2018/10/08

ひさしぶりに

一つエントリーを書いてみました。

テストテスト。

LINE BLOGに移った私ですが、「クオリア日記」というと、やっぱりこちら、というイメージもあります。

10月 8, 2018 at 10:08 午前 |

2015/11/06

東京藝大物語の人気エピソード(ネタバレ注意!)

東京藝大物語の人気エピソードの投票をした結果、次のようになりました。

下のグラフを見ると、小説の内容が一部ネタバレになるかもしれないので、まだ読んでいなくて内容について知らないままでいたい人は、見ないでください!

1位のエピソードが実際に起こったのは、2006年11月6日のことでしたので、この日を記念して、11月6日を、「東京藝大物語」の日、と個人的に決めることにいたしました。


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11月 6, 2015 at 06:33 午前 |

2015/10/20

 愛の仕事。クラウド・ゲート。

 アニッシュ・カプーアの「クラウド・ゲート」は、是非見たいと思っていた。
 しかし、それがあるのが「ミレニアム・パーク」の中だということは聞いていたが、例によって何も調べないでふらふらしているで、どこだかわからない。

 シカゴに到着した日、昼寝をして、夕方走りだした。
 湖はこっちの方だろうと見当をつけて走っていたら、案外早く着いた。
 
 そのまま湖畔を走っていたら、川に出て、川岸を行くと、高架の下に出た。
 シカゴは、空中列車「L」の下もそうだけど、こういう場所が不思議に不安がない。
 高架の下のパーキング・スペースには、着飾った男女がいて、赤い機関車のようなバスに乗ろうとしていた。その先を見ると、黒い高級車が何台か停まっていた。これからパーティーなのだろう。

 そのまま高架から街に出て走っていたら、なんだか面白い公園がある。
 フリークライミングの山がいくつかあって、色とりどりの点が並んでいる。その周りにローラーブレードのコースがある。そこから、くねくねと板張りの橋があるから、こりゃいいやと走っていたら、奇妙なかたちをした劇場が右手に見えてきた。

 「ひょっとしたら、クラウド・ゲートはこのあたりにあるんじゃないか」という気がしてきた。
 それで、そのまま走っていたら、やっぱりあった。
 なんだか、クラウド・ゲートに向かってまっしぐらに走ってきたような、そんな気分になった。
 
 シカゴの人たちは、愛情を込めて「豆」と呼ぶのだそうだ。

 たくさんの人たちが集まっている。鏡面に映る、自分たちの姿、空の風情、ビルの壁面。まさに、もうひとつの世界、クラウドへの門。

 仮想世界に映し出されることで、自分たちのことが、よりよく理解される。

 純粋芸術家として高く評価されるカプーアだが、ああ、これは、「愛の仕事」だなと思った。
 人々を惹きつけて、離さない。自然に人々が、その周りに集まる。

 シカゴ在住のジム・ラウクスと呑んだ時、彼は、クラウド・ゲートは、シカゴの公共空間に過去25年に起こったもっとも素晴らしい変化だと言い切った。

 冬、雪が降ったときのクラウド・ゲートの風情もすばらしく、ジムは、朝、コーヒーを飲んでから、そのありさまを見に出かけることもあるそうだ。

Cloudgate20151019small


10月 20, 2015 at 10:15 午後 |

2015/10/19

ホワイトソックスとカブス。

 ホテルのお兄ちゃんと、シカゴのスポーツ事情について話していた。
 「今度、カブスの試合を観に行くんだ」と言うと、「よく手に入ったね」と目を丸くした。
 「誕生日だから、自分で自分を祝うんだ」と言うと、ハイ・ファイヴで、手を出して来たので、よろこんで合わせた。
 
 「カブスとホワイトソックス、どちらが人気なの?」と聞くと、お兄ちゃんは、「ホワイトソックスの方が強いから、ソックスファンは、にわかも多くて、勝つとソックスが好きだと言うやつが増える。ところが、カブスは、あまり勝たないから、そっちのファンは、ほんものが多いんだ」と言った。
 へえ、と思った。
 ひとりきりの誕生日で、応援に行くシカゴ・カブス。いろいろな思いをのせて、試合を見たいと思う。

10月 19, 2015 at 09:19 午後 |

2015/08/02

 松本ぼんぼん

はっと気づいて外を見ると、もうとっぷりとくれていた。
 塩尻の駅に、近づいていた。目的地は、もうすぐだ。

 「まつもと〜 まつもと〜」

 この声を聞く度に、郷愁を感じる。この地をふるさと呼ぶ人ならば、なおさらのことだろう。
 ホームに降り立ち、階段をあがると、こんな夜に、と思うほど多くの人たちがあふれていた。
 ゆかたを着た女の子が、髪の毛をつばめの尾のようにきれいに流して、男の子といっしょに歩いている。
 幼い兄と、妹と、ちょっと疲れたようなお父さん。
 お母さんがこっちよ、と叫んでいる。
 歩くのが、少したいへんなくらいだった。
 通りすがりの女の子が持っていたうちわに、「松本ぼんぼん」の字が見えた。

