュータサイエンス研究所で
学生たちと研究上の議論。

柳川透が最近考えていることを聞いた。

関根崇泰がSociety for Neuroscience Meeting
に出すアブストラクトの方向が決まった。

高川華瑠奈の実験のコンセプトを詰めた。

加藤未希の実験において、どのような
洞察課題を使うかを議論した。

日経サイエンス編集部。

地球温暖化についてさまざまな
研究をされている江守正多さんに
お話を聞く。

この問題についての国際的な
取り組みの現状が、とても
よくわかった。

そして、江守さんは、とても
素敵な人だった。

江守さん、本当にありがとうございました!

終了後、糸屋和恵さんのお気に入りの
中華料理屋で懇親会。

詫摩雅子さんが、「茂木さん、ブログ毎日
書かれて偉いですよね。」
という。

「習慣になれば、大したことありません。」

「いつも付けられている英語の詩も、
いいですよね。」

「あのねえ、詫摩さん、あれは、詩じゃ
ないの! 心脳問題について書いている本の
一部分を載せているんでしょう。もう!
あっ、英語だと思って、読まないで
スルーしているんでしょ!」

「ごにょごにょ。」

もっとも、当日
ぼけていたのは、詫摩さんだけではない。

いつも対談の場にいらっしゃる
あるヒトを、ボクは編集部の人ではないが、
なぜかそこにいる「謎の人」
だと思っていた。

「オチといいます。」

「あっ、すみません。最初に
名刺をいただいたときに、ちゃんと
見ていなかったんだと思います。」

「お茶くみの人か何かと
思っていたんじゃないですか?」

「いや、その、タクマさんとか、
イトヤさんとかとは、別カテゴリー
の人かと何となく思っていまして。」

(タクマさん、イトヤさん一緒に)
「茂木さん、いったい、それはどういう
ことですかあ〜」

越智泰子さんの名前は、日経サイエンス誌
の編集部クレジットのところに
ちゃんとあった。

「この前、茂木さんが
写真をブログに載せたとき、
私のことは編集部じゃないと思っていると
わかったんですよ。」

「あっ、あの、菊池さんがカメラ目線に
なっているやつですね。」

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/04/post_9d3b.html 

神野幹雄さんが、豪快に笑った。

「日経サイエンス編集部」は活気がある。

日本の科学を元気にするために、
さらにがんばって欲しい!

皆さん、私は、中学生の時から
「日経サイエンス」を講読しています。

現代を生きる上で
必要不可欠な科学知識を身につけるために、
ぜひ定期購読をしませんか。
世界が広くなりますよ!

http://www.nikkei-science.com/subscription.html 

The argument about whether free will exists is an important one, and from the evolutionary point of view, is perhaps the only point that matters in considering the adaptive value of having conscious experience. The most essential watershed here is whether the free will is considered to be compatible or incompatible with the causal determinism. If it is compatible with causal determinism, then the problem of free will becomes one of illusion. Note that saying something is an illusion does not negate its epistemological or ontological significance. If the free will is to be held incompatible with causal determinism, then it must somehow find itself in the subtle gray zone between the deterministic world view and chaotic dynamics where no action has a significance at any rate. ([43])

5月 13, 2008 at 08:57 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2008/05/11

Meeting with Kim Peek

Meeting with Kim Peek

The Qualia Journal

11th May 2008

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

5月 11, 2008 at 07:35 午後 | | コメント (4) | トラックバック (0)

芸術の普遍性

生まれて初めて
意識して聞いたクラッシックは
ベートーベンのピアノ・ソナタ
『月光』だった。

5歳くらいだったろうか。
家にあったレコードを
聴いたのである。

湖水の上に月光が降り注いでいる
ような第一楽章にも魅せられたが、
最も心を惹かれたのは、第二楽章だった。

燃え立つような明るさ。
華やかな花が揺れているような。
それでいて、どこかに
寂しさへの気配を秘めている。

あの時のジャケットも
はっきりと印象に残っていて、
明るい緑の中にピアニストの
横顔があったように思う。

最近、『月光』を聴き直すと、
よくできているなと思う。

20世紀の映画音楽に見られるような
ロマンティズムのムードを志向する
ベクトルの萌芽は
あるが、その傾向が行きすぎない。

生命というものはバランスが
肝要である。
古典として残るものは、
結局はバランスが良い。

気分が垂れ流しになっている
現代の多くの作品は、結局、生命から
遠ざかっている。

エイベックスの中島浩之さんから
メールを頂いた。

From:Hiroyuki Nakashima
To:Ken Mogi
Subject: 17日のタワーよろしくお願いします
Cc: avex 岩瀬

お疲れさまです。

クオリア日記にも載せていただいた甲斐もあって、
好調に動いているようです。


すべては音楽から生まれる (1) 脳とクラシック 

すべては音楽から生まれる (2) 脳とシューベルト 

すべては音楽から生まれる (3) 脳とモーツァルト 


近々に、3枚あわせてですが、1万枚は超えると
思いますので、超えたら、出版社のみなんさんが、
日記に乗っけてもらってるみたいに、転載しても
らえそうな、少しかしこまったメールをいたします。

