2014/10/01

 昔の人は偉かった。

仕事で、群馬県の伊勢崎市にある境町駅付近に行かなければならなかった。

 ネットで調べると、乗り換えがかなりたいへん。両毛線などを使って、がったんごっとん行かなくてはならない。

 商売柄、昼下がりのローカル線は、時々困ったことがあって、特に、下校時の高校生の集団なんかに見つかると、意外と面倒な時間が訪れたりする。

 困ったなあ、と思って、しばらく地図を眺めていたら、良いことを思いついた。

 そうだ、埼玉県の早稲田本庄駅までは、新幹線で行ける。

 そこから、利根川を超えて、境町駅まで歩いていけばいい!

 幸い、ある程度、時間があった。

 即、実行。本庄早稲田駅から、てくてく、途中、利根川の雄大な景色を眺めながら、折々にぼんやりとたたずんだりして、4時間10分かけて、歩いていった。

 利根川の流れの中には、腰までつかって釣りをしている人がいた。

 いいなあ、大きな空、広々とした大地。

 境町駅に着いたときには、とっぷり日が暮れていた。この上なくぜいたくな午後を過ごしたように思った。

 「本庄早稲田から、歩いてきました」と言ったら、相手方は大いに驚いていたが、考えてみると、昔の旅人はもっと長い距離を歩いたのだろう。

 昔の人は偉かった。

 よく言われることだけれども、私たちは、ふだんの文明の生活で、命のスペクトラムのほんの一部しか使っていないことを、時々思い出してみる。

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10月 1, 2014 at 07:20 午前 |

2014/09/29

 ある昼下がりの光景

最近、昼下がりにある街を歩いていたら、ちょっとひやっとすることがあった。

 道路脇の歩道を、歩いていた中年の女性と、自転車二台に乗ってやってきた中年の男性、女性がぶつかりそうになったのだ。

 自転車は急ブレーキをかけてとまり、女性もびっくりした様子でからだをこわばらせたけれども、幸いぶつかることはなかった。

 そこは、大型の店舗のある前で、人通りも多かったので、周囲のひとも、ひやっとして、でも、怪我がなかったようなので、ほっとした。

 そうしたら、自転車に乗っていた男性が、女性を罵倒し始めたのだ。
 「携帯をいじりながら歩いているから、そんなことになるんだろう!」

 私だけでなくて、みんながびっくりして、中には、その男性をたしなめようと、何か言おうとしている人もいた。

 よく考えたら、歩道を自転車が(かなりのスピードで走る)ということも、ルール違反かもしれない。

 女性の方も、携帯を操作しながら歩くというのはよくないかもしれないけれども、あのように一方的に怒られることは、ないような気がする。

 でも、携帯の女性は、素直に、すみません、というように頭を下げて、歩み去っていった。それをにらみつけるように見ていた自転車の男性と、女性は、ふたたび、歩道を、それなりのスピードで、走っていった。

 ここで、私はトイレに行きたくなって、その大型店舗の中に入っていったのだが、そこはかとない違和感を抱いていた。
 今見たばかりの光景に、どこかおかしい点がある、という印象があったのだ。

 トイレの個室に座ってぼんやりして、出て、ふたたび街を歩き始めた瞬間、はっとした。
 なぜ、違和感を抱いたのか、わかったのだ。

 さて、みなさんは、私が何に気付いたのか、おわかりになりますか?

