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2010年1月31日 (日)

それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。

 すきやばし次郎が仕入れるマグロは、仲買人の藤田浩毅さんが選んだものである。藤田さんにうかがうと、マグロを仕入れるというのも、なかなかに大変な仕事だということがわかる。

 私たちは、単純に鮮度が良くて、色がきれいで、トロならば脂身がキレイに入っているものがよいマグロだと思ってしまう。実際、市場はそのような基準で動いており、価格もそのような表面的な価値観で決まる。

 藤田さんが狙うのは、それよりも少し違うゾーン。口に含んでみると、なんともやわらかく、奥深く、そしてまぎれもない個性をもった味がする。そのようなマグロは、100本に1本あるかないか。しかも、産地が有名であるかどうかに関係ない。

 マグロの競りで、並んだ魚体のうちどれがそれなのか。藤田さんは観察し、五感を研ぎ澄まし、長年の経験と直観で選ぶ。ところが、藤田さんの考える理想のマグロは、同時に、「焼ける」といって、肉が変質して使いものにならなくなる状態の「近く」にある。時には、買ったマグロが「焼けている」こともある。その時には、多くのお金が無駄になる。

 市場の大勢が求めているキレイなマグロを買っていれば苦労はしないのに、敢えて難しいマグロを買う。ここに、私は藤田さんの心意気を見る。

 マグロだけではない。市場というものは、質という意味においては必ずしも最適化に成功するわけではない。多くの人が、先入観を持っていたり、十分な認識を重ねていなかったり、単に長年の習慣にとらわれていたりしてある方向に動き、そのことによって市況がつくられていく。藤田さんの選ぶマグロは、一度それを知ってしまえば他のものではダメだ、と感じる素晴らしさに満ちているが、それでも、そのような感性が市場の大勢になることはおそらくないだろう。

 それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。道を究めるとは、時に、市場の原理に逆らうことを意味するのである。

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2010年1月30日 (土)

道を究めるための入り口は、至るところにある

 仕事には、表面的に見ているうちには思いもしないような深みがある。プロフェッショナルとは、つまり、そのような深みを探りあてて、生きる限り成長し続ける人を指すのだろう。自分に厳しく、常に向上を目指して、行動を律する。そのような姿勢が、やがて磨き上げられた技、深い世界観へと通じる。
 世界最高齢の「三つ星シェフ」としてギネス・ブックにも認定された「すきやばし次郎」の小野二郎さん。おいしい寿司を握るための工夫は無限であり、さまざまな知識を積み重ね、工夫を広げなければ小野二郎さんの境地には達することはできない。
 7歳の時から、奉公に出た二郎さん。「もう帰るところはない」と必死で努力した。昼間働いていて眠いで、ついつい学校でうとうとしてしまう。一人で校庭に立たされている間に、「あっ、そうだ」と仕事を思い出して、ちょっと抜け出して済ませてしまう。そんなことを、小学生の頃からやっていらした。
 「なぜ寿司屋を選んだのですか?」とお聞きした時、「寿司屋が一番店を開くのに設備が要らなかたから」と二郎さんは答えた。最初から、「寿司の道を極める」などと思っていたわけではない。いわば、生活のための配慮から寿司屋を始めた。そうして、おいしい寿司を作るにはどうすれば良いかということを突きつめているうちに、至高の境地にまで達した。
 小野二郎さんの姿を見ていると、道を究めるための入り口は、至るところにあるということが改めて納得される。ただただ、与えられた課題に懸命に取り組むだけのことである。自分に厳しく、そして目標を高く持って。そのようにして精進していれば、必ず報われる時がくる。

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2010年1月29日 (金)

人間というものに対する尊敬の念

『プロフェッショナル 仕事の流儀』でさまざまな方のお話を伺っていて改めて確認したのは、「職業に貴賤の別はない」という古くから言われている「真理」のことである。

 世間では、「建前」や「政治的に正しい」発言としては、「職業に貴賎の別はない」というかもしれないが、本音のところではどう思っているかあやしい。やっぱり、「偉い」職業と、「それほど偉くない」職業があると思っているのではないか。

 私は、もはや、本音の部分で、心から、どんな職業にも同じような価値があり、そして同じくらいの奥行き、面白さがあると思えてならない。つまりは、その仕事にかかわる中で脳が成長する、その工夫のありようにおいて、すべての職業は平等であると信じるのである。

 世の中にはさまざまな仕事がある。その仕事の中には、工夫をすべきことがたくさんある。そうして、その工夫をしてできるようになっても、さらに先に課題が見えてくる。その過程で、脳は学習する。その喜びの質と階調は、どんな仕事でも同じことだと思う。

 つまりは、わからずやの世間から見れば、相変わらず職業に「偉い」「それほど偉くない」の別があるのかもしれないが、脳にとっての学習機会という意味においては、どんな仕事にも同じような深みがあるのであって、そのことをわかった方が、よほど面白い人生を送れるのではないかと思う。それに、何よりも人間というものに対する尊敬の念が底光りするようになる。

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2010年1月28日 (木)

自分の脳には可能性があると信じられるような

 現時点で、人間が生きていく上で重要なさまざまな問いかけに対して脳科学は、100%確実な答えを用意できない。しかし、まさに今を生きている人にとって、10年後、100年後になるかもしれない脳科学の「成熟」の時を待っている暇はない。

 「脳科学的には」とう問いにどのように答えるか? これは、一般的な問題であるが、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオでは、常に自分自身に問いかけなければならないリアルな課題でもあった。

 一つ、私が心がけていたことは、人間の脳の可能性を制約するような方向に、決めつけることを避けるということだった。

 例えば、世の中には「臨界期」についてのいろいろな論がある。外国語の習得については、何歳までに身につけなければネイティヴ並にはなれないとか、絶対音感を身につけるためには、何歳までにトレーニングをしなければならないとか、その類の説である。

 これらの説を裏付ける経験的事実は、確かに存在する。その一方で、脳に関するこれらの「説」は、物体を投げると放物線を描いて飛ぶというというのと同じ程度に確実かつ精密な「法則」として確立しているわけではない。

 例えば、30歳から英語を始めても、努力すれば「ネイティヴ」並になれるかもしれない。その可能性を完全に排除するほどに、脳科学は成熟していない。あるいは、大人になってからでも、トレーニングの方法によっては、絶対音感を身につけられるかもしれない。そのことを否定するほどに、私たちは人間の脳のことを知らない。

 現時点で未成熟な脳科学に基づく情報発信のうち、もっとも危険なものは、「あなたには可能性がない」と決めつけるものだろう。そのようなメッセージは、人々が自分の可能性を追求することを抑制してしまう。「男の脳はこうで、女の脳はこうである」という類の決めつけも同じような意味で危険である。

