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2010年1月28日 (木)

自分の脳には可能性があると信じられるような

 現時点で、人間が生きていく上で重要なさまざまな問いかけに対して脳科学は、100%確実な答えを用意できない。しかし、まさに今を生きている人にとって、10年後、100年後になるかもしれない脳科学の「成熟」の時を待っている暇はない。

 「脳科学的には」とう問いにどのように答えるか? これは、一般的な問題であるが、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオでは、常に自分自身に問いかけなければならないリアルな課題でもあった。

 一つ、私が心がけていたことは、人間の脳の可能性を制約するような方向に、決めつけることを避けるということだった。

 例えば、世の中には「臨界期」についてのいろいろな論がある。外国語の習得については、何歳までに身につけなければネイティヴ並にはなれないとか、絶対音感を身につけるためには、何歳までにトレーニングをしなければならないとか、その類の説である。

 これらの説を裏付ける経験的事実は、確かに存在する。その一方で、脳に関するこれらの「説」は、物体を投げると放物線を描いて飛ぶというというのと同じ程度に確実かつ精密な「法則」として確立しているわけではない。

 例えば、30歳から英語を始めても、努力すれば「ネイティヴ」並になれるかもしれない。その可能性を完全に排除するほどに、脳科学は成熟していない。あるいは、大人になってからでも、トレーニングの方法によっては、絶対音感を身につけられるかもしれない。そのことを否定するほどに、私たちは人間の脳のことを知らない。

 現時点で未成熟な脳科学に基づく情報発信のうち、もっとも危険なものは、「あなたには可能性がない」と決めつけるものだろう。そのようなメッセージは、人々が自分の可能性を追求することを抑制してしまう。「男の脳はこうで、女の脳はこうである」という類の決めつけも同じような意味で危険である。

 以上のような観点から、「脳科学的には」という問いに対して情報発信をする上では、一人ひとりの可能性を狭める方向よりは、広げる方向につながるものをと心がけてきた。どうせ不確実ならば、その不確実性の幅の中で、一人ひとりが自分の脳には可能性があると信じられるような言葉を発したいと思ってきたのである。これは、一般的な意味においてそうであるが、特に『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオではそのことを心がけた。

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コメント

茂木健一郎さま おはようございます。人間の脳の可能性について、何歳になっても、脳には、こころから自分が望む事は、日々の自己の努力しだいで成していけるのですね!番組の中で、私達視聴者に、茂木先生が伝えていきたい「年を重ねてからもどんな夢も実現に近ずけていけるとの、心からのメッセージである」とも感じています。しかし、多くの努力を持たなければならないことを、気付いた時点で実行しなくてはいけないとも思います。「継続は力」なりと言います。継続へのよきアドバイスをお伝えていただけると大変ありがたいです。

投稿: とう華 | 2010年1月28日 (木) 08時34分

夢や希望の無い人生になんの喜びがあるでしょう・・
茂木先生がおっしゃるように、不確実だからこそ未来を見つめ、山のあなただからこそ、行ってみたいと思う、
そんな心のシンプルな動きを軽視しては、人は心の無表情に気がつかなくなってしまいます、私たちは石の花ではないのです
私が、茂木先生のお写真を眺めるだけで、心に明かりが灯るような気持ちになるのは、先生の言葉に真性を感じるからでしょう、人
を思う、人の幸せをご自分喜びと重ねる事ができるからこそ、クオリアの研究と偶有性の解明に心血を注いでおられるのでしょうね、
人生は不確実だから輝き、その不確実な人生を応援する人の群れが集うところに、赤い血の流れのような温もりが伝わり合うのかもしれませんね、
心の温もりの信頼を子供たちや若者に、そして、終の棲家の天へと微笑みながら歩んで生きたいと願う先を歩む私たちにも、先生の力を発揮してください、
喜び合い励ましあうことを嘲笑するような族に、やさしさの気合をもって敢然と立ち向かっていってください、

