« 道を究めるための入り口は、至るところにある | トップページ | 大河のスタジオは、まるでドラエモンのポケットのよう »

2010年1月31日 (日)

それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。

 すきやばし次郎が仕入れるマグロは、仲買人の藤田浩毅さんが選んだものである。藤田さんにうかがうと、マグロを仕入れるというのも、なかなかに大変な仕事だということがわかる。

 私たちは、単純に鮮度が良くて、色がきれいで、トロならば脂身がキレイに入っているものがよいマグロだと思ってしまう。実際、市場はそのような基準で動いており、価格もそのような表面的な価値観で決まる。

 藤田さんが狙うのは、それよりも少し違うゾーン。口に含んでみると、なんともやわらかく、奥深く、そしてまぎれもない個性をもった味がする。そのようなマグロは、100本に1本あるかないか。しかも、産地が有名であるかどうかに関係ない。

 マグロの競りで、並んだ魚体のうちどれがそれなのか。藤田さんは観察し、五感を研ぎ澄まし、長年の経験と直観で選ぶ。ところが、藤田さんの考える理想のマグロは、同時に、「焼ける」といって、肉が変質して使いものにならなくなる状態の「近く」にある。時には、買ったマグロが「焼けている」こともある。その時には、多くのお金が無駄になる。

 市場の大勢が求めているキレイなマグロを買っていれば苦労はしないのに、敢えて難しいマグロを買う。ここに、私は藤田さんの心意気を見る。

 マグロだけではない。市場というものは、質という意味においては必ずしも最適化に成功するわけではない。多くの人が、先入観を持っていたり、十分な認識を重ねていなかったり、単に長年の習慣にとらわれていたりしてある方向に動き、そのことによって市況がつくられていく。藤田さんの選ぶマグロは、一度それを知ってしまえば他のものではダメだ、と感じる素晴らしさに満ちているが、それでも、そのような感性が市場の大勢になることはおそらくないだろう。

 それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。道を究めるとは、時に、市場の原理に逆らうことを意味するのである。

|

« 道を究めるための入り口は、至るところにある | トップページ | 大河のスタジオは、まるでドラエモンのポケットのよう »

コメント

  

  「藤田さん」の事は

   一度、築地市場での

   お姿を拝見しております

   厳しい生き方に

   敬意を以って

   

   

投稿: 岡島妙英 | 2010年1月31日 (日) 10時34分

茂木健一郎さま こんにちは。春にもこんにちは、と頭を下げる日です。藤田氏の経験から備わっていった、心の信念は、ご自分への仕事にたいする情熱から生まれてきたのでしょうか、ご自分の仕事に誇りを持っていきていく姿は美しいですね!茂木先生も美しい方ですね!このブログをお尋ねる私に、いつも笑顔をくださいます。ありがとうございますm(_ _)m。

投稿: とう華 | 2010年1月31日 (日) 10時35分

words are magic-

by taking these magic words as a spell,

my absolute inspration,

Wolfgang Amadeus Mozart quotes:

"I pay no attention whatever to anybody's praise or blame. I simply follow my own feelings."

he is my truth,
my rival,
and forever my romance


投稿: my hippopotamus | 2010年1月31日 (日) 17時18分

茂木サン、藤田サンのマグロの買付シーン見ました。
その目は真剣で そこに 信念や プライドがあり、
その姿は まさに 「サムライ」です。

ますます 「すきやばし次郎」のトロ を いただきたいですね。

茂木サンは、いいですね! うらやましい!

投稿: サラリン | 2010年1月31日 (日) 23時16分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。:

« 道を究めるための入り口は、至るところにある | トップページ | 大河のスタジオは、まるでドラエモンのポケットのよう »