 以上のような観点から、「脳科学的には」という問いに対して情報発信をする上では、一人ひとりの可能性を狭める方向よりは、広げる方向につながるものをと心がけてきた。どうせ不確実ならば、その不確実性の幅の中で、一人ひとりが自分の脳には可能性があると信じられるような言葉を発したいと思ってきたのである。これは、一般的な意味においてそうであるが、特に『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオではそのことを心がけた。

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2010年1月27日 (水)

「トリセツ」

 脳科学的な視点から何かを言うということについては、数多くの原理的な困難を伴う。ニュートンの運動方程式と同程度の厳密性で何かを言おうと思ったら、現状の脳科学の発展の水準では無理である。

 それでは、脳科学は、現時点では私たちの「生きる」に資する、どんなことを示唆することができるのか? 『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオは、そのような「応用脳科学」ないしは「臨床脳科学」の一つの現場であった。

 脳は、私たち人間にとって、生きる上で何よりも大切な、頼りとしなければならないものである。それにもかかわらず、神様は「トリセツ」を用意してくださってはいない。考えてみれば、私たちは、脳をどのように取り扱ったらいいかわからないままに、一人ひとりのたった一回の人生を生きているのだ。

 学校で勉強ができるようになるにはどうすれば良いか? 社会に出て、仕事をする上で自分の能力を活かすには、どのような点に注意すればよいのか? 創造性を発揮するために必要なことは何か? 対人関係で悩んでいる人が、コミュニケーションのスキルを上げるためにはどんなことを心がければ良いのか。

 私たちの生の現場における、それこそ「切れば血が出るような」問題意識。脳科学が未だ発展の途上にあるからと言って、「いかに生きるべきか」という問いに対して沈黙を守ることは、それ自体が一つの選択行為となってしまう。現に同時代を生きる多くの人々に対して誠実であるためには、何とかして「脳科学的には」という問いに答え続けなければならない。そのように私は考えたのである。

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2010年1月26日 (火)

かなり高い蓋然性を持ってある言明をすること

 例えば、『プロフェッショナル 仕事の流儀』に登場するゲストが、生涯の中で出会った大切な経験があったとする。その出会いを通して、人間としても、プロフェッショナルとしても大きく成長したとする。

 そのことの「脳科学的な意味」は何か? この問いに対して、どんな時にも、どこでも、誰にでもあてはまるような形で答えることは原理的に不可能ではないにせよ、多くの困難がある。

 ある一つの経験をどのように受け止めるか。経験の持つ意味は、その人の資質、それまでに蓄積されている体験などによって異なる。また、その後の人生の展開によっても、経験がどのように活かされるかは異なる。「物体を投げ上げると、放物線を描く」というような簡素な普遍性を持った形で、経験が脳に与えた影響を記述することは難しい。

 極端なことを言えば、ひとりの人と一つの経験の出会いは、この宇宙の中で一回しか起こらない出来事だということになる。

 取り得る方法は、経験の内容や、その人の性格、その後の状況といった「個別性」から独立して、ある程度広い範囲で、経験、性格、状況にかかわらず成立するような法則を見つけることである。その場合でも、100%適用できるということは難しい。しかし、かなり高い蓋然性を持ってある言明をすることができる。そのような視点を目指すしかない。

 番組内で、「脳科学的には?」という前置きをしてコメントする際には、以上のような「メタ」な視点から何を言うかということに心を砕いていた。

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2010年1月25日 (月)

「一回性」や「多様性」によって

 科学は、ある対象を研究する時に、環境から「切り離して」その属性を明らかにしようとする。実験室の中で閉鎖された容器の中に入れるというのが典型的な例である。そうして、環境との相互作用がある場合にも、その相互作用の内容をあらかじめ実験者がコントロールしようとする。そうすることによって、初めて、研究の対象としているものの性質が明らかになると考えるのである。

 脳科学においても、このような研究手法は踏襲されている。被験者の脳を閉鎖的な環境において、その上で相互作用を特定する。何回も繰り返し実験して、再現可能な結果を求める。データを統計検定して、有意な差があるかどうかを探索する。そのようにして、脳科学の論文は書かれている。

 しかし、このような伝統的なやり方は、脳が本来持っている柔軟な機能の一断面を明らかにするものの、その本質には今一つ迫りきれない側面がある。脳は、本来オープンでダイナミックなシステムである。常に外界とのやりとりの中で、その機能を発揮する。そして、相互作用は、「一回性」や「多様性」によって特徴付けられる。

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2010年1月24日 (日)

脳科学的には

 プロフェッショナルたちの生き方に接して、脳科学者として、どのように考えるのか? 脳科学の視点から、生きるということにどんな示唆が与えられるのか? 私自身も、何か意味のある貢献がしたいと、一番力を入れたポイントである。

 「脳科学的には、どうなのでしょう?」

 このような質問に対して、現時点で科学的に厳密に言えることは、実はきわめて少ない。それでも何かを言わなければならない。ここに、難しい問題が存在した。

 物理学においては、ニュートン方程式のような定量的に厳密な法則がある。例えば、ある物体を空中に投げれば、放物線を描いて飛んでいくだろうとは予想できる。空気の抵抗の影響があるとしても、それがどの程度のものなのか、記述することはできる。だから、「投げ上げられた物体が、何秒後にどうなっているか、物理学者として何か言ってください」と言えば、明確にコメントができるだろう。

 脳科学の知見は、現在のところ、そのような厳密な法則としては成立していない。今後も、ニュートン方程式のようなかたちで法則が打ち立てられる見込みは少ない。その背後には、脳というシステムが持つユニークな性質がある。

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脳科学的には

 プロフェッショナルたちの生き方に接して、脳科学者として、どのように考えるのか? 脳科学の視点から、生きるということにどんな示唆が与えられるのか? 私自身も、何か意味のある貢献がしたいと、一番力を入れたポイントである。

 「脳科学的には、どうなのでしょう?」

 このような質問に対して、現時点で科学的に厳密に言えることは、実はきわめて少ない。それでも何かを言わなければならない。ここに、難しい問題が存在した。

 物理学においては、ニュートン方程式のような定量的に厳密な法則がある。例えば、ある物体を空中に投げれば、放物線を描いて飛んでいくだろうとは予想できる。空気の抵抗の影響があるとしても、それがどの程度のものなのか、記述することはできる。だから、「投げ上げられた物体が、何秒後にどうなっているか、物理学者として何か言ってください」と言えば、明確にコメントができるだろう。

 脳科学の知見は、現在のところ、そのような厳密な法則としては成立していない。今後も、ニュートン方程式のようなかたちで法則が打ち立てられる見込みは少ない。その背後には、脳というシステムが持つユニークな性質がある。