17日 16:00からのタワーレコード渋谷店での
イヴェントよろしくお願いします。
インタビュアーは音楽ライターの片桐卓也さんです。

また、今ごろ言うのもなんなんですが、17日は、
僕はイヴェントにいないのであります。
明日から、ベルリンに行
き、戻りが19日となりますので、
大変申し訳ないし、残念なんですが中島は
当日不参加。茂木さんのアテンドは
岩瀬が責任もってやらせていただき
ますので、よろしくお願いします。

岩瀬からもメール等するかもしませんので、
よろしくお願いします。

エイベックス 中島

ふりかえって不思議なのは、
自分の内側にあるパッション(受難=情熱)
の質は、5歳の時に『月光』を
聴いていた時と、今いろいろな
人生の経験を積んだ時点で未来を
想う時で、それほど変わらない
ということである。

もちろん、盛り込まれる実質は
違う。

5歳の時の私の頭の中は、
ピンに刺した蝶や、わた飴や、
5円玉や、どろんこ団子で
できていた。

45歳の私の頭の中には、
クオリアや、締め切りや、
グラフ理論や、夕方に口にするビールの
最初の一杯がある。

かくも長きにわたって、
私の胸の中には、月光の第二楽章の
気分が時折甦る。

芸術の普遍性とは、
何と素晴らしいものなのだろう。

The cut in the interaction connected firings of neurons is to define the border between the self and non-self. Sensory qualia, which are generated by neural firings outside the border, is experienced as vivid and salient by the self and represent the status quo of the outside world. Intentional qualia, on the other hand, are generated by cluster of neural firings involving a cross over the border, giving a more abstract and interpretation and intentionality laden Vorstellung, concerned directly or indirectly with the sensory qualia. The nature of the phenomenology of all participating elements of cognition is to be ultimately determined by the geometrical properties of the simply connected graph of neural firings that gives rise to the self at one particular specious moment. ([42])

5月 11, 2008 at 09:33 午前 | | コメント (15) | トラックバック (8)

2008/05/10

そうだ、爆発するんだ!

玉川大学の大森隆司教授、
岡田浩之教授の研究室を中心とする
グループと、私たちの研究グループで
合同のワークショップを開催した。

玉川大学には脳科学研究所があり、
日本における有力な脳科学の研究拠点の
一つ。

塚田稔先生が、長年にわたって玉川における
脳研究を引っ張ってこられた。

前頭葉の専門家で、
「主体性」について鋭い
意見を持つ松元健二さんも
理化学研究所から移籍している。

脳科学研究所には、神経生理学の大家、
丹治順先生がいらっしゃる。

玉川学園前駅から
キャンパスへの道は緑にあふれ、
まるで公園のよう。

何回か来ているという野澤真一に
先導されて歩いていった。

プログラムは、須藤珠水と、
高橋英之さんが作ってくれた。

北海道大学から豊巻敦人さん、
元東大駒場の開一夫さんの
研究室で、今は慶応大学にいる
福島宏器さんも参加下さった。


大森隆司さんと、須藤珠水

-------------------------------------------
「コミュニケーションと意思決定」
5月9日(金) 13:00〜@玉川大学

13:00〜
恩蔵絢子
不確実性と感情

13:30〜
高橋英之
文脈依存の認知制御と社会性
-自閉症と表情認知からのperspective-

14:00〜
横山絢美
意図推定に基づく行動決定過程のモデル化とその評価

14:30〜
豊巻敦人 
意志決定の障害としての精神疾患の新しい理解

14:30〜14:45 
Short Discussion
14:45〜15:00
Break

15:00〜
石川哲朗
視覚的一発学習の探索行動による解析

15:30〜
福島宏器 
社会的認知の処理の多様性について

16:00〜
岡田浩之
コミュニケーションにおける非論理的推論の効用
-対称性および相互排他性を巡って-

16:30〜
Long discussion
(茂木さんの指定討論含む)


17:30〜打ち上げ@町田

-------------------------------------------

大変充実した時間で、
面白い話がたくさん聞けたし、
いろいろ考えることもできた。

須藤さん、高橋さん、ありがとう。


玉川大学との合同ワークショップの様子

終了後、発表した石川哲朗から
メールをもらった。

To: Ken Mogi
Subject: もう言い訳せずに、はやく爆発してみます
From: Tetsuo Ishikawa

茂木さん

昨日のワークショップ、すごく楽しかったです。

去年SfNで発表していたときも、
同じような気持ちになってたのを思い出しました。
発表前は、こんなのでいいんだろうか?という、
自信のなさばかりが先行してしまっていたのに、
いざ本番で、恥ずかしくなるくらいたどたどしい
説明にも関わらず、じっと聞いてもらえたら
そんなに悪くない内容だったのかなとやっと
思えてくる。今回もそんな感じでした。

始まる前に野澤君が、今回のワークショップは
アウェーじゃなくてホームだよねと言ってて、
今回は向こうも専門が同じだからホームだ
という趣旨の発言らしかったのですが。でも
発表してみた感想としては、全然アウェーな
気がしました。やっぱり、研究室内だけで
発表するのと、他の研究室と合同のときでは
温度がもう全然ちがって、異様な空気でした。

