2012年12月30日 (日)

魂の凛とした美しさ。 『プロフェッショナル 仕事の流儀』イチロースペシャル2012 メジャーリーガーイチロー

『プロフェッショナル 仕事の流儀』イチロースペシャル2012(2012年12月29日放送、NHK総合、http://www.nhk.or.jp/professional/2012/1229/index.html)は、イチローさんの内面の揺れ動き、葛藤、そして決意が静かに伝わってくるような、そんな番組だった。

(以下のレビューには、番組の核心部分に関する情報が含まれています。録画などをして、初見の状態でこれから番組を見たい、という方は、その点、ご留意ください。)

私は、かつて、オリックス時代のイチローさんを西武球場で見たことがある。試合前の練習の時から、そこだけ光り輝いていた。ボールを投げて、狙い澄ましたように背中でキャッチする。その驚異的な身体能力は、「プレイボール」の声がかかるその前から、スタジアムの注目の的であった。

その後、取材でお目にかかったときのイチローさんの印象は、「生きものとして元気な人」というもの。修行僧のような表情、絶妙なバットコントロールは、まるでジャガーのようなしなやかであふれる生命に支えられていると知った。

そのイチローさんが、マリナーズからヤンキーズに移籍した今年。NHKの石原徹也カメラマンを中心とするクルーが密着した240日。時折、堤田健一郎ディレクターが質問するその声が聞こえるインタビューの場面から伝わってきたのは、イチローさんの息遣いであり、思考の「間」であり、そして無意識の美しさであった。

そう、イチローさんの無意識は凛として厳しく、美しい。それが見る者に冬の朝の空気のように伝わってきたのが、今回の番組だったと言えるだろう。

マリナーズの一員としてのキャンプ。球場のライトフェンスにある小さな看板にホームランを狙って、当ててしまう。私が、かつて西武球場で目撃したイチローさんの驚くべき身体能力そのままの、超絶的技術。

一方で、時は流れる。全大リーガーの平均年齢は、28歳だという。40歳を前にして、イチローさんの闘いも、変質せざるを得ない。

「生まれた瞬間から、死ぬということに近づいていくわけですから、当然、みんながそれを抱えている。」

「そうなると、そっちに追い込みたいという人も当然いる。しかし、ぼくはそれに屈するわけにはいかない。」

「この世界は、要らない、と言われたら、もうそれで終わりなので。」

キャンプで、そう答えるイチローさん。その声のトーンが、イチローさんの魂の響きだったと思うし、今回のドキュメントの通奏低音となっていたのだろう。

番組は、11年間プレイしたマリナーズの選手たちと、イチローさんの間に流れ始めたあるひんやりとした空気感を描く。私たちにとっては唐突であり、驚きだったヤンキースへの移籍の伏線となった状況を、丁寧に、淡々と描いていく。

堤田健一郎ディレクターの問いかけに対して、イチローさんは、「まあ、今のチームではむずかしい、ということでしょうね。できれば、同じ環境の中で、価値観を共有できる人間がいて、その中で勝利をつかみとれるチームであることが、ベストだとは思っている」と、移籍への思いを口にするイチローさん。

イチローさんは、押しも押されぬスター選手だが、その闘いは、孤独だ。バッターボックスに立ったら、自分だけが頼り。誰も、助けてくれない。

「とても、こどもに、楽しいから野球選手になってくれ、とは言えないんですよ。」

 ヤンキースへの移籍が発表された日、シアトルでは、マリナーズとヤンキースの試合が組まれていた。

メジャーリーグでは、他のチームへの移籍を表明した選手に、ファンがブーイングを浴びせることも珍しくない、と橋本さとしさんのナレーション。しかし、イチローさんは違った。シアトルのファンたちに、心から愛されていたイチローさん。

イチローさんがヒットを打つたびに、IchiMeterで数えてきたAmy Franzさんとの、感動のハイタッチ。Amy Franzさんが外野席にいる。イチローさんが、思い切りジャンプする。二人の手が触れる。Amy Franzさんは、感激して、涙をぬぐった。