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2010年1月23日 (土)

どのような心理状態で

 どうやって、決まったことをリラックスして言うか。そのセルフ・コントロールの模索は、不思議な感覚だった。頭の中にやわらかい玉があって、それをぎゅっと縮まる。ある程度縮めないと、集中できずに間違う。しかし、力を入れすぎると、ぎこちなくなってしまってそれが表情に表れる。

 その場で即興で話す分には何の苦労もないのに、決まり事を言うのが苦手だとは、つくづく因果な脳みそを持っているものだと自分でも思った。

 集中とリラックスがうまくいって、春風が吹くようなやわらかい感じで言えることもある。そんな時には、様子を見ていた有吉伸人さんから、「今のは良かったですね」という声が飛ぶ。

 さすがに、プロデューサーというのはよく見ているものである。逆に見れば、それだけ細かいニュアンスまで顔の表情には見えてしまうということになる。テレビの画面に映る人の表情というものは、そんなに誤魔化しができるものではない。だからこそ、どのような心理状態で収録に臨むかが大切になる。そんなことを、経験から学んでいったのである。

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2010年1月22日 (金)

緊張のスパイラル

「茂木健一郎です。」
 「住吉美紀です。」
 この「演出」が多用されていた放送の初期の頃は、最初にこの決まり事を言うことに多大なプレッシャーがかかっていて、それが終わると、収録が半分済んだような気分になった。
 せりふを言い間違えると、撮り直しで住吉美紀さんやスタッフの方に迷惑をかける。それで、控え室にいる時や、廊下を歩きながら、場合によってはトイレの中で復唱した。それでも、ついつい間違えてしまうことがあった。やはり、決まり言葉を言うことがどうしても苦手だったのである。
 決まったせりふを間違えずに、しかも自然体で言うためには、いわゆる「フロー状態」になれば良い。
そのことは、理論的にわかっていた。わかってはいても、なかなかそのような状態に自分を持っていくことができなかったのである。
 ここに、フロー状態とは、ハンガリー出身でアメリカで活躍した心理学者のチクセントミハイが提唱している概念で、「集中しているが、リラックスしている」状態を指す。私たちは、ついつい緊張していることを、集中している状態と勘違いしてしまいだが、そうではない。限りなく集中していても、リラックスしているということはあり得る。ちょうど、子どもが遊びに熱中して我を忘れている状態が、「フロー状態」である。
 人間の脳や身体が最大のパフォーマンスを発揮できるのは、フロー状態にあるとき。アスリートが世界新記録を出すような時には、懸命にやっているというよりは、むしろリラックスして「流している」感覚であることが多いという。これが、まさにフロー状態となる。
 決められたせりふを、定められた時間で言う。そのことを意識して、最初はどうしても硬くなってしまっていた。緊張すると、自分でもヘンになって締まっているのが手にとるようにわかる。あっ、これではいけない、と思うと、ますます緊張のスパイラルに入っていってしまうのである。

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2010年1月21日 (木)

気持ちだけゆっくり言いましょうか。

 ゲストの方にとっては、「プロフェッショナルとは」という問いに対して、Progressのサビの部分でぴったり収まるような形で答えるのは大変なことだったかもしれない。
 私にとっても、似たような課題が与えられることがあった。回によっては、スタジオの最初の部分で、Progressの前奏部分でぴったりと収まるように住吉美紀さんとコメントを言わねばならないことがあったからである。
 私は、もともと、自由にその場で即興を言うのは大変得意である。一方、台本があって、その通りに言うのはとても苦手としている。しかも、それをある限られた秒数の中で収めなければならないというと、ほとんど難行苦行の世界となる。
 ディレクターやデスク、それにチーフプロデューサーの有吉伸人さんが、収録秒数を考えて書いて下さっている台本だから、そのまま自然に読めばちょうど秒数で収まるはずなのだが、それがなかなかうまく行かない。
 「茂木健一郎です。」
 「住吉美紀です。」
 「プロフェッショナル仕事の流儀。今日のゲストは、○○で世界の最先端を行く、○○さんです。茂木さん、○○と言えば、茂木さんもとても関心があるんですよね。」
 「そうなんです。やはり、人類の未来を考える上で、欠かすことのできない課題がそこあると思うんですよね。」 
 などとやりとりをして、ちょうど34秒くらい。0.5秒くらいは音楽で調整できるにせよ、あまりにずれると編集しようがなくてやり直しになる。
 決まったせりふを言うことでさえプレッシャーがかかるのに、山口佐知子さん(さっちん)がストップウォッチを持って時間を計っている。それが、ずっと見えている。
 最後のせりふを言い終わると、さっちんがストップウォッチを止める。
 「ああ、惜しい。35秒!」
 「じゃあ、もう少しだけ速く言いましょうか。」
 「うーん、32秒。」
 「気持ちだけゆっくり言いましょうか。」
とそんなことをくりかえしているうちに、ようやくOKとなる。
 せりふのスピードだけではない。私がしばしばやった失敗は、目線に関すること。ここでこのカメラを見ながら喋ってください、という指示を忘れてしまったり、目を余計なところに走らせてしまったりする。
 その点、住吉美紀さんはさすがにプロフェッショナルで、カメラがどのタイミングでどれに切り替わるかということが完全に把握できていて、横に立っていても感心することしきりだった。

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2010年1月20日 (水)

ぴったりと収まるように収録できると

 私や住吉美紀さんが補足して説明することもある。ゲストの方は、「うまく言えるかなあ」と仰ったり、「ちょっと考えさせてくださいね」とタイムを取ることもある。

 そのようにして、もう一度「プロフェッショナルとは」の質問をする準備ができる。ディレクターがいったん再びスタジオの暗がりに引き下がる。山口佐知子さんが、「それでは、茂木さんの質問から」と言う。私が、「改めておうかがいいたします。****さんにとって、プロフェッショナルとは、どのような人でしょうか?」と伺う。

 ゲストの方が答えている間、話がしやすいようにと、住吉美紀さんが聞きながらうなづく仕草をすることもある。 そのような住吉美紀さんの心づかいを視野の横の方で感じながら、私はまっすぐにゲストの顔を見て、その言葉を受け止める。自分が、相手の言葉を大きく響かせる楽器になるように心がけながら。

 苦労を重ねながら、ようやくのこと「プロフェッショナルとは」のコメントがぴったりと収まるように収録できると、スタジオの中にいる全員の間に、安堵の空気が流れるのだった。

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2010年1月19日 (火)

まるで勇気づけるかのようにゲストに歩み寄り

この最後のインタビューには、一つの技術的制約があった。番組の最後に流れる「プロフェッショナルとは?」という問いかけに対するゲストの発言は、主題歌であるkokuaの『Progress』のサビの部分の旋律に合わせて放送される。そのため、コメントが十数秒で収まらなければならない。

