ゲストの方の人生を推し測ろうと
ゲストの方が座り、照明などの調整が終わると、まずは「1V」が流れる。さっちんが、ゲストの横に歩み寄り、「これからVTRが流れます。Vが終わる頃になると、モニターがするすると後ろに下がって行きますから、そうしたら収録が始まるという合図です。」と説明する。
さっちんの説明が終わると、VTRが流れ始める。私と住吉美紀さんは、打ち合わせの時にすでに一回見ているけれども、改めてスタジオで見る。現場でゲストの方と一緒に見ることで、新たな臨場感や、感慨が込み上げるのである。
何しろ、このVTRを作るために、ディレクターは1月も2月も、時には半年間も現場に張り付いてきた。取材テープが百数十本になることも珍しくない。それを一通り「ラッシュ」として見るだけでも、大変だ。ゲストの方も、いろいろな思いがあるはず。何しろ、朝から晩までカメラ・クルーがはりつくという慣れない生活に耐えていただいたのだ。そして、スタジオで初めて、自分の人生の一断面がどのように取材され、編集されているのかを見る。重く、価値のある瞬間である。
膨大な取材テープの中から、どのような素材の「取捨選択」が行われたか。それを知るのは、基本的には担当のディレクターのと、ゲストの方のみ。私や住吉美紀さんは、結果として編集されたVTRを見るしかない。そのVTRから、編集の中で消えていった部分を含めて、ゲストの方の人生を推し測ろうと毎回一生懸命に見ていた。
そうして、VTRが終わると、さっちんが言っていたように本当にするするすとモニターが下がっていく。カメラが動き出す。さっちんが、キューを出すと、住吉美紀さんが「***さんにスタジオに起こしいただきました。よろしくお願いいたします」「よろしくお願いいたします」「よろしくお願いいたします」と挨拶を交わして、いきなり最初の質問へと入っていくのである。
このように、私と住吉美紀さん、そしてゲストの間では、打ち合わせや段取りの説明などの会話は最小限、ないしは全く交わされないようになっている。このような収録上の設いが、番組のスタジオ部分の独特の緊張感へとつながっていった。
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コメント
きっとそうなんでしょうね・・・
分かります、すごく理解できます、臨場感や感慨!
一般人も、その位、誰かに対して、また目的に対して思いをかけていくって、必要な感性かもしれませんね
感性を磨く作業は、普通の生活にも個人の関係にもありますね、実行あるのみですね磨かねば光らぬです^^
積み重ねと結果に感動がなくなるのは、
惰性と、受信側の感性の淀みです、よどみに入ると
流れに至れない不安が、感性を鈍らせます
一般人の暮らしや精神世界は、仕事につながらないだけに淀みの中に埋没する危険ばかりです、
人生とおなじ、活き活きと生きていくのは、心ひとつでは困難です、他者との関係に僅かな光の糸口を見いだし、行動詩実践すること、、
我とわが身に、事故策略のわなをかけ、まず嵌まってみることだと思っています
あくまでもしたたかにポジティブに!^^
ねえ、娘ども、ちょっとここをお借りして、へへ(笑)
reiko.G
投稿: R.グランマ | 2010年1月11日 (月) 17時53分
こんばんは 茂木サン 。出演者の方も この様に 自分自身の仕事ぶりや 生活を ピックアップしたVTRに メタ認知され、
その感動覚めやらぬ間の 問いかけに、 無意識の感情や 意志が 言葉になって 引き出されるのでしょう。
意識や 無意識に発した言葉に 自身でも びっくりすることがあります。
心の泉から でた言葉は 人を感動させるはずです。
投稿: サラリン | 2010年1月12日 (火) 00時15分