2010/02/09

クォンタム・ファミリーズ

現実世界は狭すぎる
ー『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀ー

 量子力学においては、波動関数の収縮と呼ばれる過程がある。このプロセスをどのようにとらえるかという点について、複数の考え方がある。
 標準的な「コペンハーゲン解釈」では、波動関数は確率を計算する方法だという実際的な立場をとる。波動関数の収縮が提示するさまざまな哲学的な課題は、物理学の問題ではないと考えるのである。
 それに対して、アルベルト・アインシュタインや、ロジャー・ペンローズなど、偉大な知性たちが反対を唱えてきた。波動関数の収縮のプロセスについて明確な概念的枠組みを提示できない現在の量子力学の枠組みを、不完全なものと考える論者も多い。
 量子力学に当てはめられる一つの世界観が、「多世界解釈」である。波動関数が収縮する時、世界は複数に分裂する。分裂したそれぞれの世界は、配列的に存在する。エヴァレットIII世によって唱えられたこの解釈は、その提示する世界観が常識外れなものであるにもかかわらず、論理的整合性においてはすぐれている。現在でも、量子計算の研究をしているデイヴィッド・ドイッチュなど、多世界解釈を指示する論者が存在する。
 東浩紀氏は、小説『クォンタム・ファミリーズ』の背景となる世界観に、多世界解釈の下での並列宇宙を採用した。並列宇宙が、私たちのこの現実の宇宙と密接に絡み合う概念装置となる。東氏が展開する論理には概念的ガジェットとしての愉しみがある。特に、インターネット上に増大し続ける情報空間と絡めた論が面白い。

「・・・量子回路がある閾値を超え、ネットワークの直径がある閾値を超え、かつ特殊なタイプの経路が出現すると命題空間全体が量子的に発散していまう、そんなシミュレーション結果が発表されているとのことでした。二〇二三年の時点では、すでに学術データベースの三割が「脱現実化」した命題に寝食され、検索はほとんど役に立たなくなっていました。」

東浩紀 『クォンタム・ファミリーズ』より

 量子力学における平行宇宙は、たとえば電子が二つのスリットのどちらかを通るという際に、観測が行われれば分裂する。世界は、その素粒子レベルの微細な成り立ちにおいて、ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる瞬間に分裂し続けているのであって、そのような分裂の「直積」として生まれる平行宇宙の数は、想像することも不可能なほどの巨大なものとなる。
 『クォンタム・ファミリーズ』は、このような平行宇宙の「マルチチュード」のうち、二つの世界の「並列」を骨格に組み立てられている。展開されるのは、ある一つの家族をめぐる物語。人間の心のダイナミクスは、現実世界には留まらず、非現実、仮想の世界にもその故郷を持つのである
 人間の脳の認知プロセス、意識が生み出されるメカニズムに即すると、平行宇宙への道筋は、志向性(intentionality)の中にも見いだすことができる。志向性自体は、宇宙の履歴が一つしかないという保守的な考え方とも整合的である。
 Aを選んだから、このような人生になったが、もしあの時Bを選んでいたとしたら。そのような仮想のシミュレーションを、私たちは常に行っている。そして、実際に選んだAよりも、Bの方が自分自身に忠実な選択だったかもしれぬ、その方が幸福だったかもしれぬという比較が、「後悔」(regret)の念を引き起こすのである。
 前頭葉において文脈認知などにかかわる眼窩前頭皮質(orbitofrontal cortex)が、後悔の認知にかかわることがわかっている。
 後悔を含め、さまざまな感情や記憶の力学が、現実と、志向性の向かう宇宙の間に事実上の並列世界をつくる。存在するのは、常に「今、ここ」の神経細胞の活動でしかない。しかし、それによって生み出される「志向性」は、この現実世界の限定を離れて、それこそカントが『純粋理性批判』の中で言ったように、「私の上なる満天の星空と、私の内なる倫理規則」にまで及ぶ。
 人間の精神性の力学のスペクトラムを収めるには、この現実世界は狭すぎる。東浩紀氏は、並列世界という広々とした空間を手に入れることで、一つの家族の切実な物語を綴ったのである。

『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀
新潮社 2009年12月

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By Ken Mogi 2010. Uncomissioned.

2月 9, 2010 at 03:49 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

一塁回ってとっとこと

一塁回ってとっとこと


プロフェッショナル日記

2010年2月9日

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2月 9, 2010 at 03:37 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

It always has a human touch.