 もともとの「ぼんぼん」は、女の子のための祭りなのだそうである。城下から始まった夏の習慣。
 「ぼんぼんとても今日明日ばかり、あさっては山のしおれ草」と言いながら歩く。
 

 タクシーの運転手さんが、目的地がわからない。
 センターに無線で問い合わせようとしても、「よく聞こえないんですよね」と心もとない。
 なんとはなしに不安なきもちで、すっかり底が黒くなった夜の道を行く。

 あちらこちらが祭りなのか、どこまで行っても提灯が並んでいる。
 ご先祖さまがかえってくる季節だ。

 ふと、時の流れ、ということを考えた。
 もう、すべては、二度と戻ってこない。
 メメント・モリとは、つまり、今が過去になってしまう、ということなのだろう。
 
 時間の流れには、誰も、抗せない。
 権力者も、弱きものも、あの、祭りの女の子も。

 とりかえしは、つかない。

 圧倒的な壁に立ち塞がれ、不安に背中を押されて暗がりを疾走していく。
 
 ずいぶん長い喪失のあとで、ようやく、命そのものの芯に触れたような気がした。

 車はトンネルを抜け、小さな明かりが、大きくなった。

8月 2, 2015 at 11:10 午前 |

2015/04/21

 ナポリの思い出。旗の集団と、骨折した友。「ブロークンレッグ、ポンペイ、ランニング!」

 ナポリは、ぼくにとって、一つの「聖地」だ。 
 忘れられない、大切な思い出があるからだ。

 昨日、夕方の海岸を歩きながら、「あっ、そう、まさにここだった! この景色!」と思い出していた。

 あれは、英国に留学している最中のことだから、もう20年近く前になるのだけど、学会でナポリに来た。日が暮れるころ、海岸を歩いていた。遠くに見えるヴェスヴィオ火山が血のように赤く染まって、何かが起こる、という気配に満ちていた。

 突然、バイクに乗った人たちの奔流が始まった。二人乗り。誰も、ヘルメットなどしていない。旗をパタパタとはためかせながら、ものすごいスピードで走っていく。
 その数、何百台、いや、何千台。いつまで経っても途切れない。

 何かを叫びながら、走っていく。
 一つの意志と情熱を共有した、そんな集団。

 これは、一体何なのだろう。
 この世に、こんな人たちによる、こんな行動が存在するとは、夢にも思わなかった。
 そんな、強烈な、ナポリの初印象。

 学会が始まり、その小旅行で、ポンペイに行った。
 ヴェスヴィオ火山の爆発で全滅したポンペイ。
 興味深く見て、集合場所に帰ってくると、一緒に学会に来ていた田森佳秀(@Poyo_F)が、足を引きずっている。

 「どうしたんだ?」と聞いたら、「いや、ポンペイの遺跡を全部見ようと思って、走っていたら、転んで足をくじいて、あまり痛いので、棒きれを見つけてそれを縛ってきた」という。

 見るとたしかに、どこから拾ってきたのか、汚い棒きれが、汚い紐のようなもので縛り付けられている。

 ポンペイは広い。
 私は、見られる範囲で、とゆっくり見ていたが、何事も「アルゴリズム」的に考える田森が、興味のあまり、すべてを「スキャン」しようと、遺跡を駆けまわる、ということは、大いにあることだ。
 そして、転んだ。
 ものすごく痛くて、おそらく骨折したんじゃないかと田森はいう。
 その痛みをどうしようと考えて、遺跡で棒切れと紐を見つけて、足を縛るのも、いかにも田森らしい。

 学会参加者は私たち以外はほとんどヨーロッパ各国の人たちだった。
 夜、会場に行くと、みんな田森を見て「どうした?」と聞く。
 経緯を知って、一様に笑いつつ、心配する。
 誰かが、マッサージがいい、というので足をさすってあげた。田森が、「利くかもしれない」といいつつ、「やっぱり痛い」と顔をしかめると、みんな大いに笑った。

 翌日、田森といっしょに、ナポリの街を、医者を探して歩いた。
 イタリア語がよくわからないが、とにかく、歩きまわっているうちに、緑色の十字のところを見つけた。
 医者か薬局か、そういうところらしい。

 入っていって、棒切れを縛りつけた足を見せて、田森も、「ブロークンレッグ、ポンペイ、ランニング!」とか必死に言って、治療をしてくれ、と交渉したが、「どこから来た?」「日本だ」というと、「ノーノーノー!」と大きく両手をふられて、返されてしまった。
 保険か何かの関係だったのかもしれない。 
 あるいは、単純に、面倒くさいやつら、とおもわれたのかもしれない。