ヤンキースのユニフォームを着て、マリナーズ・スタジアムに姿を現したイチローさん。マリナーズのファンたちは、ついに「その時」が来たことを悟る。

ヤンキースの一員として、初めてセイフィコ・フィールドに立つイチローさん。バッター・ボックスに向かうイチローさんに対して、マリナーズのファンたちは、スタンディング・オベーションを送る。そして、イチローさんがヒットを打つと、大声援。

シアトルでの試合が終わる。慣れ親しんだシアトルのハイウェーを、最後に走るイチローさん。セイフィコ・フィールドの灯りを何度もふり返る。

「さみしいですよね。さみしいですけど、これは前に進むための区切りですからね。時間は進んでいくわけですから。」

そう、時間は進んでいく。闘いの位相は、どんどん変化していく。

イチローさんは、慌ただしくニューヨークに引っ越す。移籍したヤンキースは、優勝を義務づけられた、注目度の高いチーム。これまでとは質の違うプレッシャーが、イチローさんにのしかかる。

ニューヨークの街中を、一人走る。イチローさん。その姿を見て、改めて、アスリートのトレーニングというものは孤独なものなのだ、ということが再認識される。道行く人も、イチローさんとは気づかない。これが、ニューヨーク。これが、世界。アスリートのすべては、その身体の中で起こっている。

イチローさんが、ずっと追い求めている「紙一重」。ひょとすると、その「紙一重」が、イチロー選手自身さえも気づかない、身体の衰えなのかもしれない、とナレーション。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』では、ナレーション(コメント)は、ディレクター自身が書く。堤田健一郎さんが、チーフプロデューサーの久保健一さんと相談しながら書いたであろう、コメントの一つひとつの背後に、膨大な取材の積み重ねがある。かけた思いは、お茶の間にも、きっと伝わるだろう。そう信じて、テレビ人は今日も働いている。

 堤田健一郎さんは、年齢からして、ディレクターとして番組をつくるのは、これが最後になるかもしれない。デスク、そしてチーフプロデューサー(制作統括)と、異なる立場で番組制作にかかわるのは、組織人としての宿命ではある。それでも、入局以来のさまざまな思いが、堤田さんにはあるだろう。

山本隆之さんとともに『プロフェッショナル 仕事の流儀』の制作統括をつとめ、今回のイチローさんのスペシャルの担当だった久保健一さんによれば、堤田さんは、編集が終わった瞬間、すべてをやりきった、とでもいうように放心状態だったという。

堤田さんが、イチローさんに質問する。イチローさんが答える。

「ぼくが想像しているのは、人としての成熟期はもう少し先にあって、その時に選手でいたい、というのが目標というか夢ですよね。」

「だいたいは、身体の元気な時に選手でいて、終わったあとに何かを知る、というパターンが多いと思う。しかし、それはさびしい。できれば選手の時に、それをつかみたい。」

「どうなったら、イチローさんは、それをつかんだ、と思えるのか?」と堤田さんが聞く。

「まったくわからない。だから、こういう思い、そういう覚悟も持てるんでしょうね。」

「まったくわからないから、ありったけでいられるということですか?」と堤田さん。

「そう思います。」

ヤンキースのポストシーズン。球史に残る衝撃のプレー。ヒットで、ホームに走り込んだイチローさんが、タッチアウトにしようとする捕手のグラブを逃れて、巧みに回り込む。審判の判定は、セーフ。忍者であり、魔法使いである。イチローさんの、真骨頂のプレ−。

最後に、イチローさんは、野球の発祥の地とされるクーパータウンにあるダブルデイ・フィールドに立つ。

これからイチローさんは、どこに向かうのか。堤田健一郎さんが発した最後の質問に対して、イチローさんは答えた。

「野球選手としての死が、着実に近づいていく時間になっていく。それをどれくらい元気な状態でいられるのか、というものと闘っていくことになると思うんですけど。笑ってそれを迎えたい。笑って死にたい。」

遠くから聞こえる鐘の音の中、イチロー選手が、ダブルデイ・フィールドを歩いていく。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組の、そしておそらくは日本の放送史に残るであろうドキュメンタリーの幕が閉じた。