 一度でちょうどサビの部分で収まるようにコメントが発せられることもあったが、「一発OK」になることは、むしろ少なかった。ちょうど良い時間でコメントが収まるまで、繰り返し質問させていただくのである。

 ゲストの答を頂くと、私は笑顔でまず会釈してお礼の気持ちを表す。それから、何とはなしに、スタジオのフロアの隅の方にいるディレクターの方を見る。

 ディレクターは、イヤホンとインカムを通して、副調整室とやりとりをしている。副調整室では、たった今ゲストが話したことを、内容と、それからサビの部分に収まるかどうかを判断している。ある程度長さが前後するくらいならば微調整できるけれども、どうしても難しい場合は、「もう一度お話いただけませんか」という趣旨の指示がくる。

 ディレクターは、副調整室からの指示を受けて、V字テーブルのところに座っているゲストのところに歩み寄る。ゲストのすぐ横にひざまずくように近づいて、それから、ゲストを下から見上げながら、「もうしわけありません。今のお言葉で、内容はとても素晴らしかったのですが、音楽に合うようにしなければならないので、もう一度お話いただけませんか?」と頼む。 

 ずっと取材をしてきて、いわばゲストと「苦楽をともに」している。その番組作りも、いよいよ最後の詰めを迎えている。本番収録中は、フロア・ディレクターの山口佐知子さん(さっちん)は「光の柱」の近くにいてカンペを出したりしているけれども、VTR取材を重ねてきたPD(プログラム・ディレクター)は、スタジオの端の暗がりの方にいて、ゲストの方の受け答えを見守っていたり、副調整室と連絡をとっているので、その姿があまり見えない。

 いよいよ「プロフェッショナルとは」の収録の段になって、ディレクターが、まるで勇気づけるかのようにゲストに歩み寄り、「もう一度お願いします」と依頼している様子を見ていると、「ああ、いよいよ収録も終わりなんだな」との感慨が込み上げて来るのだった。

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2010年1月18日 (月)

プロフェッショナルとは?

 毎回、「**さんにとって、プロフェッショナルとはどのような人でしょう?」と伺うのが、私にとっても、とりわけ感慨深い瞬間だった。それまで、4時間にわたるスタジオの中の対話の「マラソン」をゲストの方や住吉美紀さんと一緒に走ってきて、今やゴールを迎えようとしている。さまざまな営為が、一つになって、そうして何かに結実しようとしている瞬間。そんな感情の高まりがあった。
 3番目のVTR(「3V」)が終わると、その感想を述べたり、補足の質問をしたりする。そのうち、V字テーブルの向こうに立っている山口佐知子さん(さっちん)が、「いつでもプロフェッショナルに行っていいです」という「カンペ」を出す。
 そのカンペを見てから、間合いをはかって、「いろいろとお話をうかがって参りましたが、最後に、***さんにお尋ねしたいことがあります」と切り出す。すると、ゲストの方も、最後にその質問が来ることがわかっているから、何とはなしに「来たな」というような表情になる。
 「***さんにとってプロフェッショナルとはどのような人でしょう?」という締めの問い。その仕事や人生についての思いが込められた言葉には力があって、いつも心を動かされた。

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2010年1月17日 (日)

その笑顔は苺のように

 弁護士の村松謙一さんとのお話が忘れられない。村松さんは、大切な娘さんを若くして亡くしてしまって、その写真をいつもペンダントに入れて持ち歩いている。
 自分の最愛の人を守りきることができなかった。その後悔と悲しみが、村松さんの仕事への情熱を支えていた。
 経営していた会社が破綻する。そのために、自ら死を選んでしまう人たちがいる。村松さんは、人生の危機に瀕している人たちに手を差し伸べる。会社を再建し、人生を立て直す方法はある。何よりも、自分自身のかけがえのない命をつないでいくことが大切。村松さんのそのようなメッセージには、何とも言えない力強さと温かさがあった。
 スタジオでお目にかかって、お話をして、村松さんのお人柄に心を動かされた。番組が放送されると、多くの人が、村松さんの思いに感染した。テレビには、そのような力があるのだと知った。
 放送されて一年くらい経った頃だろうか。村松さんと、偶然にお目にかかった。都内のホテルのロビー。村松さんが、打ち合わせをされていたのである。
 「ああ、茂木さん!」
 「村松さん!」
 不意打ちでお目にかかった村松さんは、スタジオでお話ししたその人と全く同じような温かさに満ちていた。その笑顔は苺のように愛らしく、そして素敵だった。
 何も変わることのない村松さんの温かさに触れることで、私の中で何かが満たされた。

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2010年1月16日 (土)

そのような詳細を知らないままに

 木村秋則さんとは、番組の収録が終わった後も、何回か会っている。会う度に、そのお人柄に惹きつけられる。
 どんな人にも意外な側面があるものと思うが、木村さんにも、収録の時には知らない側面があった。それは、木村さんがメカやコンピュータに強いということである。
 青森の自宅で、オートバイのエンジンを改良して機能を上げたり、自分でコンピュータを組み立てたりしていたという。何でも自分でやる。そのような創意工夫の人なのである。
 木村さんは、りんごの無農薬、無肥料での栽培という偉業をなしとげて世に知られたが、何をやっても大成した人なのではないかと思う。エンジンを改良したり、コンピュータを組み立てたりするということは、つまりは「システム」としての思考ができるということ。
 徹底的に考え、さまざまな要素に思いを巡らせる。そのような木村さんの志向性がなければ、無農薬、無肥料でのりんごの栽培は成功しなかったろう。
 不思議なことは、木村さんの人生のそのような詳細を知らないままに、スタジオでは木村さんのエッセンスが伝わってきたこと。人生が濃縮されて、こちらに感染してくる。『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオには、そんな力があった。

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2010年1月15日 (金)

心に残る「逆境」

『プロフェッショナル 仕事の流儀』のゲストに共通していたのは、「逆境」である。「逆境」が人を育てる。しばしば言われることだが、そのことの意味を、『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録の現場で教えていただいたように思う。

 今でも心に残る「逆境」の一つが、無農薬、無肥料でのりんご栽培に成功した木村秋則さんの経験された逆境である。柴田さんが撮影してきた木村さんの生涯を描いたVTRを打ち合わせで見て、言葉を失った。

 一つのことに打ち込むと、当然その時々の世の中の流れに反することもある。それでも、前に進むという強さを持たない限り、達成できないこともある。

 死に瀕するところまでいかないと、世界というものはその「真実」を教えてくれないものなのだろうか。木村さんの生き方は、私の魂を深く震撼させた。

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2010年1月14日 (木)

