一塁回ってとっとこと
私がNHKの番組に初めて出演したのは、実はかなり幼い時である。子どもたちが歌のおねえさんやおにいさんと遊ぶ『おかあさんといっしょ』に、親が応募して、当選して渋谷の放送センターに行ったのである。
当時、私は幼稚園に通っているか、あるいはその前。その時のことはほとんど覚えていない。ただ、スタジオで、音楽に合わせてぐるぐると走ったことだけは覚えている。
私がお気に入りだったのは、番組の中にあった踊りのコーナー。確か、「一塁回ってとっとこと、二塁回ってとっとこと、三塁まわってとっとこ、とっとこ、ホームイン!」というような歌詞だったのではないかと思う。その歌に会わせて、野球選手がベースを回るように走るのである。
そのくらいの年齢だから、テレビ番組に出ているという意識は希薄で、取りたてて緊張もしなかったのではないか。ただ、歌のおねえさん、おにいさんと一緒にスタジオでくるくる走ったのがとても楽しかったことを覚えている。
「健一郎がお母さんといっしょに出る」。そのように、母親が九州の祖父母に言ったらしい。それで、九州の祖父母は、孫の姿を見ようと、その日はテレビの前に時間になると座っていたらしい。当時は、家庭用のVTRなどない時代だから、テレビを見ようと思ったら、その日、その時間にブラウン管の前に座っているしか方法がなかった。だからこその、貴重な「一回性」の体験だったということもあるのだろう。
九州の祖母が亡くなったのは、私が小学校に上がる前だと記憶している。子どもだから、「死」の意味が余りわからず、祖母が自宅で横たわって顔に白い布がかかっているのを、ただ神妙に見つめていた。
子どものことだから、そのうちに退屈してしまった。その上に、親戚の人がたくさん来ているから何だか興奮してしまって、妹と一緒に座敷を走り回って、怒られてしまったことも覚えている。あの時の私の幼さ、妹の幼さを考えると、それが『おかあさんといっしょ』に出る前だったかどうか、記憶がはっきりしない。ただ、私の想像の中では、九州の祖母もテレビ受像機の前で私がスタジオを走り回るのを見ていたように思うのである。
それからしばらく、私は、九州の親戚に遊びに行くと、「けんちゃん、あれやってごらん」とからかわれた。
「一塁回ってとっとこと、二塁回ってとっとこと、・・・」と親戚のおばさんが言うと、私もよせばいいのに、乗せられて走り出してしまう。それを見て、親戚の人たちが手を叩いて笑う。私も、受けているのでいい気になって、ますますくるくると回る。
「一塁回ってとっとこと、二塁回ってとっとこと、三塁まわってとっとこ、とっとこ、ホームイン!」
私の中での「NHK」の最も古い記憶は、この歌とともにある。
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コメント
まぁ~ ^^ なんてかわいい!
お母さんと一緒の番組はは、子育てのママにとっての、一ときのオアシスタイムで、幼い子には、楽しい楽しい時間です、おじいちゃんおばあちゃんになっても、一緒に見たり、たまには見よう見まねのパフォーマンスやお歌も歌えるいい時間です、
泣いていた子も、テーマ音楽と一緒にテレビの中に入り込みますね、^^
幼い健一郎君も、とっとこと^^ やってたんですね~
可愛かったことでしょう^^
厳選抽選の結果、当選! 健一郎君はみんなを喜ばせる役を知らずにやらされていたんですね、
なかなか当選しないんですよ、やっぱり、運もすごい!
reiko.G
投稿: reiko.G | 2010年2月 9日 (火) 18時30分
お帰りなさい 茂木サン。
として再登場するとは。
「お母さんといっしょ」に出演されていたのですね。まさか当時の半ズボン姿の健一郎少年が脳科学者
当時の関係者の方がいたら、びっくりですね。
九州の 祖父母が TVの前で微笑みながら 御覧になったのでしょう。
健一郎少年が、可愛がられ育ったのが、わかります。
当時のその歌は分かりませんが、。親戚の叔母さんに大うけですね。
私も、お葬式など人が集まり、なぜか はしゃいでいた記憶があります。不思議ですね。
投稿: サラリン | 2010年2月 9日 (火) 21時15分
非常に
子どもらしい
無邪気な
茂木先生
暖かいほのぼのとした
「1塁回ってとつとこと」
です
投稿: 岡島妙英 | 2010年2月 9日 (火) 21時34分