撮影は、石原徹也さん、ディレクターは堤田健一郎さん、制作統括は、久保健一さん。編集したのは、小林幸二さん。小林さんは、『プロフェッショナル 仕事の流儀』の第一回の放送、星野佳路さんの回(http://www.nhk.or.jp/professional/2006/0110/index.html)の編集をした方。

石原さん、堤田さん、久保さん、小林さん、スタッフのみなさん、すばらしい番組をありがとうございました。そして、イチローさん、どうか、これからも素晴らしい野球人生を。

2012年12月30日 茂木健一郎

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2012年11月 1日 (木)

プロフェッショナル班の場所が、移転していたこと。

NHKでの収録の合間に、30分くらい間が開いたので、廊下を抜けて、エレベーターに乗り、「10」を押した。 何度、このルートを通ったことだろう。降りて、左に曲がって、その奥に。。。と思ったら、ない。 呆然としていると、「社会情報番組は、****に移転しました」という掲示がある。 10階の、ちょうど反対側の方に、そう書いてあった。いるかな、とのぞいていると、すどちんが一人で机に向かっているのが見えた。 「あっ、すどちん!」 すどちんが、びっくりしてこっちを見ている。 「あれ、茂木さん、どうしているのですか?」 「いや、エル・ムンドなんです。」 「あっ、そうか。タカさん、あっちにいると思いますよ。」 「タカさん、さっき会いました。出るところだって。」 すどちんが指す方向に一緒にいくと、確かにその一角があった。「プロフェッショナル 仕事の流儀」という看板がある。 そしたら、みんないた。宮川さんとか、久保さんとか、末次さんとか。それに、粟田さんまで! 新しい人もいた。お名前聞いたけど、忘れちゃった! (ごめんなさい!) みんなで、写真を撮る。昔の仲間たちが、がんばっている姿を見ると、本当にうれしい。久保さんは、いつの間にかCPになってしまったし。ぼくもがんばる! 粟田さんが、新米をくださった。粟田さん、ありがとう! 時は流れていく。でも、いっしょにいた時間は決して消えない。それは、伏流のように。

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2010年6月10日 (木)

細田美和子さんの送別会

『プロフェッショナル 仕事の流儀』でデスクとして活躍されてきた細田美和子さんが、『クローズアップ現代』のチーフプロデューサーに栄転されるというので、送別会があった。

ぼくも、羽田空港からまっすぐにかけつけた。

みんなの送別のスピーチを聞いていて、細田さんが、いかに慕われ、信頼された人だったかということが改めて身にしみた。

細田さん、本当に、ありがとうございました。

『クローズアップ現代』でも、さらによい番組をつくってください!


細田美和子さん。2009年3月5日


細田美和子さん。2009年2月19日


細田美和子さん。2009年6月25日。


細田美和子さん。2009年6月9日


細田美和子さん。2009年9月22日。


細田美和子さん。2007年11月20日


細田美和子さん。2009年6月25日。

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2010年2月18日 (木)

プロフェッショナル日記 Phase I

プロフェッショナル日記 Phase I

2007.1.31〜2010.2.17.

Now I am soul searching.

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2010年2月17日 (水)

その一連の流れの細部を忘れてしまっているからこそ

 細部は忘れてしまうからこそ、その時の流れがかけがえのないものに感じられるというのは、『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録の現場も同じこと。

 打ち合わせで最初にディレクターの方が撮ってきたVTRを見た時の新鮮な感想。住吉美紀さんのコメントに学んだこと。山口佐知子さんの入館証。有吉伸人さんの方にフリスクの箱を渡すと、さっそく有吉さんが手を伸ばしていたこと。打ち上げで、有吉さんのために専用の鶏の唐揚げを注文すると、「ぼくは食べませんよ」と言いながら結局は平らげていたこと。

 オープニングで、36秒で言わなければならない緊張。「まず練習しますか」と言う住吉美紀さん。山口佐知子さんがストップウォッチを測る。「あー、おしい。38秒」と叫ぶ山口さん。「それじゃあ、プロフェッショナル 仕事の流儀というのを省きますか」という有吉伸人さん。カメラの方々から伝わってくる真剣な表情。インカムを通して聞こえてくる、副調整室の声。ゲストの方の笑顔。