It always has a human touch.

それは、いつも人間の感触を持っている。

The Qualia Journal

9th February 2010

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2月 9, 2010 at 03:37 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 岡田倫代

定時制高校、明日への一歩

~高校教師・岡田倫代~

 岡田倫代さんは、人づくりが何よりも大切だという。学ぶことは、人をつくれば自然についてくるという。現代の日本人が、一番忘れていることではないか。

 岡田さんの温かくて大きな心に接して、かけがえのないことを思い出したい。

NHK総合
2010年2月9日(火)22:00〜22:49

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すみきち&スタッフブログ

日経BPコラム 人間を作れば勉強はあとからついてくる
高校教師・岡田倫代(produced and written by 渡辺和博)

2月 9, 2010 at 03:30 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

帰国

ただ今帰国いたしました。

着陸態勢に入った飛行機から見た、成田付近の里山の様子がとても美しく、あのあたりにいつか行ってみたいと思いました。

2月 9, 2010 at 03:27 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/02/08

空気を吸うということ

アメリカ滞在最終日。

リック・バロンに会う合間に、クリーヴランド美術館に行く。

出発する時、白洲信哉にこんなメールをもらっていた。

Date: Fri, 5 Feb 2010 23:00:39 +0900 (JST)
From: 白洲 信哉
To: 茂木 健一郎 
Subject: もしや

茂木さん

こんばんは。もしやクリーブラント美術館に行くのですか!?いいですね。まったく羨ましい。
その美術館の白洲正子の「能面」という著書にある翁面が所蔵されています。(他にも祖母旧蔵の信楽桧垣文大壷)があります。
頭の片隅においていて頂けたら幸いです。
では気をつけて。僕は早朝から新宮へ向かいます。

白洲信哉

白洲正子さんゆかりの品が所蔵されている美術館は、美しいたたずまいだった。

2012年グランドオープンを目指して大規模な回収中で、半分くらいの展示室が閉まっており、残念ながら目的の能面と、信楽桧垣文大壷は見ることができなかった。

しかし、なかなかに素敵な美術館なり。ピカソの初期の作品、ダミアン・ハーストの蝶の羽を使った巨大な作品、赤い婦人が窓の外を通り過ぎる一瞬を描いたモネの作品などが目についた。

リックと一緒にスーパーボウルを観戦して、それでさようなら。

リックと話す以外は、ほとんど何もしなかったアメリカの日々だったけれども、相変わらず前向きで肯定的でどこか気楽でしかし実際的なアメリカ人たちの空気を吸うだけでも、十分に楽しかった。

アメリカに来ることの目的は、この空気を吸うということに尽きるのかなとも思う。

もうそろそろクリーヴランドの空港を出る。シカゴ経由で帰途につく。

2月 8, 2010 at 07:51 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/02/07

そうだねえ。

そうだねえ。

プロフェッショナル日記

2010年2月8日

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2月 7, 2010 at 09:20 午後 | | コメント (2) | トラックバック (0)

Rick, you are better even than google!

Rick, you are better even than google!

リック、君はグーグルより凄いね!

The Qualia Journal

8th February 2010

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2月 7, 2010 at 09:20 午後 | | コメント (1) | トラックバック (1)

アメリカに来て、和牛というのも何かと思って

今起きた。

日本は夜だが、アメリカはこれから活動開始である。

昨日、仕事を終えて夕飯はステーキハウスに行った。

ぼくはリブアイ・ステーキにした。

メニューを見て、びっくりした。

「日本から輸入の、100%純正和牛ビーフ」というメニューがあって、他のメニューとは段違いの110ドルという値段がついている。

アメリカに来て、和牛というのも何かと思って、誰も注文しなかったが、やはりサシが入っているのだろうか。

何だか元気のない日本だけれども、このように外国から高く評価される文化もある。

自分たちの良いところをメタ認知して、磨いていくしかないだろう。

リック・バロンの家で、象の置物を見つめる笠原裕明さん


雪の中、さあ、仕事を開始。


過去40年分のカレンダーの前で


圧倒的に高い和牛ビーフ

2月 7, 2010 at 09:18 午後 | | コメント (4) | トラックバック (3)