構内をぐるぐると

 番組が始まって以来、いろいろな方に声をかけていただくようになった。
 困ったこともたくさんある。たとえば、駅などで本が読みにくくなった。私は「本の虫」で、いつでもどこでも暇があれば本を読み出す。
 駅で電車を待っている時などは、本を読む絶好の機会。
 ある時、東京駅の地下の改札で、柱によりかかって本を読んでいたら、次から次へと声をかけていただいた。ありがたいことだと思ったが、何しろページが先に進まない。仕方がないので、構内をぐるぐると歩き回った。
 番組が始まってすぐの頃は、しばしば間違えられた。前番組の印象が強かったらしく、『プロジェクトXをいつも見ています!』と言われたりした。『トップ・ランナー見ていますよ!』と言われたこともあった。民放の番組と混同されることもあり、『情熱大陸見てますよ!」と言われることもあった。
 まいった、と思ったのは、『ガイアの夜明け見ています!』と言われた時。『ガイアの夜明け』は、『プロフェッショナル 仕事の流儀』と同じ曜日の同じ時間帯に放送されている「裏番組」なのである。
 番組の名前が定着してからは、そのように名前を間違えられることも少なくなっていった。

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2010年1月13日 (水)

フルーツを持ち帰ってくるような

 ゲストへの質問は、あらかじめ取材したディレクター、デスク、それに有吉伸人さんが相談して決めているものもある。その一方で、私は住吉美紀さんが話しているうちに思いついて、その場で聞くこともある。
 雑誌や本などの対談を私はたくさんやってきたけれども、テレビのインタビューには、これらの活字メディアとは異なる難しさと、面白さがあった。
 新聞のように文字数が限られている場合は別だけれども、雑誌や本では、基本的に発言した内容はすべて掲載される。だから、話が一連の流れの中で組み立てやすいし、いろいろと細々としたことについての対話も積み重ねることができる。さまざまな種類の樹が生い茂った森のような姿をいかつくりあげるか。そのような気持ちで、話をしていけばよい。
 一方、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のような地上波テレビの番組では、放送時間に制約がある。
 放送で使えるのは、本当に短いやりとり。そこに、きらりと光る珠玉の言葉があればよい。しかし、人間の生理というものは不思議なもの。いきなりすばらしい言葉を吐いてくださいと言っても、そういうわけにはいかない。結局は、積み上げて、言葉が往還し、心が動き、響き合って初めて会話の流れが出来上がっていく。
 本当は、雑誌の記事や、一冊の本ができるくらいのやりとりをしている。その中で、ほんの少しの言葉のやりとりを、最終的には編集して、放送する。ちょうど、様々な木の生える森を歩き、見つけたフルーツを持ち帰ってくるような。そんな贅沢なプロセスで、スタジオのトークは編集され、放送されていった。

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2010年1月12日 (火)

真実の瞬間

ゲストとの対話が深まってくると、何とも言えない世界へと入り込んでいくことがあった。まさに「ゾーン」というべきか。テレビ番組の収録をしているという感覚すらなくなる。ただ、私と住吉美紀さん、そしてゲストの方が、画面の中で向き合って、言葉を交わす。下手をすれば、「私」と「他者」という関係性さえもが見えなくなる。ただ、すべてが渾然一体となって、溶け合う。
 魂と魂そのものが触れあうような「真実の瞬間」。そんな不思議な感触に心がふるえたことが、何度もあった。
 ゲストとしていらして下さった羽生善治さんが、将棋の世界に入り込んでいった時に、「将棋の神さまのすぐ近くまでいけるような気がする」というようなことをおっしゃったことがあった。もし、「対話の神さま」というものがいらっしゃるとすると、そのすぐ近くまで行ったような瞬間が、私と住吉美紀さんにはあったのである。

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2010年1月11日 (月)

ゲストの方の人生を推し測ろうと

 ゲストの方が座り、照明などの調整が終わると、まずは「1V」が流れる。さっちんが、ゲストの横に歩み寄り、「これからVTRが流れます。Vが終わる頃になると、モニターがするすると後ろに下がって行きますから、そうしたら収録が始まるという合図です。」と説明する。
 さっちんの説明が終わると、VTRが流れ始める。私と住吉美紀さんは、打ち合わせの時にすでに一回見ているけれども、改めてスタジオで見る。現場でゲストの方と一緒に見ることで、新たな臨場感や、感慨が込み上げるのである。
 何しろ、このVTRを作るために、ディレクターは1月も2月も、時には半年間も現場に張り付いてきた。取材テープが百数十本になることも珍しくない。それを一通り「ラッシュ」として見るだけでも、大変だ。ゲストの方も、いろいろな思いがあるはず。何しろ、朝から晩までカメラ・クルーがはりつくという慣れない生活に耐えていただいたのだ。そして、スタジオで初めて、自分の人生の一断面がどのように取材され、編集されているのかを見る。重く、価値のある瞬間である。
 膨大な取材テープの中から、どのような素材の「取捨選択」が行われたか。それを知るのは、基本的には担当のディレクターのと、ゲストの方のみ。私や住吉美紀さんは、結果として編集されたVTRを見るしかない。そのVTRから、編集の中で消えていった部分を含めて、ゲストの方の人生を推し測ろうと毎回一生懸命に見ていた。
 そうして、VTRが終わると、さっちんが言っていたように本当にするするすとモニターが下がっていく。カメラが動き出す。さっちんが、キューを出すと、住吉美紀さんが「***さんにスタジオに起こしいただきました。よろしくお願いいたします」「よろしくお願いいたします」「よろしくお願いいたします」と挨拶を交わして、いきなり最初の質問へと入っていくのである。
 このように、私と住吉美紀さん、そしてゲストの間では、打ち合わせや段取りの説明などの会話は最小限、ないしは全く交わされないようになっている。このような収録上の設いが、番組のスタジオ部分の独特の緊張感へとつながっていった。

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2010年1月10日 (日)

収録哲学

人間の表情というものは正直なもので、初対面だと、やはり新鮮さや緊張感が違うから、それが画面に表れる。最初は、収録というのはそういうものか、と思っていたが、回数を重ねるにつれて、スタジオで初対面ですぐに収録に入るというのが、有吉伸人さんを始めプロフェッショナル班の人たちが長年の経験から編みだした、一つの「収録哲学」だということがわかっていった。
 ゲストの方が席に座ると、改めてゲストの方に当てられている照明を調整したり、ゲストを小津安二郎のような「ローアングル」から狙っている「5カメ」(第5カメラ)のフレームを調整したりする。床に置かれた「5カメ」は、とても重要な存在で、番組の最後に「プロフェッショナルとは」と伺う時に、このカメラがゲストの表情をとらえるのである。
 収録は、放送時と同じ順番でVTRを流して、その間にゲストとのトークをするという形で進んでいく。この全ての進行に、だいたい4時間くらいを要していた。
 『プロフェッショナル 仕事の流儀』のVTRは、3つに分かれる。一番最初のVTR(「1V」は、ゲストの人となり、仕事ぶりを紹介するもの。二番目のVTR(「2V」)は、ゲストの生い立ちや、逆境時代を振り返る。そうして、三番目のVTR(「3V」)は、ゲストがこれから取り組もうとしている新たな仕事上の挑戦や、後進を育てようとする試みを描き出す。

