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2010年1月29日 (金)

人間というものに対する尊敬の念

『プロフェッショナル 仕事の流儀』でさまざまな方のお話を伺っていて改めて確認したのは、「職業に貴賤の別はない」という古くから言われている「真理」のことである。

 世間では、「建前」や「政治的に正しい」発言としては、「職業に貴賎の別はない」というかもしれないが、本音のところではどう思っているかあやしい。やっぱり、「偉い」職業と、「それほど偉くない」職業があると思っているのではないか。

 私は、もはや、本音の部分で、心から、どんな職業にも同じような価値があり、そして同じくらいの奥行き、面白さがあると思えてならない。つまりは、その仕事にかかわる中で脳が成長する、その工夫のありようにおいて、すべての職業は平等であると信じるのである。

 世の中にはさまざまな仕事がある。その仕事の中には、工夫をすべきことがたくさんある。そうして、その工夫をしてできるようになっても、さらに先に課題が見えてくる。その過程で、脳は学習する。その喜びの質と階調は、どんな仕事でも同じことだと思う。

 つまりは、わからずやの世間から見れば、相変わらず職業に「偉い」「それほど偉くない」の別があるのかもしれないが、脳にとっての学習機会という意味においては、どんな仕事にも同じような深みがあるのであって、そのことをわかった方が、よほど面白い人生を送れるのではないかと思う。それに、何よりも人間というものに対する尊敬の念が底光りするようになる。

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コメント

茂木健一郎さま おはようございます。1月はよく晴れた日にたくさんであえました。気持ちの中に、晴れた日は明るさが、いつもよりも多くあります。茂木先生の今朝も明るいお目覚めでしたか、毎日、公開していただける先生のブログには、たくさんの思いがつまっていて、私の心も熱くなります。人として、すべての職業を平等に価値があるとは、どこかで思っていないこころがありました。今、振り返ってみると、プロフェッショナルにご登場した、さまざまな職種の方々の中には、同じ輝きを皆さん持っていらっしゃいます。私の偏った職種への考え方を反省するよい機会を与えてくださり、ありがとうございます。

投稿: 蓮華 | 2010年1月29日 (金) 09時00分

   
   茂木先生

       益々先生の日記

       貴重な生きた教科書

       として拝読させて

       頂きたいと思います

投稿: 岡島妙英 | 2010年1月29日 (金) 10時09分

毎朝楽しみに拝見しております。仕事の流儀も毎回楽しみです。世の中には沢山のプロがおみえですね?私も一応プロの観光バスガイドですが、仕事がハード、勉強が大変だ、やめる、若いガイドさんに出会うと、勿体ないと思います。よい職業は、他者から見る視点です。でも、本人が面白いとする仕事はお金に結びつきにくいとか、価値観がちがうのでしょう。私は茂木先生のご意見の賛成です。人生の後半にある私には、{私の人生も意味があった}そう思える最後でありたいと思います。二人のお嫁さんがいます。一人は庭つきの家で子育てするのが夢といい、一人は看護士として、子育てしながら、今二人目のつわりと闘いながらです。私は専業主婦は社会に有益な人材を送り出す大切な仕事だと思います。どなたも価値ある人生のはずですね。ありがとうございました

投稿: 坂口由紀子 | 2010年1月29日 (金) 10時18分

散歩をしていると、力を増した光線に春のチカまりを感じます^^
先生の言葉を思い返しながら、微笑が浮かびました
見上げる空、林の梢に、よき訪れが漂っているようで、立ち止まり深呼吸をすると、ずっと働き続けている肺に、ひんやりとした清潔な空気が染み渡ってくるのを改めて実感しました 
どのような形でも人間は人間を知ることで互いの存在の輝きを感じあえるものかもしれませんね^^
命を喜べることこそ、人の輝きの根本で、命を支える仕事への感謝と、苦労を伴う心と肉体の労働があってこそ、その輝きはその人の本物の輝く仕事となるのでしょう、

私たちの小学生のころには、学校のトイレのお掃除も自分たちの仕事でした、昔のトイレですから、結構大変なお仕事です、家でやらなかった作業でしたが、
綺麗になったトイレの前で笑顔を交し合った満足感は、
今でも気持ちよく思い出します  

満足感!非常にシンプルですが、感覚に残る満足感は、
貴賎を語る人には得られない見えない喜びではないでしょうか、そんな感覚を感じられる茂木先生も、遥か遠くに繋がるばあちゃんの私も幸せですね^^

職業としてのトイレ掃除のような仕事は現在も社会の中に
数限りなくありますね^^ 思わずありがとうございます
といいたくなるようなシーンに出くわすとき、心の中の頭を自然と下げているような気持ちを忘れてはならないと思っています、

トイレの掃除をたまたま思い出しましたが
先生のお人との数々の出会いに、いつも感じる物を分けていただけることを、喜んでいます

今朝は娘たちのほうからの連絡で、この文章と出会えました^^ 感性は繋がりあうものですね^^

               reiko.G

投稿: reiko.G | 2010年1月29日 (金) 12時58分

私も「職業に貴賤の別はない」と思っています。
そう思えるには世間体とか、人からの評価から抜け出ることができないといけないと思います。
偉い職業と偉くない職業という価値観は、人からの評価に怯える心から生ずるだろうと思います。
人に認められないと自己肯定ができない。
人生の目的は自己肯定にあるので、どうしても世間の目というものを気にしてしまいます。

そういうものがなしに、自分の職業に対する自分の姿勢に対して自信を持つことができ、
それによって人の評価に依存しない自己肯定ができれば、すばらしい人生を送れるだろうと思います。

投稿: | 2010年1月29日 (金) 20時36分

おはようございます 茂木サン。
その方にあった仕事を一生懸命に働いている姿は素敵です。

大変さは、色々ですが、「真冬の峠の吹雪の中、徹夜で、道の交通整理の人達 」 を 何度も目にしながら 通り過ぎる時、

こんな過酷な仕事をして頂いて 、ありがとう と思います。

私達の知らない所で 働いている方々が たくさんいらっしゃる。
感謝です。どうぞ 皆さん 寒さ対策をして
体調管理の下、お力が発揮されますようにと願っています。(茂木サンも インナーで調整して下さいね。)

投稿: サラリン | 2010年1月30日 (土) 01時11分

高度なレベルが求められている社会では仕事をこなせる人全てが尊敬の念に値すると考えています。政治的発言や概念なんて煩悩ですよね(笑)

投稿: 重力ピエロ | 2010年1月30日 (土) 03時55分

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