笠原さんは「なるほど」と言って、ぼくのぼろぼろの私服を見た。

 Clevelandは今20時10分。Rick Baronの今日のインタビューは終了。

 Rickの能力の凄さに驚嘆するとともに、人間の脳の記憶のシステムについて考える。

 雪が降っている。気温が低い。雪玉をつくろうとして、握ったら粉雪で全くかたまらず。手が千切れそうに痛くなって、反省した。

 日本で買ったAmazon Kindleをアメリカに持ってきた。スイッチを入れたら、何の問題もなくAmazonにつながった。3G携帯の電波を使っているとわかっていても、ユーザーがキャリヤーと特に契約を結ばなくてもout of the boxでこのようなことができるのは素晴らしいことである。

 テレビの収録のために、着慣れないジャケットをまとっている。朝倉千代子さんが持ってきて下さったのである。

 シカゴでの入国の時に、スゴ腕ディレクター、笠原裕明さんがつかまっていた。クリーヴランドに観光に行く、と言って怪しまれたらしい。「クリーヴランドに何があるんだ?」と問い詰められたのだという。
 
 それに、職業を聞かれて、「会社員」と答えたのも怪しまれたらしい。会社員が、なんでそんなにラフな格好をしているのだ、と聞かれたようなのである。

 だからぼくは笠原さんに言った。職業を「科学者」と答えれば、どんなにキタナイ格好をしていても、「なるほど」と思われるよ。

 笠原さんは「なるほど」と言って、ぼくのぼろぼろの私服を見た。

 そんなに見ないでね。白洲信哉なんか、ぼくの格好を見て、いつも「みっともないなあ」と笑っているんだよ。


空港についてさっそくカメラを回し始める笠原裕明さん

2月 7, 2010 at 10:20 午前 | | コメント (15) | トラックバック (1)

何と言ってもワンタンがいい。

何と言ってもワンタンがいい。

プロフェッショナル日記

2010年2月7日

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2月 7, 2010 at 12:28 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

Rick Baron

Rick Baron

リック・バロンとの遭遇

The Qualia Journal

7th February 2010

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2月 7, 2010 at 12:27 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

人間の記憶のメカニズム


アメリカ一日目。リック・バロンと会って話す。人間の記憶のメカニズムについての、グレート・インスピレーション。

詳細は、The Qualia Journalをお読みください。

2月 7, 2010 at 12:27 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2010/02/06

白洲信哉のブログ。 2010年2月5日(金)。

白洲信哉のブログ。 2010年2月5日(金)。

http://www.shirasushinya.jp/blog/index.html

2月 6, 2010 at 08:18 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

ばらえ亭

ばらえ亭

プロフェッショナル日記

2010年2月6日

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2月 6, 2010 at 04:12 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Pet Relief Area.

Pet Relief Area.

ペット・リリーフ・エリア

The Qualia Journal

6th February 2010

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2月 6, 2010 at 04:12 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

アメリカの味

アメリカ合衆国に来た。「忘れられない男」、Rick Baronに会いにClevelandにやってきた。

Rickの記憶力を試す資料にしようと思って、シカゴの空港でtrivia quiz bookを探した。そうしたら、Turing とGodelについての本を見つけた。

値段が下がって7ドル99になっている。A Madman dreams of Turing Machines. by Janna Levin。

即決で買った。

造本が、粗くて、端がギザギザになっている。チリを食べようと思って入ったレストランのコーヒーが美味しかった。

アメリカの味がした。

2月 6, 2010 at 04:11 午前 | | コメント (7) | トラックバック (2)

シカゴ

でトランジット中。

飛行機の中で書いた原稿10枚を、集英社の鯉沼広行さんに送る。
アメリカのコーヒーは、来る度に美味しくなっている。

2月 6, 2010 at 12:45 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2010/02/05

成田空港

ワシントン経由でクリーヴランドに行く予定だったけれども、
ワシントンが大雪だということで、シカゴ経由に変更になりました。

カウンターでの手続きを待ちながら書いています。

2月 5, 2010 at 09:15 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

いつも御世話になっている第一食堂

いつも御世話になっている第一食堂

プロフェッショナル日記

2010年2月5日

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2月 5, 2010 at 04:40 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Cleveland

Cleveland

クリーヴランド

The Qualia Journal

5th February 2010

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2月 5, 2010 at 04:39 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

高野委未さんの修士論文の発表。

高野委未さんの修士論文の発表。考え得る限り、もっとも素晴らしくできた。

高野さん、偉いね。がんばったね。

すずかけ台の居室につくと、高野さんの先輩たちが資料の印刷などを手伝っていた。

それはこの上なく美しい光景だった。

無私の心。自分もまた、その試練をくぐり抜けてきたのだから。いつか通ってきた道なのだから。

打ち上げを青葉台でやる。最初は部屋が寒かったので、何人かは、まるでジュウシマツのようにかたまって座っていた。またそれが、修論を手伝っている心のうるわしさに通じる気がして。