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2010年1月 9日 (土)

エルエスします

 スタジオ・セットだけではない。『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録の現場は、私や住吉美紀さん、それにゲストの方がいかに気持ちよく、そして深く入り込んで話をできるかという配慮に満ちていた。
 たとえば、ゲストの方とは事前に打ち合わせは一切しない。私と住吉美紀さんだけがV字テーブルに座り、リハーサルをする。山口佐知子さん(さっちん)が「エルエスします」と言う。未だに、「エルエス」というのが何のかよくわかっていなくて、おそらく「LS」のことであり、「ライト・セッティング」の略号なのではないかと思うが、きちんと聞いたことがない。いずれにせよ、山口さんが「エルエスをします」というと、照明の調整が始まる。
 照明の調整をしている間、ゲストの席には山口佐知子さんや、同じフロア・ディレクターの宮崎さんが座る。宮崎さんの前は、小寺さん(こでりん)が座って、照明の調整を行っていた。厳密に言えば、肌の明るさや化粧の仕方など、ゲストとは微妙に光学特性が異なるはずなのであるが、そのようにしてあらかじめ大枠の調整をしておくのである。
 それから、ゲストの方が入っていらっしゃる。「○○さん入られます」と声がかかると、私と住吉美紀さんはV字テーブルのところで立ち上がってゲストをお迎えする。そうやって、ゲストの方がV字テーブルの所までいらして、「初めまして」「よろしくお願いします」と言葉を交わすのが、本当の初対面。それまでは、なるべく鉢合わせをしないようにする。控え室にいらしたことがわかっていても、なるべくその近くには行かないようにして、お目にかかるのを避けていた。

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2010年1月 8日 (金)

V字型テーブル

 V字テーブルは、見た目がスタイリッシュだというだけではない。ゲストとじっくりと対話するには、とても適した作りになっていた。テレビのスタジオによくあるように、ゲストと司会者がひな壇に座ったように横に並ぶ形では、どうしても親近感や密度に欠ける。V字テーブルで、私と住吉美紀さん、それにゲストが向い合うかたちだからこそ、話が深く潜っていくことができたのではないかと思う。
 小さなことのようだが、V字型テーブルは、いわゆる「カンペ」というものをフロア・ディレクターの山口佐知子さん(さっちん)が出す時にも好都合だった。僕から見ると、ちょうど、ゲストの右横あたりにカンペが出るような形になる。ゲストと話していても、ちょうどゲストの方を見る形になるので、カンペが出ているとばれにくい。これが、ゲストと横並びに座るかたちだと、正面からカンペが出ていることが歴然としてしまって、いろいろ不都合が生じていたろう。とりわけ、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のように、段取り的な発言ではなく、ゲストの人生や仕事の哲学に入り込んだ質問を交わさなければならない番組においては大切なことである。
 スタジオ・セットというものが、放送上どのように見えるかという美術効果の観点からだけでなく、出演者がどのような気分になり、どのような話をするかという内面にまでかかわる。そんなことを、山口高志さんのディレクション、そうして有吉伸人さんの番組作りから教えていただいたように思う。

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2010年1月 7日 (木)

魂の会話

 初めての収録の日、スタジオのセットを見た時の感激は忘れられない。「うわーキレイだなあ!」と思わず叫んだ。
 美術を担当したのは、山口高志さん。有吉さんが、「あいつは天才なんですよ」と褒めちぎる、凄腕の達人だった。スキンヘッドの山口さんは、眼光鋭く、しかしそれでいて目に柔和な光をたたえていて、ひと目見て信頼できる人だなあ、と思った。
 山口さんは、その後、確か福岡放送局に転勤されたのではないかと記憶している。その後渋谷のNHKに戻ってこられたのだと思う。『脳活用法スペシャル』や、『龍馬伝スペシャル』など、特別な収録の時は山口さんが新たにスタジオのデザインをして下さった。山口さんは、ずっと『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオ・セットのデザインにかかわり続けて下さったのである。 
 番組のトレードマークともなった「V字型」テーブル。光は下から当たるようになっていて、有吉さんたちは「モナリザ・ライト」と言っていた。その語源がどこにあるのか、未だに知らない。おそらくは、「モナリザのようにきれいに映る」というような意味なのだろう。
 スタジオ・セットの一番の特徴の一つは、有吉さんたちが「星球」と呼んでいた色とりどりの光だった。ゲストと熱い話を交わしていると、その背後で美しい光が輝いている。この「星球」たちに包まれていると、まるで私と住吉美紀さん、それにゲストの三人だけが、世界から遠く離れて、宇宙空間の中でじっくりと「魂の会話」を交わしているように感じられるのだった。

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2010年1月 6日 (水)

髪の毛はこのままでいいですか?

 話は戻る。リーガロイヤルホテルまで会いに来て下さった細田美和子さん。ふだんの私の自分の髪型ではなく、SUPERSTARSで切ってもらい、朝日新聞社のヘアメイクの人に整えてもらった、例外的に美しいAERAの表紙の私を見て、「会おう」と思って下さったのである。その後、「素の髪型」に戻った私を見て、さぞや裏切られた気持ちになっていたに違いない。
 忘れもしない、星野佳路さんをゲストを迎えての第一回の収録の日。ヘアメイクさんがいらして、私の顔に化粧を施し、それから、髪の毛をきれいに整えて下さった。
 鏡を見て、なんだか別の人になったような気がした。「自分に見えるかな」と心配していたら、細田美和子さんがのぞきこんで、「だいじょうぶ。普段の茂木さんと変わらないですよ」と言ってくださった。
 心細い時だったから、あの時の細田さんのやさしいひと言は今でも忘れられない。
 二度目の収録から、一つだけわがままを許していただいた。ヘアメイクさんにメイクをしていただく時、髪の毛はさわらないで下さい、と頼むようにしたのである。世間から見るといかに奇妙な髪型でも、私としては過去ずっと付き合ってきたスタイル。特に、イギリス留学以来続けてきた、自分で切って、あとは何もしないというやり方には、それなりの「こだわり」があった。(こんなみっともない習慣に、「こだわり」という言葉を使うのもまさにみっともない話であるが)。
 番組に関するすべてのことを最終的に判断するのは、プロデューサーの役割。チーフ・プロデューサーの有吉伸人さんに、「髪の毛はこのままでいいですか?」と聞いたのではないかと記憶する。有吉さんは、腕を組み、しばらく天上を見上げ、やや逡巡し、それから「いいのではないでしょうか」と言ったのではないかと記憶している。
 こうして、私は、自分のありのままの髪型で、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のキャスターをさせていただくことになった。