 自転車の男性が、女性に、携帯を操作しながら歩いていることの危険を指摘するのは、いろいろな考え方があるだろうが、まあ、それほどおかしなことではないかもしれない。

 歩道を自分たちが自転車で走っていることを棚に上げていることは問題だが、それほど、素っ頓狂なことではないかもしれない。

 違和感の理由は、もっと別のところにあったのだ。

 それは、自転車の男性が、あのようなことがあった時に、「真っ先に言うべきこと」は何かということ。

 それは、歩道を、携帯を操作しながら歩くと危ないとか、自分たちが歩道を自転車で走っていたのは悪かったとか、そういうことではない。

 女性にぶつかりそうになった後で、真っ先に言うべきこと。

 それは、「だいじょうぶですか?」ということだろう。

 「おけがはありませんか?」
 「びっくりなさいませんでしたか?」など、女性を気遣う言葉を発するべきだった。

 女性がびっくりしたり、不安を感じていたら、それをやわらげるような言葉をかけ、行動をとるべきだった。

 だって、たとえ、身体は傷ついていなくても、心が動揺しているかもしれないし、ショックを受けているかもしれないのだから。

 その上で、もし必要ならば、携帯の操作のこととか、自分たちが歩道を自転車で走っていることについて、何か言えば良い。あるいは、言わなくてもいい。(おそらく、言わない方がいい)

 ここで肝心なのは、私は、自転車の男性を非難しているわけではないということだ。
 人間というのは、咄嗟の時に、なかなか真っ先に言うべきことが言えない、そんな存在なのではないだろうか。

 現に、私も、違和感の理由を、トイレに入って出てくる、数分間の間、探り当てることができなかったのだから。

 携帯を操作していたという、行動のある側面を非難する前に、真っ先に相手のことを気遣う言葉を発すること。それは、人間としておそらくいちばん大切なことだが、それが難しい。

 そして、人間としていちばん大切なことを見失って、相手の行為の枝葉を非難するという事象は、社会のあらゆる側面で、昨今、見られるように思う。

9月 29, 2014 at 07:14 午前 |

2014/09/28

 今度入るコンビニの店員さん、言い間違えしなければいいな。

今朝、コンビニに行くとき、ぼくは、小銭を使う気が満々だった。
 ポケットの中に、コインがじゃらじゃら、たくさん溜まっていたからである。

 時々、そういう「波」が来るよね。面倒なのでお札出して、小銭がどんどんたまって、自販機で使ったりするけど、一円玉、五円玉がたまっていって。

 朝ごはんのサラダ、フルーツ、それにヨーグルトをカゴに入れて、レジに立った。
 アルバイトの女の子が、ピッ、ピッ、と、商品を通していく。
 やがて合計が出る。

 444円。
 
 ラッキー! 1円玉を使えるし、少なくとも、100円玉4枚、10円玉4枚を使える。うまくすると、5円玉も使えるかもしれない。

 意気揚々と、ポケットの中のコインに、手をつっこんだ、その時である。


 「440円になります。」

 は?

 今、確かに、女の子、「よんひゃくよんじゅうえん」と言った。「よんじゅう」のあとの、「よえん」がなかった。

 時々ありますよね。コンビニの店員さんが、額を勘違いして言うこと。一ヶ月に一回よりも、もっと頻繁にあるかもしれない、人間の認知的ミス。

 ところが、この言い間違えで、ぼくは、ビミョーな心理状態に置かれたわけさ。
 だってさ、おかしいじゃん。店員さんが、はっきり、滑舌良く、しかもさわやかに「440円です」と言っているのに、ぼくが、いそいそと、1円玉を4枚出して、「444円」にするの。
 
 女の子だって、ぼくが「444円」出して、レジの表示と見比べた瞬間に「はっ」として、自分が言い間違えたことに気付いて、恥ずかしいという思いをするかもしれない。

 どうしよう。ポケットの小銭を使いたい気持ちと、言い間違えしちゃった女の子に、気まずい思いをさせたくないなあ、という気持ちと。

 気持ちと気持ちが、じゃんけんするわけさ。

 それにしても、刹那の間に、人間はいろいろなことを考えられるものなんだね。

 気がつくと、ぼくは、500円玉を一枚出していた。

 「56円のお返しになります」

 女の子が、おつりをくれた。ぼくは、50円玉が一枚、5円玉が一枚、1玉が一枚増えたポケットをじゃらじゃらさせながら、朝の街を歩いていった。

 いいんだ、これで。

 口笛は、別に吹かなかった。

 思いは、ただ一つ。

 今度入るコンビニの店員さん、言い間違えしなければいいな。

9月 28, 2014 at 07:23 午前 |