人間をもっと信じようよ。そうしたら、他人に、もっともっとやさしくなれるとぼくは思う。

そんなことをシリウスにつぶやいたら、そうだね、と確かに言った。

2月 5, 2010 at 04:39 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2010/02/04

朝青龍さま

長い間、お疲れさまでした。すばらしい相撲を見せてくださって、ありがとう。

2月 4, 2010 at 07:57 午後 | | コメント (10) | トラックバック (1)

タカさんは、ガンジーになった。

タカさんは、ガンジーになった。

プロフェッショナル日記

2010年2月4日

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2月 4, 2010 at 07:42 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Decouple one's learning process from the social contexts and make it grow rapidly

Decouple one's learning process from the social contexts and make it grow rapidly

社会的文脈から学習プロセスを切り離し、高度成長を実現する。

The Qualia Journal

4th February 2010

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2月 4, 2010 at 07:41 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

お化粧をした橋本麻里さん

 ラジオ・デイズの仕事で橋本麻里さんに会って、しばらく経った時に、橋本さんが、「茂木さん、私、重大ニュースがあるんですよ」と言った。

 「えっ? どうしたの? 結婚するの?」

 「そんなことよりも、もっと重大なニュースなんですよ。」

 何だろう、と首をひねった。「お父さんの高橋源一郎さんのこと?」「違います。」「うーん、わからないや。」

 橋本麻里さんが、ふふふと笑った。

 「あのねえ、私、今日お化粧しているんですよ。」

 「ホントだ!」

 橋本麻里さんの顔が、ほんのり色付いている。ぼくは、ひっくりかえるほどびっくりした。

 なぜ、女性が化粧をしているということくらいで驚くのか? これには、伏線がある。

 私は、元来ぼんやりしているところがあって、他人の仕草や性格など、見落としていることがたくさんある。

 橋本麻里さんとお仕事を始めたのは、10年近く前。彼女が、ある「秘密」を持っていることに、なかなか気付かなかった。

 橋本さんとお仕事を始めて3年くらい経った頃のこと。
 「和樂」の仕事で、ある場所に出かけていってお昼を食べているときに、「気付き」は訪れた。出されたおしぼりで、橋本麻里さんが顔を拭いたのである。

 「あっ、今、顔を拭いた!」
 「顔くらい拭きますよ。」
 「ということは・・・」
 「ええ、そうです、私化粧をしないんです!」

 化粧をしない女(ひと)!

 それまで、橋本さんがすっぴんであることに全く気付かなかった。うかつであった。
 
 その橋本麻里さんが、化粧をしている。
 
 「どうしたの?」

 「いやあ、先週の金曜日、エルメスでパーティーがあったんですよ。フォーマルなパーティーで、その時、お化粧をしないのも何だかなあ、と思って、したのが最初です。」

 「それって、生涯で初めての化粧?」

 「いえいえ。前にもやっていますよ。」

 「いつ?」

 「七五三の時です。」

 「・・・・・」

 ソファに座っているブルータスの副編集長、鈴木芳雄さんが笑っている。

 「化粧品、買いに行ったんだ。」

 「ええ。」

 「何て言って買いにいったの? 私、お化粧はじめてなんです、て言ったの?」

 「いえいえ、そんなことは言いませんよ。今日はたまたますっぴんなんです〜て言って、店員さんに頼んだのです。」

 「いやあ、全然気付かなかったなあ。これぞ、まさにアハ体験だ!」

 鈴木芳雄さんがまた笑っている。

 「いやでもね、浜離宮で今日最初に会った時、なんだかへんだなあ、とは思っていたんですよ。」

 「あらっ。どんな風に違っていたんですか?」

 「何というかなあ。桃の花が色付いてきた、というか、そろそろ梅がほころんできたというか、そんな感じ。」

 「まあ、素敵なたとえ!」

 鈴木芳雄さんが大いに笑っている。

 どうやら、私が知らない間に、世界は明確に変化し始めているらしい。



化粧をしていない橋本麻里さん。2008年5月撮影。



化粧をした橋本麻里さん


化粧をした橋本麻里さん その2

橋本麻里さんのブログ『東雲堂日乗』 

鈴木芳雄さんのブログ『フクヘン』 

2月 4, 2010 at 07:41 午前 | | コメント (5) | トラックバック (3)

