涙の収録
がん看護の専門看護師の田村恵子さんが
ゲストでいらっしゃる。
現代の医学では、もはや手の施しようが
ないと診断された人々。
その残された日々を過ごすホスピスにおける
看護を担当するのが、田村恵子さんの
役割。
冒頭、患者さんたちが満開の桜の花を
楽しむシーンが出てくる。
生きることの本質とは、何なのだろう。
人間は誰でも限りある命なのだけれども、
私たちはそれを直視することなく
生きている。
担当したのは、座間味圭子ディレクター。
忙しいと、ずっと編集室にいて、
シャワーを浴びる暇もない。
ファブリーズを使うので、
「ファブリーズ座間味」と言われる
座間味さん。
その入魂のVTRは、打ち合わせの時から
住吉美紀さんや山口佐知子さんの
涙を誘っていた。
座間味圭子さん
収録の間、時折住吉美紀さんの
方を見ると、住吉さんの目が赤くなっている。
ゲストの田村さんも涙ぐんでいる。
「現場では一生懸命だからだいじょうぶだけど、
こうやって現場を離れて改めて見ると、
もうダメです。」
と田村さん。
プロフェッショナル史上記憶に残る
「涙の収録」となった。
どんな人でも、自分の命が限りあるという
認識から出発して、やがてその運命を
受け入れ、前向きに生きることが
できるようになると田村さん。
アメリカの研究では、
患者さんの不安は、診断が出る直前に
最大になるのだという。
足のつかない深みの中で
もがいていると苦しい。
底がここにあると覚悟が
決まってしまえば、
足を踏ん張り、立つことができる。
人間の命というものは、もともと、
限られたもの。
私たち現代人は、そのような「真実」
から目を逸らして生きている。
田村さんのお仕事のVTRを見ていて
あふれる涙は、悲しみの涙ではなく、
人が生きるということの「真実」
に触れた感動の涙なのであろう。
娘の結婚式を前に、残された日々が
限られていると診断された父。
結婚式まではとても持たないという
医学的な判断。
娘の花嫁姿をせめてひと目見たいという
父の願いを叶えるためには、
結婚式前に記念撮影をしなければならない。
しかし、そのことを告げることは、
本人に自分の病の深刻さを伝える
ことになってしまう。
家族たちはなかなか言い出すことができず、
田村さんが伝える。
何かを悟ったような父の表情。
「がんばりますわ」と一言もらす。
やがて、父親の病室のドアの前で、
花嫁衣装を整える娘の姿があった。
病院に附属しているチャペルで、
父と記念撮影をする。
その二日後、父は還らぬ人となった。
田村恵子さんが出演される
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
は、2008年6月24日(火)放送予定です。
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コメント
茂木さん
おはようございます。
がん看護の専門看護師
その様なお仕事が
在ることも 知らず
知りもせず。
過ごしてきました。
たぶん
24日の放送を見て
人の命の重さを
感じると思います。
でも 自分の命の重みには
なかなか
気付かないものですよね。
命って
いつ途切れるか分からない。
そんな恐怖に
ビクビクしながらでは
生きて 行けない。
必ず訪れる死を
人って
感じないように
出来てるのでしょうか?