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2010年1月 5日 (火)

左側も右側も、20カットずつくらい

(2010年1月3日『クレイジーなプロフェッサーへの道』から続く)

 以来、ずっと自分で髪の毛を切ってきた。ところが、AERAの表紙を撮影する少し前だけ、一度だけの例外があった。代官山にあるSUPERSTARSの佐藤民生さんに、髪の毛を切ってもらったのである。
 ある日、佐藤さんからご連絡いただいた。その熱意あふれる内容に、心が動いた。「一度、髪の毛を切りにいらしてください」という。特別な体験が待っているらしい。私は、初めて制服をあつらえてもらう少年のように、清々しい気持ちで代官山の駅の改札を出た。
 プロフェッショナルの放送が始まったのは、2006年1月のこと。佐藤さんのSUPERSTARSを訪れたのは、2005年の春だった。
 SUPERSTARSは、音のインスタレーションなどを
施した最新の美容室。そのような流行の先端を行く美容室どころか、そもそも「床屋」に行くのが、10年ぶりである。緊張している私を、佐藤さんはにこやかに迎えてくださった。
 その時、とてもきれいに切っていただいた髪型が、AERAの表紙の撮影の時にはまだ残っていた。それを、朝日新聞社内でヘアメイクさんがさらに念入りに整えてくださった。だから、AERAの表紙の私は、
ふだんの私からは考えられないほどきれいな髪型で映っている。
 子どもの頃から、くせ毛がコンプレックスだった。小学校の頃、夜お風呂に入って髪の毛を洗う。当然ドライヤーなど使わないから、濡れたまま眠ってしまう。すると、翌朝になって、髪の毛のあちらこちらが春先のつくしのようにぴょんぴょんと立っている。
 高学年になると、さすがにそれではまずいのではないかと思って、洗面所で水をつけて一生懸命直した。それが、うまくいかない。結局、あちらこちらからぴょんぴょん立ったまま、学校に行く。
 休み時間に校庭でハンドベースボールなどをやっているうちに、次第に髪が「こなれてきて」直っていくが、とにかく恥ずかしかった。当時の同級生の女の子たちは、実は陰で笑っていたのではないかと思う。
 大人になって、髪の毛は朝洗えばいいんだという智恵がついた。今でも、夜お風呂に入ったとしても髪の毛は絶対に洗わない。年に一回、親しい友人たちと「おじさん温泉」というものに行くが、その時も夜温泉に入る時は髪の毛は絶対に洗わない。「茂木さん髪の毛洗わないんですか」と聞かれても、「えへへ」と笑ってごまかしている。
 夜は湯船につかるだけで、髪の毛は朝に入ってシャワーを浴びる時に洗うのである。その後は、タオルでふくだけ。ドライヤーなどは、やっぱり面倒くさいから使わない。あとは自然乾燥で放っておくと、今現在の普段の髪型ができる。
 イギリス留学以来、他人に髪を切ってもらったのは後にも先にも代官山のSUPERSTARSの時だけで、あとはずっと自分で切っている。もちろん、プロのようにはうまく行かないが、いつでも切りたい時に切れるから、気楽である。
 床屋に行っていた頃は、髪の毛が伸びてくると、「もうそろそろ行かなくては」と思いながら、面倒だからついつい先延ばしにしてしまって、結果として髪の毛がものすごく長くなってしまっていた。それで、床屋に行くと、「短くしてください」と言うので、長い時と短い時のギャップが凄まじい、という結果になった。
 今では、「もうそろそろ長くなってきたな」と思うと、コンビニの袋とハサミを持ってお風呂場に行く。そうして、鏡に向ってバサバサと切ってしまう。まず右手で頭の左半分から切り始め、次にやはり右手で右半分をやる。後ろ側は直接見ることができないのだけれども、手で触って勘で切ってしまう。だいたい、左側も右側も、20カットずつくらい。所用時間は、5分もない。
 それで、切った髪の毛はコンビニの袋に落として、しばって蓋をして、それはお風呂場の外のゴミ箱に入れる。それから、シャワーでさーっと髪の毛を洗って、一件落着。すっきりさっぱりである。
 よく、取材の時に、「髪の毛は天然なのですか」と聞かれる。パーマをかけていると思っている人がいるらしい。「はい、天然です。そうして、自分で切っています」と言うと、一様に驚く。よほどの変人だと思うらしい。そんな時、グレッグの「クレイジーなプロフェッサーへの道を一歩踏み出したな!」という叫び声がよみがえる。(続く)

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2010年1月 4日 (月)

ベルトの方向

 毎回の収録で、服装を整えて下さっているのはうえだけいこさん。番組のコンセプトに合った出で立ちを毎回考えてくださる。私はなにしろ一年中同じ格好をしているので、私服ではとてもスタジオで耐えられない。うえださんには、いくら感謝してもしきれない。
 収録が始まってすぐに、一つの発見があった。それは、ベルトの仕方である。
 私は、子どもの頃から、ベルトというものは腹の前から右の方に回していくものと思っていた。ベルトを通す時は、自分でお腹を見下ろして、右から左へと通していくものと思っていた。
 ところが、うえださんがあらかじめベルトを通してくれたズボンをはこうとすると、逆方向に通っている。つまりは、自分でお腹を見下ろした時に、左から右へと通してある。
 服装に関しては、何しろ、私は何も考えていないというのが実態だから、きっとうえださんのやり方が正しいに違いないと思った。ベルトの方向というものはプライベートな経験で、いちいちお互いに比べるということはしないから、私のものごころついて以来の「間違い」が発覚するまでに、40年もかかったのである。
 『プロフェッショナル 仕事の流儀』にかかわって学んだことの一つは、ベルトの方向である。
 もう一つ、うえださんに教えていただいたことがあった。ジャケットのボタンをとめていたら、うえださんに「全部とめてはいけません!」といわれた。
 「ジャケットのボタンというものは、一番下はとめないでおくものなのです。」
 「えっ。そうなんですか? いつも?」
 「そうです。いつもそうです。そういうものなんです。」
 この年になるまで、ジャケットのボタンは一番下は開けておくものだとは知らなかった。
 ぼくは、服装について何も知らないままに、生きて来た。『プロフェッショナル』がそのような間違いを直してくれたのである。

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2010年1月 3日 (日)