「見る神」から、「見られる神」へ。

 森美術館で市川海老蔵さんと会った。

 まずは、現在開催中の「医学と芸術展」を見る。出品作の中では、ヴァルター・ シェルスの『Life before death』が秀逸だった。

 海老蔵さんとレオナルド・ダ・ヴィンチの素描を見てから、今回の展覧会のキュレーターである広瀬麻美さんを交えて鼎談した。

 海老蔵さんは、レオナルド・ダ・ヴィンチの天才を成り立たせている日常的習慣について興味を持っていた。

 「常に見られる、ということを意識していたんじゃないですかね」という海老蔵さんの言葉で、一気にイメージが広がった。

 スピノザやバークリーにおける「神」は、世界のすべてを認識する「見る者」としての存在である。
 
 ジェンダーを逆転させる。「見る者」から、「見られる者」へ。「見る神」から、「見られる神」へ。そうすると、世界はどんなに変わって見えることだろう。
 
 見られていると思うから、細部まできちんと作り込む。そこに驚異の起源がある。見られていると思うから、テーブルの上のコップも、空の青も、可憐な花のゆらめきもすべてつくり出している。そんな風に思ったら、神は畏怖すべき存在であると同時に、優美な、愛しむべきものであるように思われ始めた。

2月 4, 2010 at 07:40 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2010/02/03

(本日)ザ・ベストハウス123 脳スペシャル

ザ・ベストハウス123 脳スペシャル

2010年2月3日(水)21時〜21時54分

フジテレビ系列


ぜひごらんください!

2月 3, 2010 at 08:49 午前 | | コメント (10) | トラックバック (0)

(本日)『「読む、書く、話す」脳活用術』発刊記念講演会

PHP研究所『「読む、書く、話す」脳活用術』

発刊記念講演会。

2010年2月3日(水)19時30分〜
PHP多目的ホール(PHP研究所東京本部内)
(地下鉄半蔵門線「半蔵門駅」下車、5番出口
すぐ東急一番町ビル2階)

詳細

2月 3, 2010 at 07:49 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

一つの美しい奇跡

一つの美しい奇跡

プロフェッショナル日記

2010年2月3日

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2月 3, 2010 at 07:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

While my fondest memories would ever remain with the small time things

While my fondest memories would ever remain with the small time things

私のもっとも好ましい記憶は、小さなものたちとともにある。

The Qualia Journal

2nd February 2010

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2月 3, 2010 at 07:44 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

週刊ポスト 脳のトリセツ ストップウォッチを使え

2010年2月12日号

脳のトリセツ 第28回

ストップウォッチを使え

「タイム・プレッシャー」をかけることで脳は本気になる。
時間内で課題をこなそうと潜在能力が最大限に発揮されるのだ。

抜粋

 どうやったら、自分の仕事の効率を上げることができるのか、短時間で多くのことをこなすことができるのか。そんな悩みを抱えている人は多いだろう。
 世の中が低成長だろうが、日本の経済が停滞していようが、そんなこととは関係なく、自分自身の脳の「高度成長」を維持する。いわば、自分の生き方と世の中の経済状況を「デカップリング」することをお薦めしている私としては、生産性を上げる方法をいろいろと読者に伝授したいと思う。
 一つ、きわめて簡単な方法がある。それは、「ストップウォッチ」を使うことである。ごく簡素なものでいい。ストップウォッチやタイマーを用いることで、仕事の効率を上げ、脳の生産性を高めることができるのである。

全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100212jp/index.html

2月 3, 2010 at 07:43 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

文明の星時間 ほんとうの歴女

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第100回 ほんとうの歴女

サンデー毎日 2010年2月14日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 先日、坂本龍馬をはじめとする幕末の志士について対談するため、ファッションモデルで女優の杏さんにお目にかかった。
 世の中には「歴女」という言葉がある。歴史が好きで、様々な知識がある女性を指す。「歴女」は2009年の新語・流行語大賞のトップ10入りし、杏さんが「歴女」の代表として表彰された。
 とても美しい「歴女」の杏さん。お話して感銘を受けた。歴史を単なる知識としてではなく、まさに自分が生きるこの現代の問題として受け止めるという姿勢が徹底していたのである。
 「私自身が今やっていることが、10年後、100年後の人から見たらどのように映るか、いつも模索しています。」
 「同時代を生きている人の中で、誰が歴史の中で残り、評価されることになるのか。そんなことを考えています。」
 歴史を既に定まったものとして決めつけてしまうのではなく、時間の中で展開される「生」の現場に位置付けようとする。まさに「歴史を生きる」ことを志向するという意味において、杏さんは「ほんとうの歴女」であった。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。


