それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。
すきやばし次郎が仕入れるマグロは、仲買人の藤田浩毅さんが選んだものである。藤田さんにうかがうと、マグロを仕入れるというのも、なかなかに大変な仕事だということがわかる。
私たちは、単純に鮮度が良くて、色がきれいで、トロならば脂身がキレイに入っているものがよいマグロだと思ってしまう。実際、市場はそのような基準で動いており、価格もそのような表面的な価値観で決まる。
藤田さんが狙うのは、それよりも少し違うゾーン。口に含んでみると、なんともやわらかく、奥深く、そしてまぎれもない個性をもった味がする。そのようなマグロは、100本に1本あるかないか。しかも、産地が有名であるかどうかに関係ない。
マグロの競りで、並んだ魚体のうちどれがそれなのか。藤田さんは観察し、五感を研ぎ澄まし、長年の経験と直観で選ぶ。ところが、藤田さんの考える理想のマグロは、同時に、「焼ける」といって、肉が変質して使いものにならなくなる状態の「近く」にある。時には、買ったマグロが「焼けている」こともある。その時には、多くのお金が無駄になる。
市場の大勢が求めているキレイなマグロを買っていれば苦労はしないのに、敢えて難しいマグロを買う。ここに、私は藤田さんの心意気を見る。
マグロだけではない。市場というものは、質という意味においては必ずしも最適化に成功するわけではない。多くの人が、先入観を持っていたり、十分な認識を重ねていなかったり、単に長年の習慣にとらわれていたりしてある方向に動き、そのことによって市況がつくられていく。藤田さんの選ぶマグロは、一度それを知ってしまえば他のものではダメだ、と感じる素晴らしさに満ちているが、それでも、そのような感性が市場の大勢になることはおそらくないだろう。
それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。道を究めるとは、時に、市場の原理に逆らうことを意味するのである。
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