 「以上です」と収録が終わった時の、ほっとした気持ち。思い切り背伸びして、それから、着替える。メイクを落とす。日経BPの渡辺和博さんが待っている。

 その一連の流れの細部を忘れてしまっているからこそ、積み重ねてきた時間が、しみじみと意味があるもののように感じられるのである。

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2010年2月16日 (火)

過去に対する感慨は、記憶の不在に支えられている。

 「編集で落ちる」ということの意味を知った後、さまざまな局面で似たような感覚に到達した。

 たとえば、ブログを書くということ。一日のうちに、さまざまな経験をする。いろいろな人に会う。そんなあれこれを、時系列で書いていけば完全な記録になるのであろうが、そんなわけにもいかない。ブログを書くことができる時間も限られている。素材の取捨選択をしなければならない。

 朝、ブログを書いた後で、ああそうだ、あれも書いていなかった、これも書いていなかったなどと思い出す。その一つひとつが、思い出の中でキラキラと光っている。その残像に形を与えたいとも思うが、さまざまな制約で果たせない。

 そもそも、人間の記憶というものが、大半のことを忘れることでできあがっている。たとえば、小学校の時のことを振り返って、その時間の流れが過ぎ去ってしまったことのかけがえのなさにしみじみと感じるのも、多くのことを忘れてしまっているからである。毎日毎日が、水が跳ねたのに驚く魚のような鮮烈な生命に満ちていたのに、その多くが忘却の彼方に去ってしまったからこそ、私たちはかけがえのなさを感じる。過去に対する感慨は、記憶の不在に支えられている。

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2010年2月15日 (月)

「編集で落ちる」

 ドキュメンタリーの撮影現場では、いろいろなことがあるのだろうと想像する。取材対象となる方と、どのように打ち解けるか。カメラをはじめとする、取材陣の存在にどのように慣れてもらえるか。
 カメラを意識していては、ふだんの仕事ぶりが撮れないだろう。その一方、カメラとのやりとりが面白い効果を生む場合もあるかもしれない。

 取材から帰ってきて、100本以上にのぼる映像の「ラッシュ」を見る。それを、何とかして30分くらいのVTRに編集しなければならない。

 「編集で落ちる」という言葉の重みを知った。どんなに力のある映像でも、意味深い瞬間でも、テレビ番組の「尺」に収まらない部分は、落とさなければならない。その決断は、ディレクターの方々にとって重いものだろうと思う。テープの上の一瞬一瞬は、取材の対象になる方と、ディレクターをはじめとする取材陣の人生が交錯した時間の証言者だからである。

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2010年2月14日 (日)

それで、音だけもう一度撮り直したんです。

ドキュメンタリーのリアリティを作る上では、音声がとても大切だと、有吉さんは言う。極端な話を言えば、映像がなかったとしても、音声がきちんと録れていれば、それでドキュメンタリーは成立するというのである。

脳の領域のうちの、約3分の1は視覚にかかわっているとも言われる。視覚は、意識の中であれこれと把握しやすい。一方、音声は、背景に退きやすい。たとえば、ぼんやりと散歩をしている時に、環境から聞こえてくる音は、必ずしも意識されないだろう。しかし、そこに音があるということが、一つのリアリティを立ち上げる上で大切なことも事実である。

私たちは、どうしても、映像ということを中心にものを考えがちなのだろう。だから、何かを撮影するという時にも、ついつい音声のことを忘れてしまう。しかし、番組作りのプロたちは、決してそのことを忘れない。

ある大学に講演で呼ばれた時に、舞台のそでで学生たちと雑談をした。自分たちでドキュメンタリーを作ったのだという。

「音声が、案外大切でしょう?」

私は聞いた。一人の学生が肯いた。

「そうなんですよ。ぼくたちも、いったん撮り終えて、編集する段階になって、これではダメだと気付いて、それで、音だけもう一度撮り直したんです。」

文字という文化が出来てから、千年以上の時が経つ。その間、私たちの書き言葉の表現は変化し、洗練されてきた。一方、映像や音を撮り、それを編集して一つの世界を表現するという文化が生まれてから、まだ100年ほどしか経っていない。しかも、ノンリニア編集やさまざまなエフェクトなど、技術は進歩し続けている。