 結局、田森はナポリでは治療してもらうことができず、日本に帰って医者に見ても
らったら、やっぱり骨折していたのだった。 
 よく、痛みを我慢していたと思う。

 そんなことがあったなあ、とナポリの海岸を歩きながら思い出していた。
 私の人生においては、忘れがたき記憶だが、人類全体から見たら、取るに足らない、一つの「個別」にすぎないだろう。
 しかし、人は、「個別」こそをかけがえないと感じるのだ。
 
 ところで、20年前、あの夕暮れのオートバイの集団は、ほんとうにすごかった。

 あとで、それは、地元のサッカーチームが試合に勝って、熱狂したファンたちがスタジアムからあふれ出て疾走していたのだろうと聞いた。
 へえ、そんなことがあるのか、と思って、そして感激した。
 ナポリというと、未だに、あの光景を思い出す。

 ナポリは治安が悪いだとか、ゴミがあふれているとか、そのようなことが、日本の旅行ガイドには書かれていがちだ。

 しかし、そんなことよりも何よりもぼくは、あの、旗をはためかせた若者たちの奔流と、そして、足に棒きれをしばりつけた田森と、医者を探してとぼとぼ歩いていた、あの裏通りの気配を、ナポリの象徴として、愛おしく思い出す。

 だからこそ、ナポリは、ぼくにとっての一つの「聖地」なのだ。

4月 21, 2015 at 01:50 午後 |

2015/04/18

 笑撃! エレベーターの惨劇(だったかもしれないこと)

 ミラノに来て三日目の朝、ようやく時差もとれてきた(ような気がする)。

 概日性リズムが順調になってきた一つの印は、トイレのリズムである。
 だいたい、朝ごはんを食べて、少し歩くと、行きたくなる。
 こうなると、もうだいじょうぶ。
 人間に戻ってきている。

 ホテルのレストランで朝食をとり、ちょっと外に出て、空気を吸ったら、「いい感じ」になってきた。

 おっ、じゃあ、部屋に戻ろうか、とエレベーターホールに向かった。
 自分は16階である。

 「上」のボタンを押して、待っている間に、ますます「いい感じ」になってきた。

 しかし、まだ大丈夫!

 ちょうど部屋に着くころにくるだろう(間に合うだろう)と、この時点では、まだ余裕をこいていた。

 エレベーターが開いて、中を覗いたら、イタリア人の女の子が3人乗っている。
 グループかな、と思ったら、なんと、回数表示が3箇所明かりがついている。

 ということは、何度も止まって、時間がかかるということだが、「へっちゃらさ!」と、まだまだ甘く見ていた。

 自分の階を押して、クールな風を装って、スマートフォンを見る。
 だって、あっ、この人、トイレがまんしている、って気づかれるとイタリアーノ的にいやでしょ。

 エレベーターがするすると上昇する。

 ポーン!
 ひとり降りた。

 ポーン!
 また、ひとり降りた。

 実は、そうやってエレベーター君がゆったりと昇天している間に、ますます、今すぐトイレの救急車プリーズ! みたいに、いい感じになってきた。

 こればやばい、もし万が一、この、イタリア女子と共有しているエレベーターの空間において、お腹の方が、いわゆるひとつの不測の事態になったら。。。。

 それは、もはや、ヴェスヴィオ火山の大噴火!

 そっちの方の想像力が暴走しがちな私の脳裏を、「4・18、エレベーターの惨劇!!!」というイメージが、ヒッチコック的によぎったが、幸い、なんとか、まだだいじょうぶなようであった。


 ポーン! 
 最後のひとりが降りた。

 エレベーターが閉まる。

 さあ、いよいよ、私の階へと。マイ・ホーム、16階へと。
 思えば、「16」という数字を、これほど愛おしく思ったことがかつてあったろうか。

 ポーン!

 エレベーターが止まった。
 よかった、間に合った。

 そそくさと廊下を歩く。
 急がず、けっして走らず!

 もう少しだ!
 ポケットからもどかしげにカードキーを取り出し、スロットに挿入しようとした、その瞬間である。

 あれっ!?

 部屋番号が、「12xx」となっている!
 ぼくの部屋は、「16xx」なのに、なぜか、「12xx」という文字がある。

 一瞬、頭が真っ白になって、それから、シマッタ! 違った階で降りたと気づいた。
 呉越同舟ならぬ、「日伊同舟」のイタリア女子は全員降りていったのだから、自分が押し間違えたか、誰かが余計な階を押していたか。
 さては、いわゆるクール・ジャパンな男子を装い、余裕をこいてスマホ画面を見ていたぼくは、それに気づかずに降りてしまったのだろう

 やばい。お腹がやばい。
 マジでやばい。
 ヴェスヴィオ火山が、近づいてくる!
 のっしのっしと、やってくる!