考えたこともないような質問が飛んできたり、
野澤君の言うホームだからこその、専門家による
厳しいご指摘をもらえたという見方もあるかな。
上手く答えられなかったところは、これからもっと
ちゃんと考えて詰めなきゃいけないです。

早く論文書けよ、という茂木さんの催促に
もういろいろ言い訳できなくなりました。
こんなに多くの人に面白がってもらえるなら、
論文を書かない理由がもうないですよね。
むしろこんなメール書いてる暇があったら
さっさと1文でもいいから書き始めろよ、と。

自分の研究は自分が一番楽しまないと
いけないのに、それができてなかった
というのが最大のネックだった気がします。
自分がやらないと、誰もやってくれないのに。
すっかり忘れてたけど、自分がやってたことって
結構面白かったんじゃなかったっけ、と
思い出させてくれて、さらに新しい方向性も
いろいろ教えてもらったり、気付かせてもらえたり、
という意味で、ワークショップで話させてもらえる
貴重な機会を戴けたことに深く感謝します。

“爆発”してみせます。

石川哲朗

石川くん、
そうだ、爆発するんだ!


石川哲朗。爆発5秒前。

ワークショップ終了後の懇親会に、
「おしらさま哲学者」
塩谷賢が来た。
さっそく岡田浩之さんや、豊巻敦人さん
と話し込んでいる。


塩谷賢。 岡田浩之さんと。


塩谷賢。 豊巻敦人さんと。後方に野澤真一が見える。

塩谷の髪の毛はだいぶ伸びていて、
チェックのシャツの上にかかって
一見清流のようにも見えた。

清流哲学者、清談す。

鮫島和行さんに久しぶりに会った。

昔、海馬の研究会でいろいろと
議論した。

「あんなことも、こんなことも
あったねえ。」
と懐かしむ。


(右から)鮫島和行さん、高橋英之さん

「結局、遠くを見ながら、
手元でできることをやっていくしか
ないんだよねえ。」

今度、鮫島クンの研究について
じっくりと聞いてみたい。

All conscious experience is supported by the simply connected network of neural activities in the brain. The makeup of the phenomenal experience, in which the "self" sees the red apple, hears the nightingale, smells the curry, would be generated as a "cut" in this connectivity. The difference between the sensory and intentional qualia thus correlates with the properties of connectivity adjacent to the hypothetical cut. ([41])

5月 10, 2008 at 10:43 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2008/05/09

『それでも脳はたくらむ』3刷

中公新書ラクレ
『それでも脳はたくらむ』
は増刷(3刷、累計36000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

中央公論新社 濱美穂さんからの
いただいたメールです。

茂木健一郎さま

ご無沙汰いたしております。
中央公論の濱です。
すっかり立夏というべきお天気になりました。
毎日いかがお過ごしでしょうか。

おかげさまで、中公新書ラクレの第3弾
『それでも脳はたくらむ』の3000部の
増刷が決まりましたので、
ご連絡いたしました。
3刷、累計3万6000部です。
ありがとうございました!

先日、メールでも機関銃をブッ放していた弊社の岡田健吾ですが、
珍しく風邪なぞひいて、すっかり声が出なくなりました。
それでも、どうしてもしゃべりたくてたまらないらしく、
休みなく、囁きトークを繰り広げています。執念ですね。
これが超絶的に通りの良い囁き声で、
いろいろな意味で「囁き千里」だなあと思った次第です。
ずっとこのままだと静かで良いのですが・・・。

中央公論 濱美穂

amazon 

5月 9, 2008 at 08:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

『すべては音楽から生まれる』16刷

PHP新書
茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』
は増刷(16刷、累計11万部)
が決定しました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の丹所千佳さんからの
メールです。

茂木先生

こんばんは。

あらためて、増刷のおしらせです。
『すべては音楽から生まれる』は16刷が決定いたしました。
おかげさまで、累計11万部と相成りました。
ありがとうございます。

またお会いできるときを楽しみに。


——若やぐ五月のよろこびが
あけぼののように射しそめる、
全にして一なるものの思し召しで、
空も、天も、海も、地も。
(シューベルト「若々しき五月の生気」、喜多尾道冬訳)


PHP研究所 新書出版部
丹所千佳

amazon 

5月 9, 2008 at 08:22 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

脳を活かす勉強法 22刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(22刷、累計47万1000部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

茂木健一郎先生

ラ・フォル・ジュルネでのご講演における質疑応答で、子どもさんに
「鶴の恩返し勉強法」のコツをやさしくアドバイスされていたのが
とても印象に残っております。ノートから目を離し、声を出す
だけではなく、基本の一心不乱さが大事なのだと痛感いたしました。

PHP 木南拝

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

5月 9, 2008 at 08:19 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

永遠の学生

私は理学部を出たあとに
法学部に学士入学して、
そのあと物理の大学院に戻ったから、
大学に計11年いた。

高校一年生の時に語学研修のために
一ヶ月お世話になったカナダの
ヴァンクーヴァーの
ホストファミリーのヴァーナに、
「ケン、あなたは永遠の学生ね」
とよくからかわれた。