投稿: etu | 2008年6月20日 (金) 09時56分
「死を経験しなければ、永遠の命は得られない」
と、福音にあります。
死は、
恐れるものでも、悲しむものでもなく、
従容として、受け入れるべきものなのかも
知れませんね。
死を経験された方に
永遠の命が授かることを
心から祈って止みません。
投稿: 亀井隆行 | 2008年6月20日 (金) 10時36分
以前TVで、末期癌と戦いながら、ステージに最後まで立ち、歌い続けた女性ジャズシンガーの特集を見た。
余命1年と宣告された限りある命を、最後まで燃やし続けた彼女の姿に、深く胸を打たれた。
ホスピスで残された人生を送る末期癌の方々を、その最期まで見守り、支え続けておられるという田村さん。
掛け替えのない命を、その最期まで支える仕事の大切さ、大変さを、今度の放送をみながら、噛み締めたいと思う。
投稿: 銀鏡反応 | 2008年6月20日 (金) 18時21分
田村さんの番組があるときき、ふらっと検索してみたところ、ここにたどり着きました。私もホスピス(緩和ケア病棟)で働くナースです。人の最期を一緒に過ごし支えることが、こんなに自分自身を成長させてくれるとは…1年前に配属されるまで考えもしませんでした。でもそのぶん、自分自身がボロボロになりつつあり、続けていけるか…不安のど真ん中にいます。いろいろマスコミで医療事故など取り上げていますが、見えないところでがんばっている私たちの思いが届いたら嬉しいです。
明日は夜勤明け、必ず観ます。
投稿: よしこ | 2008年6月23日 (月) 17時32分
人間は、明日訪れるかもしれない死、あるいは限りある生を意識することで、一日一日が貴重になり、その一日一日を大切に生きていこうと考えることができるようになると感じます。
もちろん、死を恐れるのは誰でもそうです。しかし、逆に死というものをさけることで人は生の尊さを忘れ、生きる力を失ってしまうのではないかと思います。
投稿: hashikei | 2008年6月24日 (火) 21時14分
プロフェッショナル史上記録に残る「涙の収録」となった・・・と書かれた今回の放送、開始直後から次回予告が始まるまで、ずっと涙しながら拝見しました。
もちろん、悲しみの涙ではなく、感動(そんな簡単な言葉では言い表せませんが)の涙です。人生を生き抜く人の最期のパワー、それを支える、パワーを引き出す田村さんのパワー、きっとそんな人が持つパワーに感動したのだと思います。
茂木さんは番組の中で田村さんに、人はどうしてそんなに強くなれるのか?と尋ねられましたね。考えてみれば、私たちは何気なく毎日を生きているようですが、生きるということはやっぱりエネルギーのいることですよね。人はエネルギーをため込んでいるんですよ。最期を迎えるとき、その生きるエネルギーを引き受けてくれる人が周りにいることがわかれば全身全霊をかけてそのエネルギーを伝えようとして「パワー」が出てくるのではないかと、番組を観ながら感じました。自分が生きてきた意味を確認するかのように生き抜く患者さんの話を伺いそんなことを考えました。どうでしょう?
田村さんが係わる患者さん方は、「エネルギーを引き受けてくれる人」が自分の周りにいることを田村さんやホスピスのスタッフによって気づかされている、気づくきっかけをもらっているのではないでしょうか?そして、田村さんも患者さんからエネルギーを伝えられ、そのエネルギーを糧にまた次の患者さんに向かっていかれましたね。
とにかく、生きることを考えさせられましたし、心に残る番組でした。
投稿: こてつママ | 2008年6月24日 (火) 23時21分
茂木さんも言っていた、真実からの涙。
ボクもナガタさんの話で、涙を流してました。
人生を長い目で見るのか、
一瞬一瞬の出来事で判断するのか。
ボクにとって「命」は、切ないです。
投稿: クダカ | 2008年6月24日 (火) 23時51分
こんばんは。
先ほど、田村さんの番組をみました。感動いたしました。それと同時に自分でいうのは変ですが、田村さんと同じような気持ちを持って仕事にあたっている自分に嬉しく思いました。
私は、広島県にあります介護老人保健施設にリハビリ助手として勤務しております。私の勤めている施設は、一般棟と認知症棟の2つに分かれています。約140人もの入所者がいます。お年寄りの平均年齢は、86歳を超えています。
施設に入ってわかったのは、介護施設は社会復帰をさせるのが役目ですが、それは無理だということ。リハビリをしても亡くなられる。それよりも、一人一人の生きて来られた人生の話を聴いてあげて、手や足をさすってあげると大変喜んでくださるということです。