 あわてて、エレベーターホールに戻った。 
 ここは、12階。
 目指すは、16階。
 あなたの行きたいのは、上の階、それとも、下の階?

 女神さま、だいじょうぶです。
 ぼくは落ち着いています。

 「上」のボタンを押す。
 ちょうど、ホテルの係のおじさんが廊下を歩いてきて、ぼくの姿を見て、「ボン・ジョルノ!」と陽気に声をかけてくる。
 ぼくも、瞬時に笑顔をつくり、「ボン・ジョルノ!」と返す。
 一見、優雅で、メロディアスなムード音楽が流れているような、そんなシークエンス。

 しかし、ほんとうは、そんな場合じゃないんだって!
 「ボン・ジョルノ!」とか言っている場合じゃなくて、マジ、やばいんだって!

 一日千秋ならぬ、「一秒千秋」の思いで、エレベーターが来るのを待つ。
 
  ポーン!

  待ち人、ならぬ、待ちエレベーターがついに来る。
 誰も乗っていない。
 16階のボタンを押す。
 よかった。たった4階分の移動。たいした時間じゃない!
 間に合った!
 心の中で、ガッツポーズ!

 ところが、気づくと、エレベーターが下に向かっている。
 おいおい、きみ、なんで下に向かうんだ! 
 何かの間違いじゃないのか!
 
 しかも、途中階で人が乗ってくる。今度はイタリア女子じゃなくて、イタリア男子が乗ってくる。イタリアおじさん、イタリアおばさんも乗ってくる。
 ふたたび、望まぬ「日伊同舟」だ。

 おいおい、君たち、なんで、そんなに次から次へと乗ってくるんだ! 
 もし、エレベーターの惨劇になったら、どうしてくれるんだ!
 油断していると、ベスヴィオ火山が、来るぞ!

 君たちだって、臭いのはいやだろう!
 何よりも、ぼくが、一番いやだ!

 ポーン!

 無限に感じられる時間が流れて、ぼくは、ロビー階に、イタリア男子、イタリアおじさん、イタリアおばさんとともに吐き出された。

 振り出しに戻る。

 ふたたび、ぼくの前にエレベーターがある。
 ぼくの後ろには、エレベーターがない。

 ああ、この、世界は実存的とでもいうべき、この展開!

 もう、ぼくには、時間がない。
 火山性微動も、腰のあたりから、増えてきたようだ。

 もう、苦しむのは、十分でしょう。
 そろそろ、エレベーターの無限地獄と、お腹の切迫感から、開放されたい。
 おねがい。女神さま、おねがいです!
 
 今度は、間違いなく、指差し確認をして、16階のボタンを押す。

 階数ボタンの下には、「開く」と「閉じる」のボタンがある。
 そうだ!
 エレベーターには、急ぐ人のために、「閉じる」のボタンがある! 
 (地に這いつくばって)我々には、まだ、「最高裁」がある!

 少しでも時間を節約しようと、「閉じる」のボタンを押す!

 ところが、ドアが開く。あれ、誰か、外で、ボタンを押したのかしら?
 数秒待っても、誰も乗ってこない。そこで、私はまた「閉じる」のボタンを押した。

 ところが、また、ドアが開く。あれ、誰か、外で、ボタンを押したのかしら?
 数秒待っても、誰も乗ってこない。そこで、私はまた「閉じる」のボタンを押した。

 ところが、ドアが開く。
 
 なんでだ!

 ここに至って、ぼくは、ようやく、どうやら「閉じる」のボタン(誰がどう見ても「閉じる」である)が、電気回路の混線か、ミラノの気候のせいか、あるいはイタリア全土に満ちる「ファンタジスタ」の作用か、もしくは昨日食べた生ハムのせいか、とにかく、結論としては、「開く」になっているらしいということに気づいた。

 ああ、この世は、不条理!
 ヴィトゲンシュタイン、君は偉かった!

 その間にも、お腹の切迫感は、クレッシェンドで、華麗なるフィナーレを迎えようとしている。
 ベスヴィオ火山の、マグマ溜まりもいよいよ上昇してきているようだ。

 人間、しきい値を超えると、むしろ開き直る。

 もう、こうなったら、すべてを委ねよう。
 今まで、ジタバタして、悪かった。

 せこく、「閉じる」のボタンなど、押すまい。
 ただ、静かにエレベーターの中に立って、運を天に任せよう。

 そもそも、「自由意志」は、「幻想」だ。

 ぼくは、静かに目を閉じた。
 エレベーターのドアが、閉まる音がした。
 約、1分後。
 ぼくは、ようやく辿り着いた「16xx」の「部屋のトイレで、事なきを得た喜びにひたっていた。