ドキュメンタリーをどう撮り、編集し、表現するか。そこにあるさまざまな可能性の全貌を、私たちは未だ把握していないのだろう。

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2010年2月13日 (土)

床屋にいる時というのは、不思議なことに人間はリラックスするもので

『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタッフたちは、皆、ドキュメンタリー作りにかかわっている。

ドキュメンタリーとは何か。どのようにそれを撮るか。番組作りにかかわっていく中で、いろいろな話を聞く機会があった。

ドキュメンタリーの奥は深く、さまざまなノウハウがあり、制作哲学がある。私は、現時点では、その奥深い世界のごく一部分しかのぞき込んでいないのだと思う。

有吉伸人さんには、いろいろな話を聞いた。それらの話は、一つの叡智の体系として、私の中に刻み込まれている。

たとえば、ドキュメンタリーを撮っている最中に、取材対象者が髪の毛を切ってしまうと、うまく映像
がつながらないことがあるのだという。だから、撮影の初日に、床屋に行ってもらうという手法があるのだと有吉さんに聞いた。

「初日に床屋に行って髪の毛を切ってもらえば、その後、取材期間中は髪の毛の長さが基本的に変わらないですから、いいんですよ」と有吉さんは言った。

「それに、取材の最初の方は、どうしても緊張しているから、ぎこちなくなってしまうんです。ところが、床屋にいる時というのは、不思議なことに人間はリラックスするもので、案外打ち解けたインタビューがとれたりするんですよ。それに、絵的にも面白いし。」

なるほどと思った。どんな分野も、たくさんの小さな知恵からできあがっているものである。

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2010年2月12日 (金)

「茂木さん、このごろ白ばかりですね」

 いちいち有吉伸人さんにフリスクを分けるのも面倒なので、ある時期から、二つずつフリスクを買うようになった。そうして、収録の前に、有吉さんに、「ほら、有吉さん!」と一つ手渡すのである。

 買うのは、「第一食堂」の横の薬の売店で、いつもベテランのおじさんがレジに立っていらっしゃる。

 ぼくが来ると、必ずフリスクを二箱買うので、おじさんも覚えていて、にこにこ笑っている。

 ある時、フリスクの置き場所が変化したことがあった。とまどって探していたら、おじさんが、何もいわないうちに、「フリスクならば、あそこですよ」と教えてくれた。

 自分の心の中を見透かされているようで、恥ずかしかった。

 ラーメン屋の前に行列しているのは、何となく恥ずかしい。「あの人、ラーメンが食べたいんだ」と内面の欲望が悟られてしまうからである。薬局のおじさんに、「あの人フリスクが欲しいんだ」とわかられてしまうことも、何となく恥ずかしい。

 毎回、恥ずかしい思いをしながら、薬局でフリスクを買うのである。

 フリスクには白と黒があって、黒の方が強力である。有吉さんもぼくも白を食べていたが、ある時期から黒に移った。

 第一食堂の横の薬局にも、黒が置いてあって、そればかり買っていた。ところがが、ある時全部白になってしまった。

 ぼくはとまどって、仕方がないので白を買って、収録の前に有吉さんに一個あげた。有吉さんは、何となく曖昧な顔をしていた。

 そんなことが何回か続いた後で、有吉さんにいつものようにフリスクを渡すと、有吉さんが、「茂木さん、このごろ白ばかりですね」と寂しそうに言った。

 ぼくは、「最近、薬局に白のフリスクしか置いていないんですよ。」と答えた。

 次の時、薬局のおじさんに、「最近黒のフリスクは置いていないのですか」と聞いた。そうしたら、おじさんは、笑って、「また今度入れておきますよ」と言った。

 それ以来、薬局に行っては見てみるけれども、まだ黒のフリスクは並べられていない。いつか入っているだろうと、それを楽しみに第一食堂の横の薬局のところを歩くのである。

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