Eternal student。


カナダに着いた初日にいきなり
人生ゲームをやって仲良くなった
ヴァーナの息子のランディーと
トレバーは、コンタクトレンズの
会社の世界的な営業幹部になっている。

ランディーやトレバーの仕事に
比べると、私の今やっていることが
果たして「実業」と言えるのか
どうか自信がない。

結局は、私は永遠の学生なのかも
しれぬと思う。

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳研究グループのミーティング。

田谷文彦が、イギリスに行って
Jon Driver、Horace Barlowなどと会って
来たので、その報告。

ボクは、Kim Peekと会って得た
インスピレーションをいささか
専門的な観点から論じた。

高川華瑠奈さんの実験条件に
ついていろいろと詰める。

NHKへ。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」
の収録。

有吉伸人さんと第五食堂に行って、
カレーライスを食べた。

「新じゃが」が入っている。

イギリスにいるとき、
New Potatoがおいしくて
よく食べていた。

「今、ここ」に奔流のように
過去が押し寄せる。

すぐれた独学者(autodidact)に
なることを目指すべきと思う。

大学は、先生に会ったり、友人と
対話したりするという意味では
必要だが、独学のための
マテリアルは今インターネット上に
無限に存在し、
人は、その気になれば本当に
永遠の学生になることができる。

ボクは、一生ずっと独学者で
いることにしたよ、とヴァーナに
報告したい。

そうすれば、奔流のような過去を
呼び起こすことができるんだから。

収録が終わった後、
控え室の鏡に向かって
「お疲れさん」と言っていたら、
おもしろい顔を発見した。

下くちびるを突き出して、
ふーっとやると、
前髪がふわーっと
上がって、
その時の顔が間抜けで面白いのだ。

こんな顔は誰にも見せられない、
と思いながら、
おもしろいので、ふーっ、ふーっ
とやった。

それで、何かを引き受けて、
背中の方に
うっちゃることができたような
気がした。

The principle of interaction simultaneity describes the way psychological time is constructed from the physical time. It is tightly related to causality, just as in the manner the proper time in relativistic space-time is essential in maintaining the causality condition. The phenomenological space is also likely to be deduced from considerations of causality. Causality implies that time must proceed, and the space-time structure dictates the manner in which the entities interact and change. Given the central importance of causality, then, the manner in which the self experiences various qualia at a specious moment is also likely to be deduced somehow from considerations of causality, thus ultimately touching upon free will. ([40])

5月 9, 2008 at 08:16 午前 | | コメント (12) | トラックバック (3)

2008/05/08

夢燃やしの競争

早稲田大学国際教養学部での
授業。

 Deep Blue vs Kasparovの対戦の
意味をふりかえり、
 Allan Turingの歴史的な論文
A. M. Turing (1950) Computing Machinery
and Intelligence. Mind 49: 433-460.

を皆で読む。

赤毛のアン記念館・村岡花子文庫 
にて、Anne of Green Gables出版100周年
を記念して、
作家の梨木香歩さんと対談する。

村岡花子さんのお孫さんである
村岡恵理さん、村岡美枝さんが、
自筆原稿など、貴重な資料を
見せてくださった。

梨木香歩さん、村岡恵理さん、
村岡美枝さん、
ありがとうございました。

移動しながら、新潮社の
北本壮さんともろもろの相談。

恵比寿のアートギャラリー
「サイト」
にて行われている
杉原信幸の展覧会(『丸石座』)
を見る。

床の上に、丸石が置かれ、その
広がりの中央に苔に覆われた
列柱が円形に存在している。

石の表面に苔の質感が対峙し、
都会のビルの中にありながら、
紛れない大地の匂いを伝える。

床に横になって眺めると、
列柱のスケール感が変容した。

巨大な建造物のための
1/100スケールモデルのように。

作家自身にいろいろと聞いた。

「杉ちゃんさ、苔はどうやって定着
させてるの?」
「流木に、耐水性の接着剤でつけている。」
「水はときどきやっているの?」
「こうやって、一日に何回か、苔に
水をやっています。」

「そうか、じゃあ、列柱の回りの
石の色が変わっているのは、水のせいなんだ。」
「そうです。」

前日、杉原くんと吉増剛造さん、それに山形淑華
さんによるパフォーマンスが行われていた。

「パフォーマンスの時に流した映像が
いいから、今からかけます。」

丸石の由来する海岸と同じ場所で
撮られたフィルムを投影すると、
空間が一変した。

丸石に波が映り込み、回り込み、
乗りこえて再び引き、
千や万では数えきれぬほどのニュアンスの
広がりとなって、目の前で転回する。

杉原は、まるで自分自身も列柱になった
ように、暗がりの中に立っていた。

ギャラリーを運営しているのは、斎藤康さん。

「大変な作業ですよ。杉原くん、地道にやって
います。」
と斎藤さん。

「杉原は、パフォーマンスがいいでしょう。」

斎藤さんが、肯く。


「昨日のパフォーマンスでも、照明の調子が
どうだなどと言っている間は普通だったん
だけど、これでもうOKとなったら、
突然スイッチが入って、全然別の人格に
なってしまったんです。」