 ようやく抜け出ることのできた、エレベーターの無限地獄。
 振り返れば、小さな、リアル脱出ゲームではあったなあ。

 あの苦しい時間に比べたら、これからの人生の試練など、何ほどのものぞ。

 人間のお腹って、いいな。切迫していない、普通のお腹って、いいな。

 よかったんだ、これでよかったんだ。
 すべてを赦し、水に流そう。

 もう、決して、振り返るまい。

  穏やかに晴れたミラノの朝に突然襲ってきた、笑撃! エレベーターの惨劇(だったかもしれないこと)。

 ようやくのことくぐり抜け、ぼくは、今日もまた、何が起こるかわからない人生を、楽しんで生きようと決意したのである。

4月 18, 2015 at 04:46 午後 |

2015/02/07

通過儀礼こそが、生命を新たにするー御燈祭ー

二月上旬は、例年、私の中で、どこか引っかかりのある季節となっていた。
 というのも、畏友、白洲信哉氏に、毎年のように誘われるからである。
 ところが、日付の記憶が曖昧なので、つい、前後に何か用事を入れてしまって、支障が生じる。その度に、「またですか」と信哉氏があきれ、それから、少しかなしそうな顔をする。こっちは、心がきゅっと縮む。
 そんなことが数年続いて、ついに、ある時、いっしょにお酒を飲んでいて、信哉氏は、「もういいですよ!」とすねた。
 見ると、目のあたりが赤く染まり、その中はかえってらんらんと輝いている。
 「あっ、ごめんなさい。今、この場で書きます」
 2月6日に、「火祭り」と記した。信哉氏のごきげんがなおった。

 年が明けてから、「だいじょうぶなんでしょうね」と念を押された。
 「はい。」
 「じゃあ、13時過ぎまでに、新宮に来てください。名古屋10時に乗らないと、間に合わないですよ。」
 早起きは、得意である。
 駅に着くと、信哉が、改札の外に待っていた。やあ、と手を挙げると、さっと目を合わせてから、あっちの方を見て、あいまいな顔をしている。
 それでも、口元は、笑っている。シャイな男なのである。
 信哉の横に、桜井さんの顔がある。
 「あれ、いらしていたんですね。」
 それだけではない。後藤さんも、谷本さんも来ている。
 男五人で、車に乗った。信哉が運転する。
 「どこに行くのですか。」
 「まず、ホテルです。着替えの用意をしてロビーに集合!」
 「着替えっ?!」
 桜井さんが、ヒートテックを二枚持ってきているからだいじょうぶだ、みたいなことを言っるので、私はあせりはじめた。
 「あれ、信哉、白装束とか、全部用意してあるとか言ってなかったっけ?」
 「いや、待っている間、お山は寒いからね。いつものTシャツですか? まあ、大抵、だいじょうぶでしょう。」 
 おいおい、大抵も、何も、とてもだいじょうぶだとは思えない。 
 幸い、ホテルのすぐ近くに衣料店があったので、放熱する下着を買った。身につけるものは、全部、白くなくてはいけない。
 信哉が、へへへと笑っている。何がへへへだ。
 ロビーで待ち合わせていると、後藤さんが、ステテコ姿で現れた。その上に黒いダウンジャケットを着ているので、まるで、「出オチ」である。
 爆笑していると、後藤さんも、私たちがまだ、普通の格好をしていることに気付いたらしく、そのまますごすごとエレベータに戻っていった。 
 いくら御燈祭といっても、ステテコ姿で街を練り歩くわけではない。
 当たり前の服装に戻って、ほっとした表情の後藤さんが、かえって勢いよく先頭に立って、新宮の街を歩き始めた。
 もっとも、後藤さんは行き先を知らない。
 ホテルの裏道を行くと、左手の山に、赤い社が見える。
 「あそこまで上るのですよ」と信哉。
 「見えるかな。ご神体。うっすらと岩があるのがわかるでしょう。」
 信哉は、そのお姿を遙見できる部屋に、いつも泊まるのだという。

 「ここです。」
 玄関から顔を出したのは、鈴木理策さんだった。
 「お久しぶり!」と笑っている。
 「あれ、理策さんの家で着替えるのかあ。」 
 「それはそうですよ。わかる人に手伝ってもらわないと、とても山には上れない。」
 信哉が指す、装備もろもろを見て、なるほどと納得した。
 白装束がある。縄がある。理策さんが、テーブルに座って、白いひねりものをつくっている。お賽銭だという。松明がある。ひらひらがついている。「花」というのだという。寄せられた板に祈願を書き、名前と数え年を記す。 
 縄の締め方も、素人にはちょっとわからない。きゅっきゅっと巻いて、鎌で切る。ちょこんと、しっぽのようなものが残る。
 「横綱だあ」などとふざけていたが、縄が締まると、さすがにぎゅんと心が引き締まった。
 「この出で立ちは、つまりね、われわれはね、一度ね、死ぬんですよ」と信哉。
 御燈祭りは、よみがえりの儀式でもあると世間では言われる。 
 「いちど黄泉の国に行きましてね」と桜井さん。
 信哉は、ここ十年ばかり、もう何度も、一度死んで、よみがえっているらしい。
 「この祭りと、春日大社の御祭り、それから、東大寺のお水取りだけは、毎年行くことにしているんですよ。生きている中で、それくらいは精進しないとね」と信哉。
 出で立ちが決まって、ほっとしたのか、信哉はもう座ってお酒を呑み、さっそくの精進を始めている。
 私たちも、なんとなく心が決まって、精進にかかった。しかし、上る前はやりすぎちゃいけない、くらいのことは心得ている。
 日がだいぶ弱くなってきて、理策さんが「そろそろ」と言って立ち上がった。
 わらじを履くのも一苦労である。「歩いているうちに緩んでくるから、きついくらいにしめて」というので、えいえいと引っ張っていたら、親指の付け根がひりひりといった。