2年前、(財)メンタルケア協会http://www.mental-care.jp/が認定する精神対話士の資格を取りました。そして、ひきこもりの中学生のメンタルケアに協会から派遣されていったり、昨年夏には、石川県輪島で地震が昨年3月にありましたが、震災児のこころのケアとして『夢対話』に参加したりしました。
私が精神対話士になるきっかけとなったのも施設におられたあるおばあちゃんとの対話が一つのきっかけでした。その方もがんでした。私と対話して約一週間後に亡くなられました。
http://keichan-diary.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_a4a3.html
田村さんがテレビでお話しくださった通りだと感じました。
私が勤める施設の苑長先生が教えてくださった話です。
患者の「患」という字は心に串がささっている。その串を抜くことが大切なのだと。
苑長先生もがんで奥様を昨年11月に亡くし、その4年前は息子さんをがんで亡くしておられます。先生は、元国立病院院長をされた方です。今は先生に寄り添い心のケアにつとめています。
田村さんのように、弱った患者さんや家族や遺族の人達に寄り添い心のケアをしてくださる看護師が増えてくれることを願います。
投稿: けいちゃん | 2008年6月25日 (水) 00時58分
こんばんは。
先ほど、田村さんの番組をみました。感動いたしました。それと同時に自分でいうのは変ですが、田村さんと同じような気持ちを持って仕事にあたっている自分に嬉しく思いました。
私は、広島県にあります介護老人保健施設にリハビリ助手として勤務しております。私の勤めている施設は、一般棟と認知症棟の2つに分かれています。約140人もの入所者がいます。お年寄りの平均年齢は、86歳を超えています。
施設に入ってわかったのは、介護施設は社会復帰をさせるのが役目ですが、それは無理だということ。リハビリをしても亡くなられる。それよりも、一人一人の生きて来られた人生の話を聴いてあげて、手や足をさすってあげると大変喜んでくださるということです。
2年前、(財)メンタルケア協会http://www.mental-care.jp/が認定する精神対話士の資格を取りました。そして、ひきこもりの中学生のメンタルケアに協会から派遣されていったり、昨年夏には、石川県輪島で地震が昨年3月にありましたが、震災児のこころのケアとして『夢対話』に参加したりしました。
私が精神対話士になるきっかけとなったのも施設におられたあるおばあちゃんとの対話が一つのきっかけでした。その方もがんでした。私と対話して約一週間後に亡くなられました。
http://keichan-diary.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_a4a3.html
田村さんがテレビでお話しくださった通りだと感じました。
私が勤める施設の苑長先生が教えてくださった話です。
患者の「患」という字は心に串がささっている。その串を抜くことが大切なのだと。
苑長先生もがんで奥様を昨年11月に亡くし、その4年前は息子さんをがんで亡くしておられます。先生は、元国立病院院長をされた方です。今は先生に寄り添い心のケアにつとめています。
田村さんのように、弱った患者さんや家族や遺族の人達に寄り添い心のケアをしてくださる看護師が増えてくれることを願います。
投稿: けいちゃん | 2008年6月25日 (水) 00時59分
今日見ました、すごく良かったです。
ただひたすら信じてきた、最後はやっぱり「人」だったってこと、間違っていませんでした。
モノでもなく、思い出でもなく、今ある人たちの「力」を感じ取れるとき、人は一番強くなるんですよね、
今を生きるってこと、経験できるのはいつだろう。
投稿: Sonoko | 2008年6月25日 (水) 01時07分
真剣に生きなければいけない。
と、思いました。
自分の命が終わるその日まで。
投稿: nori | 2008年6月25日 (水) 10時28分
昨日のプロフェッショナル仕事の流儀… すごかったです
リアルとしか 言い様のない世界での お仕事 番組を見終わった後 自分を 見つめ直しました。
早くに 両親を ガンで亡くしているので 残されてしまう気持ちや 死ぬと分かっているのに 直るよ!と 嘘を突き通さなければいけなかったあの時…
僕は やはり 死んでいった両親は 可愛そうだったと思います 自分が 小学生の時母を亡くし 高校の時父を亡くしました 辛かったです 悲しいより 辛かった。