杉原は、列柱の間を動き回り、
いくつかの柱の「位置を移動」
させてしまったらしい。

「昨日のパフォーマンスの後では、
足がだいじょうぶかな、というくらい
ふくれていたんですが、今日は
治っているようですねえ。」
と斎藤さん。

もはや伝説となった、
2005年10月27日の東京芸術大学
キャンパスにおける杉原のパフォーマンス
『切り株と頭』 。

横浜のバンクアートで杉原がやった
パフォーマンスも忘れがたい。

これについては、
当時『文學界』に連載していた
「脳のなかの文学」で書いた。
単行本
『クオリア降臨』 
の中に収録されている。

_____

 ある時期から、私は、現代の文化はスカばっかりだ、と至るところで公言していた。
 ベストセラーにろくなものがないことはもちろん、批評家がほめるような文芸作品だって、後世に残る傑作だと胸を張れるのはごくわずかではないか。
 まともな美意識を持った人間にとって、「スカ」ばかりがのさばり、マスコミで喧伝される現代は、ちょうど空気が薄くなって段々呼吸が苦しくなって行くような、そんな生きにくさに満ちていやしないか。
 そんな気炎を吐いていた私に、ある日、東京芸術大学の油絵科の学生で、杉原信幸という男から「挑戦状」が来た。横浜で展覧会をやる。パフォーマンスをやる。つきましては、スカではないものをお見せするから是非ご足労願いたい、というのである。
 杉原は、「札付き」の男だった。美術家の川俣正さんと私が芸大の食堂でやったトーク・セッションに乱入して、川俣の最近の作品は気に入らない、と暴言を吐いて会場がメチャクチャになったことがある。小石川植物園で行われた展覧会のインスタレーションも、仲間たちと喧嘩をして一日で撤収してしまったと聞く。そのアブナイ男が一体どんなパフォーマンスをやるのか、ひょっとしたら勢いだけの作品なのではないか。あまり期待しないで横浜に出かけた。
 会場は、昔の銀行の建物をそのまま利用していて、広々とした吹き抜けの空間に、金庫の分厚い扉と巨大なハンドルが残されていた。
 最初の出し物は、いかにも今風の若者が、やぐらの上に、ビニル・シートを張り、ペインティングするというものだった。「皆さんご存じの、生きているということ自体が奇跡のような」アーティストだと紹介された。ビニル・シートの上に、赤、青、黄色、緑、などの様々な色が描き付けられていった。やぐらを囲んだ学生中心の若い観客は、その様子を好意的に見守っている。見る、見られるという関係における、あらかじめそうと決められたような甘い弛緩があった。あらかじめ張り巡らされた文脈があった。
 私はその出来試合の雰囲気に何だかうんざりして、精神のバランスを崩しそうになっているのが自分でもわかった。「くだらねえなあ」と叫びそうになったが、何とか自分の中の衝動を抑えつけた。
 その次に、杉原の番になった。突然、吹き抜けの二階から、「うぉーっ! うぉーっ!」と叫び声がして、白と黒の檄文がパラパラと舞い降りて来た。観客が走り寄って、一体何だろうと拾い上げた。
 一呼吸置いて、あらぬ方向から杉原がかけだしてきた。杉原は全裸で、腰に黒いテープを巻き付けているだけだった。吹き抜けに垂れ下がっていた、白地に黒の斑の巨大な布を引きずり下ろすと、それにくるまれて床の上で悶絶した。立ち上がると、布を腰の周りに黒テープで巻き付けて、スカートのようにした。それから、その10メートルはあろうという巨大なスカートを引きずって、会場の中を走り始めた。
 スカートの布が、会場の片隅に置いてあった屏風絵を巻き込んで、引き倒した。屏風絵は、そのままスカートに巻き込まれてずるずると床の上を引きずられていった。観客たちが、どっと逃げまどった。
 杉原は、入り口の上の踊り場に上がり、座り込んだ。長いスカートを垂らしたその姿は、草書体のシャチホコのようだった。そのシャチホコ姿で、うぉーっ! うぉーっ!と叫んだ。しばらくそうして坐っていたが、突然くるりと下に降りると、だっと夜の街に出ていってしまった。
 がやがやと後を追った観客たちに続いて、私も馬車道に出た。杉原は、交差点の歩道の角に坐り、長いスカートを扇のように歩道に広げ、眩いランプを点けて道を行き交う車に向かって、うぉーっ! うぉーっ! と叫び続けていた。杉原の黒い裸体が流れる光の川に挑むようなシルエットを見せ、通行人が何だろう、と立ち止まった。タクシーが、一台、杉原の近くに停まって、ハザードランプを点滅させた。
 このままでは警察が来るかもしれない、と思った頃、杉原は突然スカートを脱ぎ捨てると、全裸の腰に黒テープを巻き付けただけの姿で、馬車道とは直角の方向に振り返る素振りも見せずに疾走していった。
 杉原がその中に消えていった闇を見つめながら、私は久しぶりの興奮を味わっていた。檄文をまき散らした発端から、夜の街への疾走という結末まで、流れに淀みがなく、無駄がなかった。視覚的な効果も、よく考えられていた。スカートを引きずって巻き込んだ屏風絵は自分自身の作品であり、他の人の作品には触れていない点も良かった。
 疾走原始人のパフォーマンス、良かったぞ!
 杉原が戻ってきてからそう声をかけてやろうと思ってしばらく待っていたが、何となく会場にいる人々の様子に違和感を感じて、そのまますたすたと馬車道を歩いて帰ってしまった。