 さてさて、われわれ上り子衆は、地元の鈴木理策さん、常連の信哉、一度経験済みの桜井さん、それに、私を含めた初心者が数名連れだって、新宮の街をいく。
 時が満ちたのであろう。あちらこちらから、白装束の集団が現れ、同じ方向に歩いている。 
 山に上る前に、まずは、ゆかりの諸社に参拝するのだという。
 あちらからもこちらからも、白装束の人たちが集まってくる。3歳くらいの幼児や、親にかかえられた子どももいる。
 新宮に生まれ、こうやって祭りに参加する幼い心に映る風景は、どんなものだろう。
 もう、先に済ませて道を戻ってくる人たちもいる。 
 「たのむで〜!」
 カチ!
 「たのむで〜!」 
 カチ!
 すれちがいざまに、松明を斜めにぶつけあって、そうやって声をかけ合う。ある程度こわした方が、松明に火がつきやすいというのである。
 信哉の花は、いつの間にかとれてしまった。
 気付くと、道のあちらこちらに花が落ちて、風で揺れている。

 日が暮れて、やがてとっぷりと落ちた。
 肌にさわる空気もだいぶ冷たくなってくる。
 山のふもとに近づくと、白装束がもはや雑踏のひとかたまりとなって、ゆっくりとしか進めなくなった。
 ここが最後、という参拝を済ませて、いよいよ鳥居をくぐることとはなった。
 
 「じゃあ、行きますか。」 
 「はい。」
 「ここからは、難しいから、はぐれたら、ご神体の右側で。」
 「ここからは、難しいから」という、信哉のひとことが、闇に溶けていくような気がして、それが、あとから思えば「この世」とのつかの間の別れだったのである。

 鳥居をくぐると、すぐに上りが始まった。
 今や、群れとなった白装束の上り子たちが、暗がりの中を、踏み上がっていく。
 とんでもないことが始まってしまった。だが、後悔しても、もう遅い。
 上り始めて、すぐに、そんな思いに満たされた。
 これは、階段ではない。岩のかたまりである。狭く、急で、足元があやうい。気をつけないと、ほんとうに危ない。
 「落ちるときは、顔からいった方が、怪我が軽くてすむで。」
 どこからか、そんな声が聞こえる。
 冗談とも思えない。 
 闇の気配にじっと目をこらす。
 「わっしょい」
 「わっしょい」
 かけ声が、前から後ろから、響き渡ってくる。いつの間にか、自分の声も、その響きの中に加わっている。
 「わっしょい」
 「わっしょい」
 それが、生きていることの、ただひとつの証しであるかのように、かけ声にすがりながら、足は岩にしがみつき、それでも少しずつ、上っていく。
 いつの間にか、信哉たちとははぐれた。
 もはや、岩の坂の上で腰をかがめるしか、存在のあり方はない。それ以外の生が、かつてはあったのだろうか。名前もなく、区別もなく、ただ、山の上を目指す、白い流れとなる。
 溶けて、消えていくことが、甘く、心地好いということを知る。
 それは、生命の「時」をさかのぼる旅だったのかもしれない。

 上り切ると、鳥居が現れた。
 その向こうが、「結界」であった。
 右手に巨大な岩があり、白装束たちがひしめいている。急峻な斜面を、今なお、上ろうとしている者たちがいる。
 岩の裾をへめぐる。
 赤い社が見えてくる。その右手に、巨大な岩。しめ縄が回されていた。
 あれが、信哉が言っていた、ご神体であろう。 
 周囲に、白装束たちがざわめいている。
 ここは、すべての「個」が消えてしまう場所。 
 はかりごとをしても、めぐりあえるものではない。
 もう、それでもいいと、心を決めて、空の星を見上げる。
 天上の光の方が、かえって、一つひとつがはっきりと輝いている。
 ふりかえれば、地上は、白い混沌である。
 