                reiko.G

投稿: reiko.G | 2010年1月28日 (木) 12時27分

すきやばしじろうさん、すごいおひとでした!
 <もうここより他、帰るところはない>という、絶体絶命の境地の中で、じろうさんは、<覚悟>を決め、苦しみや哀しみを肥やしに、一歩一歩、たゆみなく、こんにちのじろうさんへと歩み始め、美しい花を咲かせたのですね!さらにさらに、とどまることなく、高みへと歩いて行くじろうさんと、それを支えてきたご家族やお弟子さまたちに拍手と声援を送りたいと思います。 
 いつかじろうさんのお寿司を食べるにふさわしい人間になった時、ぜひいただきたいと思います。
 もてぎ先生は、じろうさんのお寿司をもういただいたでしょうか?

投稿: prince7 | 2010年1月28日 (木) 16時52分

本日の記事拝見いたしました。とても参考になりました。私も同感です。家族は{病気だから}とか{寝ないから}とか色々決め付けます。それは私が、家族の言うとうりにしていれば、入院せず仕事ができるのに、の、{のに}がついております。仕事は、観光バスガイドと、某会社の登録添乗員です。とても精神を患った人間にできる仕事ではありません。ましてや幻聴が耳に入るのも、個性と認識し、聞いても振り回されないが原則です。脳がフル稼働してしまい、多量のホルモンが出るからのようです。私はうつにはなりません。覚せい剤使用したかのようにアップテンポですし、バイオリズムも他人より速いです。脳には限りない可能性があり、脳科学はまだ、歩きはじめたばかりのような、素直な茂木先生のブログに、勇気が頂けました。
この世の科学はすべて、人間の発見、発明によるのですから。55歳可能性にチャレンジです。

投稿: 坂口由紀子 | 2010年1月28日 (木) 16時59分

(o^-^o)ひさしぶりにコメントします♪ 
茂木さん、お元気ですか?

言語の臨界期については、私も在学時代、学んだ覚えがあります。Chomskyの提唱したUG(Universal Grammer)理論を思い出しましたw。 しかし、脳科学的には、まだそんなに実証できているわけでもないのですね。ふむふむ…。


約5年前に躁うつ病を発症した私にとって(いまは寛解しています)、『何歳からでもやり直しはきく』という理論はどこで聞いてもうれしいものです。 

一度エスカレータを踏み外すと、容易にはその差を埋めることはできないこの日本の格差社会で、『脳は無限の可能性を秘めている』という茂木さんの言葉、たいへん励みになります。

投稿: みかん箱 | 2010年1月28日 (木) 20時47分

ありがとうございます。
そのお心がけのお陰で、私の中にもあるであろう様々な可能性は、無意識のうちに広がっていると思います。
良い意味で、いつも「例外」の存在でいたいと思います。

投稿: nico | 2010年1月29日 (金) 00時26分

おはようございます 茂木サン 。
やはり、あなたは「可能性の王子」 だったのですね! (笑)

茂木サン、覚えていますか?以前に、私が…。
ブログに書き込みをさせて頂いている間に、過去と未来の内容が繋がり

不思議な感覚を感じます。

どうぞ、更なる活躍されますように、応援しております。

今年の目標や 楽しみも見つけ、また可能性を信じて 毎日を 楽しみたいと思います。

春に講演会に 行きたいです。

投稿: サラリン | 2010年1月29日 (金) 01時03分

初めまして。
私も、脳に病気を持つ主婦です。
しかし茂木さんにはとても感謝しています。勇気づけてもらい勉強になるので、NHKのTVは録画絶対しています。それに出版されている「脳を活かす生活術」は今私の愛読書です。
あきらめずにこれからも脳のトレーニング続けて行きたいと思います。

投稿: エルモ | 2010年1月30日 (土) 14時57分

素晴らしい
あなたはやっぱりプロフェッショナルだ

投稿: グレゴリー | 2010年2月 8日 (月) 04時50分

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