生きているという実感
2007年9月13日(木)の
収録は、C02やメタンなどの温室効果ガスの
排出権ビジネスに取り組む
吉高まりさん。
吉高さんは、途上国において、
温室効果ガスの排出削減につながる
技術の導入、事業を開拓し、
その結果生じる「排出権」
が現地に経済的な見返りをもたらす
ために仲立ちをする。
吉高さんは、金融関係で働く中、
世の中のお金が必ずしも良い目的の
ために使われないことを実感する。
そんな中、環境経済学に出会い、
温室効果などの外部性を内部化する
仕組みに着目する。
人々の善意に頼りがちだった環境保護。
経済のはたらきそのものを用いて
環境を良くするという新しい可能性が、
「排出権」などの環境金融ビジネスに
よって生まれている。
吉高さんは、環境経済学における
「排出権」という概念が、
現実の世界の中で機能し、
実際にお金を生み出すということを
「実感」したかったのだという。
「実感」するということを指標に、
まだ誰も取り組んだことのない
領域にチャレンジする。
そのような吉高さんの姿勢は
実に自然体であった。
「他の人がやったことを後追いしても、
自分が生きているという実感はわかない。
誰もやったことがないことに挑戦している
時に、初めて、自分が生きているという
実感を持つことができる」
と吉高さん。
吉高さんは、「やさしい道と
難しい道があったら、難しい道を
選ぶ」と言う。
同じことを、かのアルベルト・アインシュタイン
も言っている。
吉高さんは、普通の金融の会社で働く中
環境の仕事に出会い、
そこで、「実感」をもとに
前人未踏の領域を切り開く自分の
能力を開花させた。
誰の脳の中にも、本人すら気づいていない
能力が潜んでいる。
それは、何かのきっかけが
与えられれば開花する。
吉高さんが、環境金融ビジネス
に出会って、大きく飛躍したように。
吉高まりさんが出演される
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
は2007年10月2日(火)放送予定。
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コメント
「誰もやったことのない領域に挑む時にはじめて生きているという実感を持つ事が出来る」
まったくその通りだと思う。
「やさしいこと」だけやっていたり、「他人がすでにやったこと」を後追いしているだけの生きかたでは、自分自身がそのうち「生ける屍」のようになってしまう。“わたしは、いま、ここにこうして生きているんだ!”という瑞々しい実感を如何せん、掴めないからだ。
「誰もやらない事」「むずかしいこと」に挑んではじめて身体のシンから蘇るような実感を得ることができ、生きる実感が沸いてくるのだ。
投稿: 銀鏡反応 | 2007年9月15日 (土) 05時40分
なぜ難しいことをやることが生きることを実感するのか。
人間は生きているという実感が起こるのはやはり死を意識したときではないだろうか。そこに通底するのではないかという気がする。
たしか三島由紀夫もどこかのインタビューで、今平和な時代よりも戦中のほうが生きているという実感があったと言ったような覚えがある。
相対する感覚を意識することで片方の感覚の感じ方を増幅するとでもいえようか。
困難で自分を失うかもしれないという恐れと、人間としての死は本能的には同じところで繋がっており、だからこそ、困難を選ぶことが生きることの実感につながるのではないか。
投稿: イワン | 2007年10月14日 (日) 14時26分