 おおおお。
 ざわめきが聞こえた。社の方を見ると、いつの間にか、あかあかと火がゆらめいている。 
 「ついた!」
 「ついたで!」
 声が声に重なる。人がゆらゆらと動く。やがて、扉が開いて、巨大な松明が姿を現した。
 どどどど。
 人々の気が、暗闇の中で波になる。
 松明は、結界の入り口の方に運ばれて行く。
 やがて、ふたたび波動が先導となって、火は戻ってきた。
 いつの間にか、あちらこちらに集められていた「花」の山に、火がつけられる。
 ぼっ。
 ぼおおおお。
 天を焦がす炎。男たちが、いっせいに松明をかざす。火が火を呼び、その数が増える。結界の中は、炎の林となる。
 地上の赤々にかき消されて、天空の怜悧な光は見えなくなった。
 やがて、結界の入り口が、騒がしい。
 どおおん。
 扉が開く気配がする。
 その瞬間、男たちは、いっせいに駆けだしていったのであろう。
 身じろぎもせず、できず、松明を掲げたままで、ただ、伝わってくる波だけを手がかりに、あの急峻な岩道を今まさに駆け下りようとしている男たちが光の龍と化すそのさまを、ありありと想像していた。

 鈴木理策邸に着くと、もう、直会が始まっていた。
 信哉が、すでに着替えて、てかてかと笑っている。 
 「あっ、帰ってきたかえってきた。」
 人の顔を見るやいなや、もう放ったらからしで、信哉は酒を幸せそうに呑んでいる。
 草鞋を脱ぐ。縄を切る。白装束を解く。その圏内からとっくに離れていた結界の作用が、さらにその名残すらなくなる。 
 私もまた、この世に戻ってきた。

 下りる時は、上る時以上に、足元がぐらぐらと揺らぐ、そんな思いがあった。
 こんな岩坂を、駆け下りるなんて、命知らずか、何かがとりついた者たちにしか、できはしない。そう思った。
 ようやくのこと下りて、鳥居をくぐると、そこには、黄泉の国に一度行って再び生まれてきた男たちを迎えんと、たくさんの女たちの瞳が光って、細い道筋ができていた。
 その中を、ぎゅっとするような思いで歩いて、街を抜け、ここにたどり着いたのである。

 理策さんがよそってくれた豚汁が熱く、うまい。即座におかわりする。
 信哉は、「へえ、これはこれは、なかなかいけるものですね」と言っている。
 信哉は、今までの生涯で、豚汁をたべたことが一度もなかったらしい。
 「この季節に、カツオがあるんですね」
 おいしくいただいていると、桜井さんが、「よっぱらう前に、焼いてよ!」と信哉に促している。
 気の良い男は、まだしゃきっとした足で台所に立ち、肉を焼き始めた。私も、お猪口をもって、隣に立ち、信哉にちょっかいを出しながら、肉の焼き加減をながめている。
 「信哉先生、よろしくお願いしますよ!」
 白洲信哉は、得意の肉を焼くときだけは、「先生」になる。

 さあ、信哉の焼いた肉も食った。これで、思い残すことはない。友とあり、軽口をたたき、笑いながらのお酒はほんとうにうまい。ましてや、これは精進落としである。男たちの間には、絆さえ生まれているのだ。
 掛け軸の由来を、理策さんに聞く。座敷でくつろぎ、外の闇を見やる。他愛のない話に、声を上げる。
 そんな間も、私はまだ、さっき上って下りてきた山の気配を、身体の中にずっと感じている。
 押し込んで、押し出されてきた。白い奔流の中に溶け消え、やがて、炎と闇の作用で、再びこの世に送り出された。岩盤を下り、ばらばらに散らばった。
 生きることは、きっと、本来すさまじい。そのことを文明の中で忘れているとすれば、通過儀礼こそが、生命を新たにする。
 集った白装束たちは、今、それぞれの時を刻んでいる。そしてまた、いつか、いっしょになるのだろう。

 日付が変わってもなお、男たちの直会は続いている。 
 命は、集まり、離れるの繰り返しだ。
 

 
 
 
 

 

2月 7, 2015 at 12:00 午後 |

2015/02/02

あれほどはっきりと鮮明だった男の子の影が

朝、ほんとうに、悲しいニュースに接した。
 移動の新幹線の座席で、しばらく、うずくまるようにして眠った。
 無意識のトンネルは、底が見えないほど暗かったが、やがてそれも明るくなった。

 駅を降りて、なんだか目がパチパチするような思いで、街行く人たちを見る。

 ぽかぽかと、暖かい日差し。
 太陽は、今日もまた、誰にでも平等に降り注いでいるのだ。

 博多駅から、国際会議場はどれくらいかかるのだろうと調べたら、約30分だった。
 歩き始める。気持ちが移ろっていく。足は、大地に粘着しているというのに。

 そうやって、ぼんやりと、何町か行ったろうか。
 信号待ちをしていて、ふと前を見ると、ちょうどワゴン車が細い道へと左折するところだった。
 ワゴン車の後部の窓が開いていて、そこに、5歳くらいの男の子がいた。
 