何より 衰えていく 両親を見て 涙を流さずにいることが
もっと いろいろ 書き込みたいですが 長くなるので やめときます
昨日の プロフェッショナル仕事の流儀も あの 短い時間じゃ 足りないぐらいの 言葉や伝えないといけないことが あったんだろうなぁ
投稿: おがわ | 2008年6月25日 (水) 16時05分
田村さんのプロフェッショナル、保存して繰り返し見ています。すべての医療関係者の方にみてもらいたいテーマだと思います。
淀キリの緩和ケアは地元の人間の間でも有名な施設です。淀キリのように緩和ケアに力をいれる病院が増えていけばいいなと思います。そして田村さんのように、患者と家族の気持ちをすばやくわかってくれる看護師さんが増えていくことを心から望みます。
私の家族も癌なので、花嫁のお父さんそしてご家族の気持ちがとても痛いほど伝わりました。
本当に涙がとまりませんでした。
投稿: こんこん | 2008年6月25日 (水) 20時30分
母が子宮がんでなくなってはや10年。最後の最後まで自分が死ぬということは知らずして逝きました。今回の番組を拝見させていただき、母もこのようなホスピスで田村さんのような方と過ごせたら・・また違った最後を迎えられたのでしょうか。そう思うと、涙がとまりませんでした。そのときその時の家族の判断は私は正しかったと、今でも信じてますが、最後までモルヒネで眠り続けるような最後を看取るしかなかったことを少し後悔しました。
今回の番組で、自分の最後のことを深く考えるようになりました。大変すばらしい田村さんの心と姿に感動しました。
投稿: さよこ | 2008年6月26日 (木) 11時53分
プロフェッショナル拝見しました。
涙を流しながら見ました。
最高の瞬間の連続が人生なんだなと思います。
外見とか見栄とか立場とか長さじゃない、
もっと輝くものが見えた様な気がしました。
私は、おばあちゃんとおじいちゃんが大好きでした。
祖父母が老人ホームに入ってしまってから、亡くなるまでの間は中々会う事は出来ませんでしたが、
それまで楽しく過ごせた人生は、私の子供にも引き継がれる事でしょう。
そうそう、看護士の田村さんが、
私が以前働いていた職場で、とても良くしてくれた先輩の女性に雰囲気が似ていて、
それも感謝の気持ちが重なって、
涙が止まりませんでした。
良い時を過ごせたと、どんな状況でも一瞬だけ思える時があれば、それだけで生物は生きて行けると思いました。
投稿: motoko | 2008年6月27日 (金) 22時55分
番組、拝見しました。
涙が止まりませんでした。
そして私は欲とか嫉妬とか…それだけじゃないけど
とにかく何てつまらないことに
こだわって、生きているのだろうと思いました。
生があるだけで幸せなんだから
投稿: maki | 2008年7月 1日 (火) 16時20分
自然に生きる生きもの達、それぞれがその役割を果たしながら生きてますね。
私たち人間も一個の生命体ですから、例えそれがなんであれ『命いっぱいに生きること』、それが使命だと勝手に思ってます。
プロジェリア(早老病)のアシュリーちゃん、障害者と言われる方、社会的には可愛そう、或いは過少評価となるかも知れません。
私も可愛そうと思う気持ちはありますが、それより感謝の気持ちが大きいですね。
先月(八月)、とある収録の待ち合わせ駅近く、炎天下の中で物乞をするお婆さんが居ました、若さを売る事も何も術が無いのかと、正直貧乏人な私、通り過ぎてからやはり気になって戻って百円だけ置いて来ました。
そして“有難う御座居ます”と。
急いで居たので言う暇もありませんでしたが、お礼を言いたいのは私の方でした、例えそれがなんであれ命いっぱいに生きること、つまり必死に生きる事を改めて教えられた瞬間です。
翌々日、お礼を言おうとに探しに行きましたが居ませんでした。
教え、聖典や教典より、目の前の現実にある生の教えの方が重要に思います。
茂木さんの言うファブリーズに纏わる事、病気の事、看護師さんの事、人間関係からも自然からも何からでも学べますね。
投稿: タナトス | 2008年9月12日 (金) 23時27分
人間は、誰でも、ホスピスにいるようなものです。
死ぬということぐらい確かなことはありません。
どう生きればよいのか、その答えも皆が知っているように思えます。
でも、何故かそうできない。
何故でしょう?
どうすれば、そうできるようになれるでしょうか?
また、人に、どう伝えればよいのでしょう?
投稿: 浜ちゃん | 2009年2月 4日 (水) 12時43分