「スカ」の現代を抱きしめて 
ー茂木健一郎 『クオリア降臨』よりー
_____

芸大卒業後、どこのギャラリーにも
属さず、インディペント・アーティストと
してがんばっている杉原信幸よ、
青春を燃やせ。

オレも、形にならない、正体のわからぬ
夢をエネルギーとして燃えることに
ついては、まだまだ負けないぞ。

夢燃やしの競争だ!

If the supervenience of the phenomenal onto the physical is to correlate with the formulation of a cognitively relevant space-time structure of causality chains, one key question remains. Is the causality framework, as defined by the psychological time and space, independent from the original space-time structure that prescribes the most basic causality pattern? In the natural world, there are hierarchies involved in the complexity of interactions that finally contribute to the whole picture of the causal universe. In this hierarchy, however, it is not considered to be the case that causality structure at the macroscopic level is separate from that at the microscopic level. If the neural network in the brain, through a ubiquitous metacognitive mechanism, is to define a causality structure as is different from the basic physical one, that situation apparently violates one of the most fundamental assumptions about the nature of hierarchy of the causality chain. ([39])

5月 8, 2008 at 08:19 午前 | | コメント (12) | トラックバック (4)

2008/05/07

ザ・ベストハウス123

ザ・ベストハウス123

フジテレビ系列
2008年5月7日(水)21時〜21時54分

http://wwwz.fujitv.co.jp/123/index2.html


詳細

5月 7, 2008 at 06:55 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

ぽんぽんと叩いてみる

天気が良いと、それだけで無条件に
人間の気分というものはよく
なるものである。

よく晴れた祝日の夜は、
NHKにて『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

細田美和子さん、河瀬大作さん、
山口佐知子さん、
住吉美紀さん、有吉伸人さん。

何だか、久しぶりに会ったような、
夏休みの登校日のような不思議な
気持ち。

あれこれと話しているうちに、
ふと、10年後、20年後に
今この時を振り返ったらどんな風に
見えるのだろうと思った。

人間の意識というのは常に
「今、ここ」に没入している
ものであって、ただ、
時に、魂を込めて省察
するということがあって、
そんな折に、過去は、不思議な
亡霊のように立ち現れる。

思い出の中の「過去」の奇妙な
現れ方の中に、
マジックとワンダーの起源は
すべて含まれている。

小学校の夏休み、市内水泳大会の
練習のために毎日体育館に
通っていて、
昼休み、体育館でお弁当を食べている
時に、誰かがファンタの缶を
ふざけて振っていて、
それがプシュっと空いてしまい、
床の上でくるくると回りながら
泡立った。

あの時の「弾ける」ような感覚と、
同じ「今、ここ」の中に私はいる。

時間が進行してしまうという
因果性の不思議の中に、
すべては解消されていくのだ。

わははと笑いながら、横の有吉さんの
腕を、ぽんぽんと叩いた。

有吉さんの腕は、肉感的で、
叩き甲斐があった。

ぼくたちは、生きていることの
の感触を確かめるために、
時々「今、ここ」や「その昔」
をぽんぽんと叩いてみる。

Consciousness can thus be regarded as an evolutionarily constructed, cognitively relevant formula of causality. Causality can be deconstructed into several elements that support its procession. Namely, the "atoms" of interaction and the space-time structure in which these interactions take place. The construction of the "specious now" is highly non-trivial, in that a finite passage of physical time is transformed into an indivisible "moment" of the now. The construction of space, most notably that in vision, is also non-trivial in that yet unknown principles somehow give rise to phenomenal dimensions of extension, in which space the visual qualia are arranged. The crucial observation here is that causality as apparent in sensori-motor contingencies appears to be effectively conducted in this phenomenologically constructed space-time structure, naturally related to, but possibly independent of, the original physical space-time. The key question is thus how the space-time structure in which causality is defined is to be constructed in the first place. Tackling this "framework" problem would ultimately lead to the solution of such enigmas as the zombie question. ([38])

5月 7, 2008 at 06:52 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2008/05/06

ダーウィンの進化論

熱血!天才アカデミー 世界をひっくり返した男ダーウィンの進化論

NHK総合 2008年5月6日(火)
19時30分〜20時45分


NHK


番組表

5月 6, 2008 at 07:12 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

青空がその向こうの星雲を隠してしまうように

 地球の大気は、私たちの生命を
育んでくれる大切な存在。

 見上げると、青空が広がっている。

 太陽の光が散乱されて見える色。

 しかし、見方を変えると、大気の
スクリーンがあるために、その向こうの
宇宙が見えない。

 似たようなことは、生活の現場の中にも
あるように思う。

 身近なものに一生懸命適応するのは
人間の性というもの。
 環境といきいきと相互作用し、
感覚と運動を結びつけ、
 コミュニケーションし、
やりとりし、
 働きかけ、受け止める。