2月 3, 2010 at 07:43 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

標準化しようとすると、かえって生命運動としての本質が

 生きていく中で時々ふと、河合隼雄先生とお話した時のことを思い出す。京都のクリニックで、箱庭を観て頂いた後に、お好きなフルートを吹くというその部屋で向き合った。

 河合先生いわく、箱庭は実際に効果がある。そのことは経験からわかっている。しかし、通常の手続きをとって、科学的な意味で実証しようと思ったら、さまざまなことを「標準化」しなければならない。
 
 例えば、砂の量、色。箱の大きさ、材質。何よりも、箱庭に並べるアイテムの種類、数。そのようにして環境を標準化して、繰り返し実験してデータをとり、そうして統計を見なければ、通常の意味での「科学」とはならない。

 ところが、箱庭療法の実際は、一回性の塊である。河合先生のクリニックにある人形や、木や、石の類は、訪れる人がお土産に持ってくるものも多い。いわば、「オープン・システム」。その内容を制御しようも、指定しようもないのだ。

 箱庭を作る被験者の状態や、過去の経験の履歴も、毎回異なる。そのことによって、箱庭の内容も変わってくるし、被験者の心情も異なる。
 
 そのようなもろもろを考えると、箱庭に関する記述は、一つひとつの事例を記述する「事例研究」にならざるを得ない。また、それで良いのだと河合先生はおっしゃった。

 標準化しようとすると、かえって生命運動としての本質が失われる。そんなことはたくさんある。たとえば、自分の人生そのもの。あのとき、河合先生から受けた、覚悟と凄みの混じり合った感触を忘れまいと、時折思い出してみる。

 私たちは、人生の一回性から逃れられない。その不可避な偶有性を受け入れ、寄り添うしかないのである。


私が作った箱庭の前に立つ河合隼雄先生。2006年2月。
京都のクリニックで。

2月 3, 2010 at 07:42 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2010/02/02

プロフェッショナル 牛田貢平

サラリーマンは、スジを通せ
~鉄道ダイヤ作成・牛田貢平~

 「時刻表は商品である」という牛田さんの言葉を、素晴らしいと思った。
 日本の「ものづくり」の精神が称揚される。ここで、「ものづくり」とは、必ずしも「モノ」に限られるのではない。目に見えない「ソフト」もまた、大切な「ものづくり」の対象である。

 「ものづくり」精神を、目に見えないものへと広げる。日本経済の活性化は、この一点にかかっていると言ってもよいだろう。牛田さんの生き方に、その突破口へのヒントがある。
 
 そして、誰にとっても切実な、組織との関係をどのように考え、そうして自分の創造性を発揮するのかとうう命題についても、牛田さんは素晴らしいインスピレーションを与えてくれるのだ。

 必見。

NHK総合
2010年2月2日(火)22:00〜22:49

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すみきち&スタッフブログ

日経BPコラム 組織の中の「異分子」が生きる道
鉄道ダイヤ作成・牛田貢平(produced and written by 渡辺和博)

2月 2, 2010 at 07:11 午前 | | コメント (6) | トラックバック (4)

ディレクター魂

ディレクター魂

プロフェッショナル日記

2010年2月2日

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2月 2, 2010 at 07:10 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

I did not need to wear the color any more.

I did not need to wear the color any more.

もうその色を着る必要はなかった。

The Qualia Journal

2nd February 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

2月 2, 2010 at 07:10 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

Zero gravity

 人間は重力に抗しているのだというフリードリッヒ・ニーチェの直観は、正しかったのではないかと思う。

 物理的な重力に抗するために、人間は飛行機を発明し、ロケットを作り、月に行った。しかし、それよりもはるかに前から、人間は精神の領域において無重力を志向してきたように思われる。

 ニュートンの独創性もまた、リンゴが落ちるのを見て無意識のうちに無重力を志向したゆえにではないか。

 言語は、一つの無重力の形式である。志向性が、「今、ここ」の限定を離れて自由に羽ばたくようになる時、そこに無重力が生まれる。

 できる限り、zero gravityの環境を保つこと。それが、唯一最大の目標となる。zero gravityの環境でこそ、創造性が最大に発揮される。

 重力に負けないように。他人に対しても、重力場を及ばさないように。

 『2001年宇宙の旅』で、宇宙船のシーンにヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』を当てたスタンリー・キューブリックは、zero gravityについて正しい直観を持っていたのだ。



