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2010年2月11日 (木)

夏の夜、ふらりと入った食堂で

 専門性の問題だけではない。「感情の振れ幅」という意味においても、テレビにはさまざまな制約がある。

 皆、生活の中でそれぞれ苦労をしている。勉強や仕事に、プレッシャーがかかる中でがんばって取り組んでいる。そんな中、テレビを見る時くらい、力を抜いて楽しみたいと考えるのは人情というものだろう。

 かつて、巨人戦を中心とするプロ野球中継が地上波テレビの目玉となる番組だった時、一日の仕事を終えた人たちがそれを楽しそうに見ているのを何度目撃したことだろう。

 例えば、学会で訪れた福岡県の飯塚市。夏の夜、ふらりと入った食堂で、おじさんたちがそれぞれテーブルに入り、食事をとりながらテレビの巨人戦を見ていた。窓が開け放たれ、涼しい風が通る気持ちのよい食堂。大皿にさまざまなおかずが並べられ、自分の好きなものを指してとる。すっかりくつろいだ格好で、ビールのグラスを傾けながら時々やじる。テレビのある光景。それは、美しいものだった。

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コメント

なんかいい話ですね。食堂っていいですね。ふと思ってこんなに親近感のある日記が書けてしまうのも素晴らしいですね。


テレビっていろいろな事やってますよね。だからいろんな役割のテレビがあると思うんですよ。この食堂でのテレビと、おそらくご飯が「癒し」とかになってたんじゃないかなぁ、なんて思います。


こっちまで心があったかくなりました。ありがとうございました。

投稿: 北角 | 2010年2月11日 (木) 10時18分

茂木先生がふらりと現れても、自然に馴染んで居られそうな、俺たちの食堂、
貧困と混沌、そして一途なまなざしと、あきらめが共存する町・・私が長崎にいたころの筑豊のイメージでした
長崎もまだ、港外のあちこちに島の炭鉱が残っており、落盤事故のニュースで、子供をおぶった若い母親が、炭塵が漂っている坑口近くまで寄って、泣いている姿が目に浮かびます
女子大でピアノを弾いていた、飯塚市出身の友人が、今もコーラスで一緒に歌っています,当時長崎に寄宿舎に入って女子大の音楽課で学ぶには、時代背景からしてご両親はご苦労なさったことでしょう・・ 
青春の門の一場面を思い出す様な内に情熱を感じる人柄は、今も変わりません
茂木先生が見上げるテレビ、時々上がる巨人戦の攻防、
打った~~行け行け~~!そんな高揚したどよめきと落胆のため息が、不協和音の音楽の様に漂う町の食堂
地上デジタルは、ウイーンの学友会ホールからのコンサートも、ハイチの瓦礫の中の悲しみも、プロフェッショナルの感動も、分け隔てなく鮮明な画像で流されていますね・・・
ふと訪れた人生の休み処で、人との関わりの中に、先生のおっしゃる感情の揺れ幅の不思議に出会うことがありますね・・
心の居場所をふと無くしたり、しっくりと収まってみたり
します、 一人の朝の散歩の空を見上げるとき、そんな感情の振幅が吸い込まれていき、ここに青草の草原でもあったら、ごろんと横たわりたくなるような感情が芽生えたりします

             reiko.G

投稿: reiko.G | 2010年2月11日 (木) 13時18分

こんばんは 茂木サン。
夏の夜の 「巨人戦のナイター と ビール と 枝豆 」は 定番でした。

あの懐かしい光景は、どこにいってしまったのでしょうか。

残業が増え、帰宅時間遅くなったり、TV番組が多様になっているから・・。

くつろぎ と 数少ない娯楽であった事は、間違いないですね。


投稿: サラリン | 2010年2月12日 (金) 00時15分

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