 そのようにして、人間の
脳は育まれていく。

 しかし、だからこそ、青空が
その向こうの星雲を隠してしまう
ように、
 ものごとの本質が見えないという
こともあるのではないか。

 遠くにあるもの。
 私たちの生活の現場の
こまごま、さまざまから隔たったもの。

 はるか彼方にある本質を
見逃さないように、望遠鏡を
抱いていたい。

 そんなことを考えていたら、
精神におけるexpatriateという
ことがありありと実感を持って
浮かび上がってきて、
 息を飲んだ。 

Ludwig Wittgenstein famously stated, at the end of his lengthy Tractatus Logico-Philosophicus (1921), that "Whereof one cannot speak, thereof one must be silent (Wovon man nicht sprechen kann, darüber muß man schweigen). The usual connotations assumed is similar to that of the "cognitive closure" argument by philosophers like Thomas Nagel and Colin McGinn. Namely, there are things that are in principle impossible to be expressed in terms of words, and therefore one must abandon all the effort to go beyond the linguistic limit, in an attitude of mature resignation. Walking down the street one day, it occurred to me that there could be another interpretation of this most famous of all the "last words". The thought seemed so absurd that I almost smiled to myself. But then it occurred to me that there were some truths in what my mind conceived, especially from the viewpoint of the philosophy of life. ([37])

5月 6, 2008 at 07:04 午前 | | コメント (8) | トラックバック (5)

2008/05/05

修造学園

修造学園

テレビ朝日 
2008年5月5日10時30分〜11時25分

http://www.tv-asahi.co.jp/shuzo/ 

5月 5, 2008 at 09:30 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

「魂の領域」が始まる

六本木のインボイス劇場で、
ブルーマン 
の公演を見る。

先立ち、ブルーマンの三人と
記念撮影をした。

昨年、ラスベガスの学会に行った
時に見て、とても面白かった。

現代アートのセンスが活かされていて、
批評性もあり、
それでいて言語に依存しない、
小さな子どもからお年寄りまで、
誰でも素朴に楽しめる、
完成度の高いステージが
日本でどのように受け入れられるのか、
楽しみだった。

インターネット・カフェなどの
モチーフを入れて、東京に
「ローカライズ」されたステージは
観衆を巻き込んで
あっという間に過ぎていった。

アルベルト・アインシュタインは、
かつて、「相対性理論」の意味を聞かれて、
「かわいい女の子の横に座っていると
一時間はあっという間に過ぎてしまうけれども、
熱いストーブのすぐ横にいるとものすごく
長く感じられるでしょう。それが
相対性理論です。」
と答えた。

ブルーマンの時間は、またたく間に
過ぎる。

どれくらい経ったかな、と
腕時計を見る者など一人もいない。

皆さん、ぜひ見に行ってください!


ブルーマンの三人と。

青山、国連大学裏のテレビマンユニオンで、
早稲田大学ラグビー蹴球部
の中竹竜二さんと対談する。

「頭の中身の70%はラグビーで
できている」
花野剛一さんがプロデュース。


中竹さんは、自分には誰をも惹き付ける
カリスマ性などないとしきりに謙遜される。

中竹さんが重視するのは、
リーダーシップよりも、フォロワーシップ。
一人のリーダーの資質をうんぬんするよりも、
構成員がいかにヴィジョンを追って
自ら考え、工夫し、行動するか。
自律分散的なシステム構成原理を
大切にするのである。

中竹さんの「スタイル」に関する
哲学は、たいへん興味深いものだった。

自分自身がどのような考え方、
行動の仕方の「スタイル」で生きていくか。

そのことを、自分自身に対して、
あるいは他人に対して明らかに
することによって、コミュニケーションが
育まれる。
チーム・ビルディングができる。

もちろん、生きていく中で、
何が起きるかあらかじめすべて
予測しておくことはできない。

スタイルや、セオリーが通用しない
局面に達した時に、「魂の領域」が始まる。

しかし、最初から直観や本能にすべてを
ゆだねてしまうのではなくて、
たとえmock upでもいいから、
自分のやり方、仮説のようなものを
確立しなければならない。

「魂の迫力が必要とされる局面は
当然ある。しかし、セオリーやスタイルで
行くことができる場所まで、
何の方針もなしにいくことは
意味がないでしょう」
と中竹さん。

緻密な準備をして、その「壁」
が破れ、「ここからは魂の領域だ」
と自己を解放する瞬間、なにかが
始まるのだという。

スタジオには、早稲田大学の
選手たちが、2008年1月12日の
大学選手権決勝を前に記した寄せ書きが
置かれていた。

まずは監督と出場選手が大書きし、
レギュラー陣が退室した後で、
100名を超える控えの選手たちが
思い思いに励ましの言葉を
書くのだという。

出場選手は、試合当日、ロッカールームに
来て初めて寄せ書きを見る。

「中には、読んで、泣いているやつも
いますよ。」と中竹さん。


大学選手権に向けての寄せ書き

大学選手権で優勝して日本一になった
時にだけ、部歌「荒ぶる」を
歌うことができる。

普段、「荒ぶる」を口にすることは
許されず、ただ、年に一回、
合宿の時に練習するだけなのだという。

大学選手権のトロフィーのような、
「外から与えられた」栄誉よりも、
むしろ自分たちの歴史の中から
育まれた「荒ぶる」を歌うという
栄誉の方が、最高の夢として
感じられるという早稲田の選手たち。