2001年宇宙の旅。Zero Gravity。

2月 2, 2010 at 07:10 午前 | | コメント (9) | トラックバック (1)

2010/02/01

大河のスタジオは、まるでドラエモンのポケットのよう

大河のスタジオは、まるでドラエモンのポケットのよう

プロフェッショナル日記

2010年2月1日

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2月 1, 2010 at 07:51 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

The color of sea was something very subtle.

The color of sea was something very subtle.

海の色は微妙に変化して

The Qualia Journal

1st February 2010

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2月 1, 2010 at 07:50 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

とにかく、最初の噴火のマグマがなければ

 この前、ゼミの前にチェゴヤで食べていた時、野澤真一といろいろ話していた。
 野澤は、ときどき、extremeな考えを持つことがある。それは、とても良いことだと思っている。

 どんなextremeな考えも、そこにその人の生き方や思想の体重が乗っていると、心地良いものである。評論家としての立ち位置ではなく、自分自身のこととして考える。そのような言説には信頼を持てる。

 私憤ではいけない。義憤でなければいけない。自分自身にまつわることでいつまでも怒っている人は、あまり信用できない。自分の利害とは関係がないことで怒っている人は、見所があるように思う。

 もちろん、extremeはextremeのままでは流通し得ない。しかし、さまざまな要素を取り入れて、中庸をはかるのは後からできるのだから、とにかく、最初の噴火のマグマがなければお話にならないのである。
 
 その野澤真一くんは、男の子が出来て、パパになった。野澤の日記 には、子どもを観察しながら、「sensoryとmotorのカップリングとcross modalな感覚統合だと、
sensory-motor couplingの方が早いのかもしれない。」などといろいろと書いてあって、面白い。



野澤真一氏。

2月 1, 2010 at 07:49 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

2010/01/31

「永遠の故郷」の確かな予感 吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』 書評

「永遠の故郷」の確かな予感

吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』 書評

茂木健一郎

 なぜある人が卓越しているのか、その理由がはっきりと明示できないことがある。背景となっている教養、感性の鋭さ、経験の蓄積。そのようなことがあまりにも重層的に積まれていて、容易には「こうだから」とその理由を提示できない。
 簡単にはその理由を指し示すことができない卓越のかたち。それは人間として目指すべき一つの到達点であり、私たちが愛する良きもの、美しきものが生み出されてくる精神の「故郷」である。
 遙かに遠く、そしてゆかしいもの。吉田秀和さんには、常に敬慕の念を抱いていた。高校時代に愛読したニーチェの『悲劇の誕生』に目を向けられたのも、確か吉田秀和さんの文章がきっかけだった。
 昨年の夏、吉田秀和さんにお目にかかる機会があった。潮風が気持ち良い、海辺のレストラン。音楽批評を芸術の域に高めた、一人の卓越した表現者が目の前に座っていて、ニコニコと笑っていた。
 「私が旧制高校の頃はね」と吉田さんはおっしゃった。「ドイツ語で、初日にアーベーツェーと初等文法をやって、二日目にはニーチェのショウペンハウエル論を読まされました。いやあ、野蛮な時代でしたよ。」
 吉田秀和さんが追想するような、「高貴なる野蛮さ」が日本の社会にはもっと必要なのではないか。
 文章に魅せられているうちに、ふくよかに、連想が膨らんでいく。読んでいて、とても心地良い吉田さんの文体。最新刊の『永遠の故郷 真昼』(集英社)でも、その優美な響きは健在である。
 例えば、マーラーの交響曲について書かれた、次の箇所

__________ 
 中でも、特に《大地の歌》の最終章《告別》、第九と第十のそれぞれの第一楽章などは、かつて描かれた最も美しい音楽に属するというべきだろう。作曲者はそのどれ一つとしてきく機会を持たずに死んでしまったけれども。
 これらの音楽は眩しいくらい美しい。そうして、無意味だ。私はこれらの曲を聴いていると、時々、耳をふさぎ、目を手で覆いたくなる。そこには、きくものを酔わせずにはおかない強い、魔法のような牽引力がる。特に、中でも一番あとで知られるようになった第十交響曲には強い薬と毒があるのではないかと感じることがよくある。
 だが、この曲について書くことは、まだ、私には、できない。ここでは《大地の歌》の中の《告別》の話をしたい。
_________