クレイジーなプロフェッサーへの道

 後でうかがうと、有吉伸人さんたちが私に会いに来たのは、その前の週に私が朝日新聞社の雑誌「AERA」の表紙に登場したことがきっかけだということだった。細田美和子さんが、表紙を見て、この人に会いに行こう、と提案したと聞いている。
 この、「AERA」の表紙で、私は私にしては整った髪型で写っている。これには、ちょっとした理由がある。
 私は、1995年から1997年にかけてイギリスのケンブリッジ大学に留学していた。髪の毛が伸びてきた時、いろいろと迷った。ケンブリッジの街の中で床屋に行くと、誰か知り合いに会いそうで、恥ずかしいなと思った。そこで、ロンドンに行ったついでに髪の毛を切ることにした。
 ケンブリッジからロンドンまでは、電車で1時間余り。ロンドンには時々出ていたから、髪の毛が伸びる度に出ていけばいいんだろう、と思った。
 ロンドンはさすがに首都で、お洒落な店が多い。しかし、ポッシュな店に入るのは恥ずかしかった。だから、できるだけ地味で、かっこいい人はあまり出入りしないような所にしようと思った。
 大英博物館からレスター・スクエアに向かって歩いていく途中で、ちょうど良い店を見つけた。確か、地下に降りて行くところだったと記憶している。おずおずと入っていくと、いかにも人の良さそうなおじさんが二人で迎えてくれた。
 店内は空いていて、私はすぐに案内された。
 聞くと、ギリシャのキプロス島出身の兄弟だと言う。「髪の毛を切ってくれ」というと、ウィンクして席へと案内された。
 それから約1時間。髪の毛を切っている間、ずっとキプロス島の話をしていた。私は行ったことがないのだけれども、とにかくキプロス島の話を聞いた。髪の毛を切っている間、ずっとキプロス島の話をしていた。それで、終わる頃には、どうもヘトヘトになってしまった。
 再び髪の毛が伸びて、次に切る段になった時、はたと考えた。ケンブリッジの中で床屋を見つけるのは面倒臭い。かといって、またあの床屋に行って、キプロス島の話を一時間するのもいやだ。
 それで、思い切って、自分で切ってしまうことにした。下宿の部屋で、ハサミを持って、いよいよ切ってしまおうと鏡に向かった時、何とも言えない罪悪感が込み上げてきたことを覚えている。子どもの頃は、近所で行きつけの床屋があった。終わると、ボンタン飴をくれた。今思うと、鹿児島出身の人だったのだろう。
 自分で髪の毛を切る、ということは、それまでしたことがなかった。当時私は33歳。むちゃくちゃな髪型になるんじゃないかと思ったが、えいやっとルビコン河を渡った。
 そうしたら、何ということはなかった。後ろの方が難しかったが、手で触りながら、勘でなんとかやった。もともともじゃもじゃの髪型である。少々でこぼこがあっても、あまり目立たないのだと気付いた。
 翌日、ケンブリッジ大学生理学研究所内の研究室に行くのがちょっとこわかった。グレッグが、私の髪の毛を見て、「あれ、切ったんだ?」と言った。「うん。自分で切ったんだよ」と言ったら、驚いて、「クレイジーなプロフェッサーへの道を一歩踏み出したな!」と叫んだ。(続く)

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2010年1月 2日 (土)

仕事というものの重み

 私は、小学校の時、「放送委員会」に所属していたことがあった。スタジオでカメラマンをやっていたのである。志願した。カメラを使うことに、とても興味があったのである。
 私が通っていた小学校は、放送について特定の指定を受けていたらしい。機材が充実していた。専用のスタジオがあり、床に据え置く大きなカメラがあった。白黒だったけれども、モニターがついていて、ズームするレバーも大きかった。
 私の役割は、「クラス番組」の収録時にカメラマンをやることだった。一年に一回、学級が番組をつくる。自分たちでプログラムを工夫して、司会者がいて、コントをしたり、歌をうたったりする。その収録の現場に、私はカメラマンとしていた。 
 自分たちのクラスの収録をした時のことが忘れられない。カメラをかまえていたら、シマケイがみんなの列の中からすーっと出てきて、大げさなジェスチャーをして、それから、「えっ、オレ今テレビに映っているの?」と言った。カメラを構えていた私は、思わず吹き出してしまった。
 だけど、とても大きなカメラだったから、画面が揺れることはなかった。
 クラス番組は、昼の給食の時に、教室で皆で見ることになっていた。
 収録からしばらくして、ぼくたちの番組が放送された。シマケイが「えっ、オレ今テレビに映っているの?」と言うシーンも流れた。皆で爆笑した。あんなに笑ったことは、小学校6年間でもそんなにあったわけではない。
 『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録の現場で、時折ふと、放送委員会の時のことを思い出す。カメラをついついじっくり見てしまう。カメラマンの方たちがどんな風に仕事をしているのか、大いに興味がある。
 一度、今はNHK京都支局にいらっしゃる長田正道さんに、渋谷の局内にある喫茶店「マルコア」でカメラの話をうかがったことがあった。その時長田さんが持っているカメラを持たせていただいたが、ずしりと肩に重かった。
 ああ、この重みは、仕事というものの重みだな、と思った。

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2010年1月 1日 (金)

カメラ・リハーサル

 収録のやり方にも、いろいろと新鮮な驚きがあった。たとえば、「カメラ・リハーサル」。私と住吉美紀さんが、V字テーブルに座る。ゲストの方はまだいらしていないので、大抵フロア・ディレクターの山口佐知子さん(さっちん)が代行する。
 この「カメラ・リハーサル」というのを、私はずっと私たち自身がどのようにして身振り手振りをしたらいいか、という練習をするものだと思っていた。ぶっつけ本番ではなくて、あらかじめ一通り段取りを押さえておかなければならない、ずいぶん丁寧にやるものだな、と思った。
 それが、あれは10回目くらいの収録だったろうか、突然「ひょっとして、これは、カメラの人たちのリハーサルなのではないだろうか?」と気付いた。ゲストが仕事道具を持ってくる。それを、V字テーブルの横から、上へとぽんと置く。その様子を、カメラの人は追わなければならない。あらかじめ、どのような絵を撮るのか押さえておかないと、本番はやり直しが利かないから困ってしまう。
 私と住吉美紀さん、それにゲストの方とのやりとりも、どのようなアングルからどのように撮るのか。あらかじめ把握して置いて、副調整室と合意しておかなければ本番で困る。
 いろいろ考えると、どうやら、「カメラ・リハーサル」というのは、出演者のリハーサルではなく、カメラのアクションのリハーサルらしい。逆に言えば、カメラの動きというのは、それくらい自由度が高く、その操作に気を使わなければならない。そんなことに、収録10回目くらいにして、ようやく気付いたのである。

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