 まんまるの顔を、ひたむきに外に向けて、陽光が照らし出すすべてを見つめようとしている。

 まるでフィルムをゆっくりと再生するように、男の子は回転しながら、私の前を通り過ぎていった。

 たまの日曜で、どこかに出かけるのだろうか。
 家族といっしょにいるというたのしみもあり、また、あれくらいの年齢の頃は、見るものがすべて面白いのだから、もう、目を見開いて、キラキラした瞳で、万物を見ている。

 幼子の見る世界の中に、リュックを背負った男の姿が入り、私と男の子は、目がぱっちりと合った。
 
 お互いに顔を見合わせながら、しかし、ワゴン車はむろん停まることもなく、男の子の映像は過ぎ去っていく。

 男の子の心の中の私の姿もまた、つかの間の幻のように消えていったのであろう。

 信号が変わって、私はふたたび歩き出した。

 世の中には、さまざまな出会いがある。
 悲劇に終わる出会いもある。
 なかった方が良かったと思われる遭遇もある。
 空気の中でもまた、分子と分子は常に衝突している。
 今、この瞬間もなお、南半球では蜂が花を目指していることだろう。

 2015年2月1日、日差しの暖かい博多の町で、私は、あの男の子に出会ってよかった。

 私と目が合って、男の子の脳に生じたほんとうにごくわずかな擾乱。

 私たちは、お互いに、作用を及ぼしつつ生きている。

 行き交う人と、微かな気配を取り交わしながら、私は国際会議場を目指した。

 私の心の中の、あれほどはっきりと鮮明だった男の子の影が、次第に薄れていくのを感じながら。

 夜が明けて、波紋が、完全に無意識の海に沈む前に、私はこの文章を書いている。

2月 2, 2015 at 07:49 午前 |

2015/01/18

 小林秀雄を学ぶ塾 参加者募集

小林秀雄さんの担当編集者を長年つとめられ、生前の小林秀雄さんを深く知る立場にある池田雅延さん(元、新潮社編集者)を「塾頭」とし、小林秀雄さんの著作を読み、その思想に触れ、困難な現代を生きる糧とすることを目指す「池田塾」は、2012年に発足し、三年間、学びを重ねてきました。

このたび、第四期の参加者(若干名)を募集いたします。 

 毎回の会合に、私、茂木健一郎も「塾頭補佐」として同席いたします。

 会合は月に一回、ほぼ週末、東京近郊の小林秀雄さんゆかりの場所で行います。午前11時〜午後1時くらいまで会合を開き、その後懇親の場を設けます。小林秀雄さんのテクストを入手することや、現地までの交通費を除き、参加者の負担や義務は一切ありません。

 会合の性質上、また会場のスペースなどから、お受けすることができる参加者数が限られるため、やむを得
ず選抜させていただきます。以下の事項を記した自己紹介の書類ファイルを、池田塾事務局yamanoue.ikeda.lab@gmail.comまでメールにてお送りください。細かい形式は一切ありません。締め切りは2015年2月10日(火)午後10時です。

塾生にお迎えする方には、2015年3月10日(火)までにお伝えいたします。

選抜は、塾頭の池田雅延さんと塾頭補佐の茂木健一郎が共同で行います。

(1)小林秀雄のどんな点に関心があるのか、お書きください。
(2)世の中の森羅万象、さまざまなジャンル、現代の問題など、小林秀雄以外で関心があることについてお書きください。
(2)御自身のバックグランドをお書きください。どのようなことに関心を持ってきたのか、取り組んできたのか、何に情熱を向けてきたのか、これから何をしようとしているのか、通常の履歴書のような形式でなくてもいいのですが、どんな方かがわかると助かります。
(4)御自身のお人柄がわかる、スナップ写真や作品などを添付してくださってもかまいません。
(5)twitterのアカウント、facebookのアカウントや、ブログなど、御自身のオンラインでの活動、発言内容がわかるような情報があったら添えてください。
(6)こちらから連絡できるように、メールアドレス等の情報をお願いします。地方在住の方もいらっしゃるかもしれないので、住所までは必要はありませんが、どのエリアにお住まいかお記しください。

重要! 応募書類をお送りいただく際、メールのsubject(題名)には、「池田塾入塾志望書」とお書きください。そうでないと、見逃してしまう可能性があります。

今回残念ながら会場スペースの都合で塾生に選ばせていただけなかった方も、何らかのご縁と思い、大切にしていきたいと思います。

みなさんのご応募をお待ちしております。

2015年1月18日 茂木健一郎 (池田雅延塾頭の補佐)

1月 18, 2015 at 07:29 午前 |