 吉田秀和さんは、1913年9月23日生まれ。『永遠の故郷 真昼』は、集英社の文芸誌「すばる」に2007年から2009年にかけて掲載されたエッセイを集めたものである。上に引用した文章(《告別》)が掲載されたのは、2009年8月号。その時、吉田さんは95歳。
 95歳の音楽評論の大家が、マーラーの『第十交響曲』について、「だが、この曲について書くことは、まだ、私には、できない。」と書く。心あるものに強く響く言葉である。このような慎重さは、ドイツ語のアーベーツェーをやった後にニーチェのショーペンハウエル論をやるような「知的野蛮さ」と同じところから発している。現代は、遠くへと漂流してきてしまった。
 さまざまな歌曲について、楽譜や言語の歌詞を参照しながら論ずる『永遠の故郷 真昼』。頁をゆったりとめくり、繰り返し味読するにふさわしい滋養に満ちている。とりわけ、第一章「《愛の喜び》ーある思い出にー」のように、愛すべき楽曲に吉田秀和さん自身の人生の出会いと別れの思い出が響き合う時、読者は忘れがたい魂の感触にしばし立ち止まる。その瞬間、私たちは「永遠の故郷」の確かな予感にとらわれているのだ。
 本書の最良の読み方は、吉田秀和さんの文章を読みながら当該曲を聴いてみることだろう。CDやDVDを持っている人はそれをかければいいし、持たない人は、youtubeなど、インターネット上にあふれるリソースで曲のサンプルをかけてみればよい。そのようにして、心の中に眠っている「高貴なる野蛮さ」の種を探りあてるとよい。

吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』
集英社、2010年1月10日刊

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By Ken Mogi 2010. Uncomissioned.

1月 31, 2010 at 10:34 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

(本日)オールナイトニッポンサンデー

2010年1月31日(日)


18時〜19時30分
ラジオ局 AM1242 

ニッポン放送
オールナイトニッポンサンデー

加藤ミリヤさんと、清水翔大さんをお迎えします。

http://www.1242.com/annsunday/

1月 31, 2010 at 09:13 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。

それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。

プロフェッショナル日記

2010年1月31日

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1月 31, 2010 at 09:11 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

Starting the day thus as an idiot

Starting the day thus as an idiot

こうして、愚かものとして一日を始める。

The Qualia Journal

31st January 2010

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1月 31, 2010 at 09:10 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって

 中学校の時、秋に学校からみんなで遠足に行ったのが楽しかった。時々、そのことを思い出す。

 なぜ楽しかったのだろうと考える。まず、みなが同じ赤のジャージを着ていた。今考えればみっともない格好かもしれないが、一人だけでなく、みんなで同じみっともなさを共有するのが良かった。

 よく晴れた日だった。河川敷につくと、ススキの穂が風に揺れていて、太陽の光がきらきらと光っていた。トンボが飛んでいた。風が吹くと少し寒かったが、基本的にはぽかぱかと温かかった。

 空間が、広々としていた。土手の斜面を緩やかに下って、行列から少し離れることもできた。みんなと歩く空間の位置とりに、それぞれの個性が出ていた。お互いに、相手がどこにいるのか、視野の隅の方で確認し合った。

 弁当の時間になると、思い思いに座って、わいわい騒ぎながら食べた。女子たちはおかずを交換して楽しんでいた。ぼくたちは、あっという間に食べ終わってしまって、キャッチボールを始めた。楽しくて、心の底から笑いたい気持ちになった。

 肝心なことは、あのような楽しさはこれからの人生においていくらでもあると油断していたけれども、実際には、厳密な意味で同じ楽しみは二度と来なかったということだ。

 だから、ぼくは、学校に講演に行った時、特に、卒業間近な高校生に話をする時に強調する。

 いいかい、君たち、毎日同じ仲間と同じ教室で、一年間ずっと勉強する。そんなことは、もう二度と来ないんだよ。大学にいったら、授業をとるのはバラバラ、クラスといっても、あってないようなものい。だから、本当にこれが最後なんだ。

 人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって、だけどそのことに気付かずにぼんやりしているから、ぼくたちは後悔する。その一方で、だからこそ気楽に暮らしているということもあるのだ。

1月 31, 2010 at 09:10 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)