そこには、「達成」の基準を自ら
律するという、類い希なる叡智が
あるように感じられた。
 
立ち会っていた電通の佐々木厚さんの
目がキラリと光る。

「中竹さんのお話は、組織論、
リーダーシップ論という視点から見て、
本当に素晴らしかったです!」
と佐々木さん。


中竹竜二さんと話す佐々木厚さん

打ち上げの席で、花野剛一が
熱かった。

「今度、是枝裕和さんと、テレビとは
何か検証する番組を作ったんですよ、茂木さん!」

カレーを食べながら、男花野が燃える。

「テレビは、いつの間にか、閉じていって
しまったんですねえ。」

「絶対に見てくださいよ。」
という男花野の手を、「おう」と力強く
握り返した。


花野剛一、中竹竜二さんと。

When Richard Dawkins says that God is an illusion, it does not necessarily lead to an atheist's point of view, in that something being an illusion does not automatically negate its psychological or even ontological significance. If we are to take the mind-brain problem seriously, we are faced with the challenge to account for the origin of all the phenomenological entities that inhabit the conscious universe. In the cosmos of consciousness, the very foundation of the existence of everything that is to be perceived is actually one that is "illusory" in the conventional sense. The solution of the mind-brain problem would involve some forms of theorizing equating existence with illusion, the illusory school of ontology. ([36])

5月 5, 2008 at 09:28 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2008/05/04

すべては音楽から生まれる CD版

すべては音楽から生まれる CD版(1)〜(3)


好評発売中!

すべては音楽から生まれる (1) 脳とクラシック 


すべては音楽から生まれる (2) 脳とシューベルト 

すべては音楽から生まれる (3) 脳とモーツァルト 

5月 4, 2008 at 09:45 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

薄暗がりの中で

金曜日。

一日中有楽町の国際フォーラム。

ラ・フォル・ジュルネに関連して、
何件か取材を受ける。

小菅優さんのピアノを聴き、
『死と乙女』に耳を傾ける。

夕刻、
小菅優さんと対談。
小菅さんは10歳の時から
ずっとドイツで暮らしてきて、
そのお話は、パワーと配慮が
あってとても素敵だった。


小菅優さんと。(photo by Yoko Oba)

『すべては音楽から生まれる』
はラ・フォル・ジュルネ2008の
オフィシャル・ガイド・ブックであり、
その関係もあって
PHP研究所の横田紀彦さん、木南勇二さん、
丹所千佳さん、本をつくって下さった
大場葉子さん、それに同名のCD
をつくって下さったエイベックスの
中島浩之さんと飲んでいると、
大場旦がやってきた。

「あっ、オオバタンだ。
『思想地図』創刊、おめでとうございます!」

「いやあ、その、ありがとう。ぐわあ!」

オオバタンがやってきて、座はさらに
賑やかになった。

土曜日。

再び有楽町。

ラ・フォル・ジュルネにちなんで、
村治佳織さんのラジオ番組で
お話させていただく。

子どもの頃からずっとギターを
弾いてきたという村治さんの指先には、
そのしるしが、しっかりとあった。

それにしても、あんな華奢な手で、
どうやってあのダイナミックな
演奏をするのだろう。

そのギターの音色には、人の胸をざわつかせる
作用がある。


村治佳織さんと

ピアノの独奏、
歌曲のリサイタルを聞く。

横浜美術館の八柳サエさん、
木村絵理子さんと、6月に行われる
展覧会
『わたしの美術館展』
の作品の選定をする。

樋口裕一さんがいらしたので、
お話しする。

樋口さんは、なんと、ラ・フォル・ジュルネの
会期中、45のコンサートを聴くとの
こと!

参りました!


樋口裕一さんと。


ブラインドスポットの平塚一恵さんはじめ、
ラ・フォル・ジュルネのスタッフの皆さんと。


薄暗がりの中で、静かに音楽に耳を傾ける。

そうすることが、いかに魂の慰安に
つながることか、再び確認することが
できた日々だった。

The integrated parallelism is reflected in the fact that phenomenologically, there is the space-time structure in which the various qualia are organized. The very fact the "self" has access to this particular sense-set is a testimony of the parallel processes which are finally integrated to be reflected in the action.
Qualia always belong to a particular psychological moment, and a particular spatial point in the case of vision. The essence of all artistic experience consists in the way various qualia are experienced and then disintegrated in the space-time structure. Music is also a case in integrated parallelism. One may talk about an unconscious music, in which the implicitly existing physical space-time plays an important role. The conscious music, which rests upon the conscious space-time, resides in an entirely different basis of phenomenology. ([35])

5月 4, 2008 at 09:41 午前 | | コメント (9) | トラックバック (5)